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藤原氏は天皇の外戚としての政治にこだわったのは、天皇のことを敬っていたからですか?

質問者からの補足コメント

  • 自分が天皇になろうと思わなかったのですか?

      補足日時:2024/07/23 20:47
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A 回答 (5件)

藤原氏は多くの貴族同様に天皇を敬っていました。


藤原不比等以来の藤原氏は、天皇を神格化する方向で日本書紀と古事記の編纂を進め、藤原氏が天皇家の側近として重要な役割を演じてきたように記紀を捏造したりもしました。

つまり天皇あっての藤原氏とその他の貴族であるという歴史を造ってきたわけです。
その仕上げが天皇家に皇后を藤原氏から送り込むことでした。
それを以て、天皇家と藤原氏の合体が完成します。
そのために育てられたのが光明子ですが、不比等の生前は立皇が間に合わず、死後に息子たち藤原四兄弟によって成し遂げられます。
以後は、藤原氏が次々と皇后を天皇家に送り込むことになります。

日本は中国のような易姓革命を受け入れる素地はありません。藤原氏自らが天皇になるということは、天皇の神格化と天皇家との合体を目指してきた藤原氏代々の方針を否定してしまうことなので、他氏の反撃を受けて藤原氏を滅亡させかねないからです。
藤原氏は天皇あっての藤原氏であって、それ以上ではないのです。
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>自分が天皇になろうと思わなかったのですか?


天皇は権威は有るがお飾りですから、No,2の位置の方が宜しいのです。
No,1になると、地位を脅かす存在が気になります、疑心暗鬼の心に
なって、我が息子を疑ったり、配下の部下も疑う様に成り、夜も
眠れなくなります。
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天皇を称しても周囲が認めません。



天皇家は平安以前の時代の豪族が戦い、親族同士で血で血を洗う殺し合いを勝ち抜いた家です。
京都に都を移して、ようやく戦争のない時代になったのです。

藤原氏が天皇になるには、再び戦争を繰り返し、反対派を殺しつくさねばなりません。
そんなことするより、すでに十分権威をもっている天皇を自分の背景にして政治実権を握る方がよっぽど賢いです。

その後の武家政権もずっとそうしてきています。
明治以降の政治家も同じやり方です。
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天皇自身は、やってはいけないことやヤらなくてはならないこと


こういうことが積み重なった先例の数だけあるので窮屈でかつ実権がない

という実態を知っていたので
天皇の位を奪って公家社会全体を敵に回すよりも
裏で糸引いて『名を捨てて実を取る』という判断をした

摂関政治が終焉した後に院政が行われたのも
窮屈な天皇の地位を子供や孫に譲って、自由に行動できて実権を握る地位に就いたほうが良い
というのを摂関政治で経験していたからでしょ
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政治は権力です。


権力を握るには天皇の外戚になるのが一番有力。

藤原氏は権力が好きだったのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。ではなぜ天皇を拝さなかったのですか?

お礼日時:2024/07/23 20:59

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