単二電池

この世って思ってる事と逆の現象が起こるのはなぜですか?

売り切れを予想せずに商品を頼もうとすると売り切れになっていて、予め売り切れを恐れていたら発売中になってました。
しかし、発売中になっていて注文が完了したら「すみません。終了おりました。」って言われました。
ここで安心しなければ無事頼めたのではないのかなって思います。
今回は食券式で、食券を無事に購入した後で売り切れ処理になってなくて実際は販売終了だったので現金返金です。

流石に「運が悪い」が連続し過ぎて怒りが収まりせん。

運が悪い現象ばかりが記憶に残り、運がいい現象を気付いてなくて覚えてないだけですかね?

A 回答 (12件中1~10件)

運が悪い現象ばかりが記憶に残り、


運がいい現象を気付いてなくて覚えてないだけですかね?
 ↑
そうです。

楽観的な人は、運が良いことだけを
覚えています。

悲観的な人は、悪いことだけ。

ワタシなどは、楽観的ですので
運が良い人生だ、と
錯覚しています。

楽観的になるか、悲観的になるかは
有る程度ですが
遺伝が影響しています。
    • good
    • 0

普通の事



むしろ当然の現象

なぜなら世の中の出来事全てが1/2だから



例えば宝くじ 100万分の1じゃないよ
当たるか当たらないか、1/2
次の信号青か赤か、1/2
合格か不合格か、1/2
死ぬか生きるか、1/2
一か八か、1/2

そういう事だ
    • good
    • 0

> 運が悪い現象ばかりが記憶に残り、運がいい現象を気付いてなくて覚えてないだけですかね?



そうですよ、人間万事塞翁が馬、です。
一見、不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりすることのたとえ。幸運か不運かは容易に判断しがたい、ということ。
ですから、自分の感情が不快に感じた時に、あの時が原因だったと後付けしているだけです。
悪い事は、他人の責任。
良い事は、自分のお陰。
事実は、1つのでき事が、全ての結果で良いと解釈する事はできません。

例えば、
車の免許が取得できたお陰で、仕事に付けた。でも、車の運転は苦手で、死亡事故を起こしてしまった。

寝坊して、飛行機に乗れなかった。
飛行機に乗っていたら、墜落していた。

離婚は、好きな人と別に暮らすので悪い。
離婚は、ストレスから解消されるから良い。
    • good
    • 0

見通しが甘いんでは

    • good
    • 0

現実とはかけ離れた事を思ってるから。



要は、予想が外れたってことだろ。
予想する人が現実を知らないと考えるのが妥当かと思う。


 予想(希望):オレ様は将来偉い人になって金持ちになる。
  ↓
 努力も何もせず、社会から拒否される。(← これを想像できなかった)
  ↓
 現実(絶望):無気力で三十路越えのニートで親のスネカジリ。

・・・

「運だ」と言ってる連中は世間知らずという事ですね。
    • good
    • 0

予想と逆の現象が起きたときに「印象が強くなってしまう」と言うのが本当らしいですよ。

そんな話を災害情報工学などで習ったことがあります。例えば未来は誰も分からないはずなのに「出来そうにない」「これは簡単」とか判断していますよね。どんな簡単に思えても「未来」である以上安心してはいけないはずです。

運にマツワル話について私が思うところを書きますね。

以下は長いので興味があればお読み下さい。

私は学生時代の学会発表(論文誌掲載)や社会人での特許取得など「人類初&(その分野の)世界チャンピオン」になったことが何度かあります。確率的には可なり稀有でしょう。そんな私が私に「どうしてそんなことを思いついたのか?」と問う時があります。分野が限定されているとはいえ多くの学者先生たちが取り組んで答えが出なかったわけです。それを私が思いついたというのはどうしてなのか? 不思議でなりません。

