「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

太平洋戦争中の日本人の体にあなたの記憶と意識がそのまま転移されたとして、終戦まで確実に生き残る方法を考えて下さい。
あなたの肉体は徴兵検査を来年に控えた、19歳の健康な日本人男性です。
学歴も資格も特技もコネもない平凡な家庭の三男坊とします。
昭和16年12月8日からスタートします。終戦までの3年8ヶ月を生き残ってください。
なお自傷行為、逃亡行為、犯罪行為はNGとします。

A 回答 (10件)

ご質問の条件だと個人でどうこうできる範囲が狭く、結局神仏に祈るしかないかもしれません。


何もなくとも負傷しただけで化膿→敗血症や破傷風で死亡、の可能性が無視できませんし。

学歴も資格も特技もコネもない、という設定ですので、高等小学校卒・そのまま農業ないし商店の丁稚で過ごして昭和16年末に至った、と仮定します。正直、市町村役場の兵事係にコネがあるかどうかでどの部隊に招集されるかが大きく異なるので、コネなしはかなり厳しいですね。
中学校あるいは実業学校(商業学校・工業学校等)卒業ならば乙種幹部候補生(下士官)に志願できるので、少し生存率が上がるのですが。
※なお、高校・大学予科へ進学した場合は時期的に学徒出陣が待っています。理学部・工学部・医学部・薬学部など理系学部以外は死亡率激高です。

徴兵検査は翌年ですが、大抵の場合は本籍地の道府県の郷土聯隊である歩兵XX連隊に招集されます。特に長身・眉目秀麗容姿端麗な場合は入営後の選抜で近衛兵になるかもしれませんので、この場合は近衛第1師団の兵として宮城(皇居)警備で過ごせるかもしれませんね。
なお徴兵検査後、実際に入営する時点で「病気である」と申告し、軍医の診断が下れば即日帰郷となります。詐病でなければ、周囲からは恥さらしだの何だのと白い目で見られ続けることになりますが、とりあえず戦地には行かなくて済みます。昭和20年の根こそぎ動員に引っかかるかもしれませんが(詐病の場合はご質問の条件に反するので除外)。

無事入営した場合は大体歩兵ですが、力士のような身体頑健な者は砲兵に、長身で視力の良いものは騎兵に回されることがあります。工兵や輜重兵、通信兵などへの配属は高学歴者や既に資格・特技のある者優先なので困難ではないかと思われます。

憲兵は平時には入隊後に選抜されますが、17年1月に憲兵上等兵候補者の全国募集が行われました。ただし、小卒(高等小学校卒含め)はその中でも1割以下だったそうなので、合格は難しいかもしれません。
陸軍少年飛行兵と海軍予科飛行練習生(予科練)の乙種飛行練習生は高等小学校卒で出願できたので、志願資格はあります。但し、操縦者になると特攻が待っていますので、整備兵を目指しましょう(南方に送られなければ生存のチャンスは大きいです)どのみち、倍率はかなり高いですが。

その後の運命は正直なところ出身地ガチャと連隊ガチャです。例えば歩兵第1連隊(麻布聯隊)はレイテ送りですが、同じ募集地域でも歩兵101連隊に配属されれば昭和18年以降南京周辺の中支地域で治安戦に従事することになります。どちらに配属されるかで生存率は雲泥の差です。こればかりは本籍地次第なので、想定地域がどの連隊区で、そこから動員された連隊がどこで戦うかにより大きく運命が異なります。一般論として、目をつけられない程度にサボれば満州駐箚部隊への配属を避けられる=フィリピンや南方送りを免れる可能性が高くなります。
中国戦線、それも後方の治安部隊での戦闘であってもそれなりの確率で戦死しますが、ニューギニア戦線やフィリピン戦、硫黄島、沖縄、終戦間際の満州よりは大分マシです。

海軍への志願はやめておきましょう。大型艦艇ほど私的制裁が厳しい上、駆逐艦以上の艦艇や海防艦乗組になった場合、運よく「雪風」乗組にならない限りは80%以上の確率で死にます(大戦全期間を通じ「雪風」艦上での戦死者は2名)。狙い目は海軍でも航空機整備兵ですが、機械工や自動車整備の経験がない場合整備兵になれない可能性が高い上、南方に送られた場合帰還困難です。商船乗組員は更に生存率が低めです。

徴兵されなかった場合、あるいは負傷除隊等で昭和19年末までに娑婆へ戻れた場合は本土空襲が待っています。県庁所在地以外の地方都市、あるいは軍需工場が近くにない内陸部であれば、比較的平穏に終戦を迎えられますが、県庁所在地や太平洋ベルト地帯の工業地域、大都市ですとB公の焼夷弾で丸焼けの危険があります。
但し、戦前の農村特有の因習に満ちた閉塞感や、五体満足なのに戦地に出ていないことへの非難に耐えられれば、ですが。
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難しいですね。
最後に
こういう悲劇もあったね。
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生き残った人いますね。


何年も経ってから終戦知らずにジャングルで
住んでいてやがて救出劇過去に有ったよね。
名前は忘れた。
拉致被害者はどうしているかなあ。
北朝鮮は意地悪ですね。
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No.3


そういえば、祖父の弟が同年代でした。彼は結核を患っていたので徴兵検査不合格でした。敗戦後間もなく結核で亡くなりました。
祖父とすぐ下の弟はもう少し年が上だったのでラッキーでした。2人とも甲種合格でしたが、最初の兵役は内地の駐屯地勤務で終わり、二度目に招集された時は満州の駐屯地勤務で終わり、三度目の根こそぎ動員でも内地で古兵殿として新兵を殴打しているうちに終わりました。一度も敵兵に向かって発砲したことが無かったそうです。
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ないですね。


外地、特に南方に派遣されないことを祈るくらいでしょう。
後は陸軍航空隊に志願して隼戦闘隊に入ることでしょうか。死なない保証は全くありませんが、陸軍歩兵で最も多い死因は餓死とか戦死以外ですから、航空隊ならば餓死の心配はほぼ無いに等しいですし、腕さえ磨けば戦死の確率も自助努力で低めることができます。海軍と違って陸軍は、操縦席の背に防弾版を仕込むなど操縦士の安全性も考慮していましたしね。
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海軍の通信兵(陸配置)に志願する

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徴兵逃れで、検査前に醤油を飲んだ話は聞いた事が有ります、成就


した例は知りません。

何らかの方法で徴兵を逃れて生き延びたとしても、戦後の日本では、
爪弾きになり生きて行けないと思います、大日本帝国の国民の多くが
監視を担っていました。
女学生だった私の母は与謝野晶子を読んだだけで、非国民として、
特高にチクられ獄に一晩、泊まりになりました。
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志願して、憲兵になります。



そうなれば、最前戦に送り込まれる
ことは無いんじゃないですか。
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中曽根康弘コースですね。


兎に角頑張って東大法学部に入学し、上級国家公務員になります。そして「短期現役士官」に志願します。これで主計か法務の士官になれます。そして大事なのは艦隊勤務を絶対に志願しない事。地上勤務であれば、事務屋さんとして無事に終戦を迎えられます。
戦後も国家公務員に復帰できて仕事の心配は全くありません。
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ないと思います。


徴兵を免れればOKという話でもないので。
空襲で命を落とす可能性もありますし、病気で死ぬ確率も現代とは比べ物にならないくらい高いです。
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