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人間の、おもい、発想、着想なんかは、どこから、やってくるのですか

A 回答 (3件)

無から有を作り出せるのは、人間の脳だけです。


脳の働きのメカニズムは少し解って来ましたが、感性、発想、着想が
産まれる要因は解明されてません。

指先で道具を使うので左脳が、言語を得て話すようになり右脳が発達
してきた事が解って来ましたが、脳の働きは何故??のオンパレード
です。
岡本太郎画伯が言いました、縄文人の方が優れていると。
文明の利器である道具を使う様に成り、右脳が劣化して、第六感などの
感性を失って来たのは、事実の様です。

日本では算盤塾が復活しつつ有るそうです、右脳左脳には、
大変に宜しい事かと。
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はっきりと云うなら自分の右脳からです、人間の脳の科学的な証拠です。

ウイキぺデアからです。是はてんかんの治療のために左脳と右脳を繋いでいる脳梁の切断を一つの治療の方法として行っていた時代の話です、沢山の脳梁が切断された人が存在していた時代の研究成果の一つです。

”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球がそれぞれ独立した意識を持っていることを実証した。

この場合の右脳と左脳の自我意識と云うものを脳卒中のために自らが体験して感じた事等を動画で発信している脳科学者がいますのでその動画を載せてみたいと思います。
 


次に左脳の機能の説明ですが、この説明は簡単に済むと思います、何故なら説明する必要さえもな無い位だからです、この機能は自我意識と云った意識だからですが、自我意識では単独には何も出来ない意識です。人間は馬鹿ですので『自意識単独で何もかもが出来ている』と錯覚をしているからです、この馬鹿さ加減を仏教では『無明の故』と修行の大切さを強調しています。

右脳にも意識がある事を先の記事で知った事と思いますが、右脳と左脳が機能的に完成に近づく時期が思春期頃です。アダムとイヴが知恵のリンゴを食べたという意味は』脳の機能分化が完成に近づいた。』という意味です。

今までは二つの意識が一つの者として機能していましたが、この機能分化を境に右脳の意識は『無意識の意識として』自意識の前から姿を消し去ってしまって無意識の背後から指示を出したり情報を呉れるようになっています。

詰まるところ心が二つになってしまって、『見ている自分』としての自分と『見られている自分』としての二つの意識として機能するようになります。

処がこの関係性が分かり難い事から。今の精神医学でさえも精神病とか神経症とかの原因が特定出来ていないとの見解になっています。処が神経症になって苦しんだ経験が有る者は、この原因と神経症の完治した姿をはっきりと指摘出来ます。

此処から右脳の機能を書いてみたいと思います。右脳の機能は生れる前から全てを備えている者です、生命として芽(受精)が出た瞬間から全てを心得て働きだす機能が備わっています。細胞分裂の順番でさえも全て知っています。そうして生まれてからの行動も、ホルモンの分泌も心臓でも肺でも筋肉の動かし方でも全てを備えて生まれています。

又心的には未熟な自意識を支えて、行動でも、感情の湧き上がらせ方でも、考えの湧き上らせ方でも全て備えて生まれています。髪の毛の色や肌の色でも全て知り尽くして生まれています。

聖書の中では、髪の毛一本でさえも白くも黒くも『自意識には出来ない』とも云っていますが、その意味は右脳の意識がその能力を握っていると云っています。

そうして恥ずかしいと云った感情を湧き上がらせていると云ってイチジクの葉さえも用意させています。神の存在をちらつかせています。

こう云った機能は全て命あるものには備わっています、この事を釈迦は『一切衆生悉有仏性』と云っていますが、命を働かせている意識(機能)という意味ですが、当然人間にも備わっています。

右脳の意識は言葉を持っていません、物事に分別を加えないという意味です。この意味は全ての事象を受容するという意味です。人間が受け取る運命に良し悪しを付けないで、受け取るという意味です。

こう云った脳梁の中での出会いを『自分自身を知る』と禅とか仏教では書いています。この現象とは脳梁の中で『ホットラインが開通した事を意味します。』ニ度と仲たがいとか心同士が矛盾しなくなるという意味です。

聖書風な言い方をするなら、今までのような出番争いをする事が無くなって、神の後からついて行くと云った意味です。

嬰児と書いている仏教も同じ事を云っています。脳内での言い争いが収まって(心の矛盾が解消して)脳内が大変に静まり返った状態がキープ出来る状態になっているという意味です。詰まり

『涅槃寂静』と云った境涯の事を云っています。

現代の精神医学では、ある種の勘違いをしているのかも知れません、それは神経症等での症状の扱い方についてです。神経症とか精神病などで症状と云っているものは総て『右脳からの情報の事です。』

恐怖症一つとっても勘違いしていますが、これに付いては死が恐いと云う場合では『死に対しての恐怖症』『タナトフォビア』とも云いますが、自意識が単独で『死にたくない』と強く願う現象です、処が右脳の機能としてはこう云った事から自意識を守る働きをする事が使命の為に自意識に強く助けたいと働きかけていますが、心の矛盾とか分裂と云った意味合いから右脳自身と右脳からの情報を嫌っています。

このやり取りが大変に苦痛とか生き難い想いとして感じられています。このために精神科医としては『右脳からの情報が和らぐと云った効能の或るものを処方しています。』処がこの薬効が切れると元の木阿弥になっています。

死の恐怖に対しての効用は釈迦の言う通りに、自分自身を知ると云う処に在ります。死にたくないと云った自我意識が苦しむ長さはその死を受容するまで続きます。

従って若い時に悟りを開くという場合では、その若い時から死ぬまで安楽な心持が続くという意味になります。本当に死ぬ場合でも同じです。死を受容出来た段階で『死の恐怖は無くなって=安心感に変化します。』

キリスト教でも仏教でも魂の救いという場合では命が助かるという意味では無くて、人生には救いなどは無かった事を実感(納得)する処に在ります。

それは脳梁の中での出逢いを意味します、この意味が分かると魂の救いが成就する瞬間を意味しますが、右脳の意識が『永遠からやって来た事が分かるという意味です。』

各種の仏典にもあるのかも知れませんが、禅などにも表現されています。『生死の問題が解決する』と表現されているものです。

人間の苦しみの原因は右脳からの救いの手を遮っていた事に拠っています。

又強迫観念とか強迫行為等も同じです、自律神経失調症なども同じです。自分自身からの信号(情報)を死の恐怖と同じ様に取り違えている事に拠っています。

パニック障害の心の裏側を説明して後はそこから汲み取って頂けたら有り難いと思います。

漠然とした得体の知れない不安感が在りますがこれなども右脳からの情報の一つです、目の前の小さな不安が在りますがその不安をそのままにして受け取る場合ではそれで終わりです。是が健常者の心持です・

パニック障害に陥る場合では、小さな不安を着信拒否をする場合です、そのまま受け取る事をしないで、送る主に返しています。送り返された場合ではその送り主は、送り返された事から次には少し大きく拡大して送っています。

この繰り返しから、恐怖感にさえもなっていますが、それさえも送り返されなら、恐怖感よりも大きいもの『パニック』にまで拡大されています。

自分の心の中で感じたくないと加工する事から、更なる大きさにしています。

入ってくる情報に好き嫌いするなという事を云っています。たったこれだけで苦しむ場合があるという意味です。森田療法家が『在るがままに』と云う意味になっています。
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類推などの推論機構が挙げられます。

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