そこで思ったんです。

「この力を制御して自由に使えるようにしたい」

です。

なので私がお話しする運の話と言うのは「偶然できた稀有な結果」を基にして「如何にして制御して自分で使えるようにするのか」と言う試みでもあります。

なので神秘的な話を聞きたい方には迷惑かもしれません。何故かと言うとある程度実績があり、割と使えるレベル(即物的)なものだからです。

ではこの試みに対して以下の様に論理を展開します。

「もし自分に人類の誰も思いついていない真なる答えを思い
 つく力があるのなら? その様な力は『どうすれば手に入
 れられるのか?』と自分に問えばいいはず」

と思いました。

良くある三つのお願いというお話の中で「無限にお願いをしたい」とお願いするやり方ですね。で、実際にやりました。今ではある程度自由に制御できていると思います。

その問いを(自分に向けて)行ったとき直ぐに頭に浮かんだのは、

「どうして通勤で失敗しないんだ?」

です。どうも私の問いが私の無意識に受理され「これについて考えなさい」とヒントが出たようです。

通学や通勤が難しいという人はいません。しかし(どんなに自信を持っても)やはり未来であるわけです。次もうまく行く保証など無いんですよ。そして驚くのは本当に(どんなに凡庸に見える人でも)実際に失敗せずに成し遂げてしまうわけです。

「何も起きなかったからじゃないの?」

「いや実際は昨日と違う新しいことが沢山起きているのに無
 意識に判断して処理している。神懸った状態になっている
 みたいだ。少々のアクシデントはボーっとしながら対処し
 ている。本人が気づいていないだけだ」

つまり案件(今回は通学や通勤)が簡単だったのではなく「その時は神がかかった判断能力を発揮していた。スポーツでいうゾーンに近い状態であった」だけの様です。

つまり私たちは日常で「神懸った状態(ゾーン)」を何度も起動しているという事です。それが起動すると「それくらいは簡単」「普通にできる」「そんなこと何の自慢にもならない」と感じるようです。この状態の時は難易度が高いものでも成功してしまうのです。この「異常な成功確定状態」と言うのを私たちみんなが「特別視」していなかったというのが真実の様です。

発想転換をしましょう。

「私たちの予想精度は尋常じゃないくらい高い。それらが発
 揮される時が限定されているだけなのだ」

という訳です。

通学や通勤では何が起ころうとも大体対処できるのに「まるで想像もつかない。何をしていいか分からない」という所謂難しいジャンルがあります。これを個人に課せられた制約と捉えてみます。

なので神懸った状態を自由に操るには、

「皆が許されていない領域において自分だけが制約を逃れる
 事が出来、通学や通勤程度に軽く考えて成功できる」

と言い換えることが出来ます。

カギとなるのは「出来そうにない」と諦めてしまう心理でしょう。これが個人毎に設定されていると考えられます。次からは「神懸った予想精度の向上」と「適用領域の拡大」の二つの視点で考察します。

●「神懸った予想精度の向上」のカギは?

例えば、

「うっかりして空き瓶にぶつかって倒してしまった」

という事があったとします。この時の一般解釈は「不注意である」「安全の為に瓶を片付けておくべき」となりますよね。しかし私は違う事を思いました。

「いやいや。瓶だけじゃないよ。良く見渡せば、あれも、
 これも、危ない物ばかりだった。単にそれらを無意識に
 回避して連続成功していたというだけじゃないか。そう
 いう意味では凄まじい限りの予想正解を達成し、たまた
 ま今回空き瓶で失敗したってだけになる。どんだけ予想
 精度高いのよ・・・僕ら人間は・・・恐ろしい」

つまり運が悪いと感じる方が間違っており「予想精度に狂いが生じ始めている」と捉える方が正しいのです。そして原因は脳の疲れでしょう。脳はAIのモデルとなったコンピュータなわけです。体調によってはエラーが多発するはずです(それでも可なりの精度で頑張っている)。という事は「体調に負荷をかけた」「脳が疲れている」等の根本の原因に対処しなければ「予想精度はさらに低下する」可能性がありますよね。

「運だと思っている人は脳の活力が下がっている事を怖が
 っておらず、対処しない傾向がある。そのため予想精度
 の低下が長期化し、運が悪いことが続いていると解釈す
 るのではないか?」

つまり「冷房の温度を1度下げただけで運が良くなる」という事があり得るという事です。勿論、ご本人は気がつかないでしょう。「出来て当然のことが出来ている」という状態に戻るだけだからです。それでも運は良くなったはずです(不運に見舞われる未来が減った)

「神懸った予想精度の向上」または維持のためには脳の疲れを取る事。とにかく体調の回復がキモとなります。

●「神懸った状態の適用領域の拡大」のカギは?

これはすごく簡単で「自分の責任である」と思う事がトリガの様です。他人の責任に出来る。または出来なくても責められないという心理が働くと適用されないようです。そのため一般の人の場合は「日常の中(=自分でやるしかない)」でしか起動しないようなのです。

例えば私なんですが、

「そういえば日本や世界、人類が責められると自分が責め
 られているように感じる」

と感じます。理由はありません。

「ああ、だから人類初とかそういう分野での神懸った状態が
 適用できるのか・・・」

なんでしょうね。

勉強が出来る優秀な人でも「偉人レベルの成果を出せ」と言われると「そんなことできなくても誰にも責められない」と思っちゃうわけです。この瞬間に「その領域では凡人以下」になってしまうんです。なので研究分野で発明が出来ないわけです。

ではその逆に「自分には関係ない」「それは自分の仕事ではない」の様に世界と自分を分けてしまうとどうなるでしょうか? 予想精度が下がり「神懸った状態」が去ってしまいます。そういう時は誰かともめたり、事故に巻き込まれたりするんです。予想と違う動きを他者がして驚いたり、予想と違う事が起きて腹を立てたりします。つまり運が悪くなるという事です。

「好きなゲームで初心者を教えている時。何故が自分は冴え
 ていると感じる。逆にバイトや仕事に出ると怒られるんじ
 ゃないかと思ってリラックスできず、頭が回らない。これ
 はバイト先の責任は店長にあると思ってしまったから?」

「おそらくそうだね」

「じゃあ、バイト先の責任は自分にあると暗示をかければい
 いいてこと?」

「そうだね。思うだけはタダだからね。実際に問題が起きて
 も自分が責任を取ることはない。責任を回避しつつ責任者
 と同等の冴えを手入れられる。お得だね」

「そうだね。何でみんなやらないんだろう?」

●総括

結局「この力を制御したい」の答えは出ました。「人類の進歩について誰かに責められたら申し訳ないと思う」と疑わない強い気持ちがあると「それに見合った能力」が解放されるというだけのようです。発明や研究をしている方々は恐らく「そのコツ」を活用していると思います。実は誰でもできるというわけです。逆に自分には責任が無いと宣言したジャンルに関しては能力が下がり事故ばかり起きるという訳です。

質問者さんは「世の中」と自分を無意識に分けてしまっています。

つまり運について「世の中に責任を追及したい」と感じているわけです。これは生きているフィールド全てで運が悪くなります。逆に私は自分が責められていると思って居たたまれず回答をしました。この心の位置の違いに興味を持ってください(暗示で何とかなるのだから)。

どうせ責任を取らないでいいんですから。思い込むのは自由ですし、こっそりそう思って居ても問題ないはずです。そして「世の中について文句を言いたい」という人に対して「世の中に代わって謝るくらい」は損ではないでしょう。そういう風に心が落ち着くと運が良くなるという訳です。逆に世の中を責め続けていると運の悪さが消えずどんどん環境が悪くなっていくはずです。その時には「どうしてこうなったんだろう? 誰が悪いんだろう?」と考えるはずです。そう考えてしまうと「自分の人生」に責任を感じていないとなりますので大変危険です。

・世の中に責任を取らせたいと思う人
・何故かそういう人に謝る人

この二種類がいるという事に気がつくのが大事です。

これは基本メタですので実践してください。

以上、ご参考になれば。
    • good
    • 0

流行りに乗ろうとすると起きる減少ですね。


ニーズは特定のサービスに集中しやすく、その場合コリジョンが発生するのは回避できません。おそらく嗜好がミーハーなのでしょう。もう少し独自の価値観を持てば競合は起きづらくなります。ただしニッチなニーズは最初から選択肢が少ない場合もあるのでバランスが重要です
    • good
    • 0

バイオリズムの波があるからです


https://www.n-p-s.net/biorhythm.html

あなたの言う通り良い事が起こっても良い事と実感していないだけです

そういう時はいつもと違う行動を取ると運気がグッと変わります。
    • good
    • 0

そんなことはありませんが。



それは予測が足りないんでしょ

予測して、その上で自分らしい未来をイメージして目指す

そうすれば思い通りです
    • good
    • 1

うーむ、あるあるといえばあるある、タイミング悪いといえばそれまで



悪いことって記憶に刻まれます

いい事が360日、悪い事が5日


人って360日当たり前と思う


五日だけが脳裏に刻まれます


私もそうですよ^_^
    • good
    • 2

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A