一回も披露したことのない豆知識

まぁいわゆる思春期にその「偽りの平等信仰」にとりつかれました。だから、

『人生とは、苦労や惨めさや悲しみを体験するほど、その反動として素晴らしいことが起きて、自動的に釣り合いが取れるようになっているのだ』

これが万人に起こるという何の根拠も確信もない思考です。

『背が高いやつも低いやつもいるように、幸福な人間も不幸な人間もいるのだ』

というただ事実を見つめればそういう結論にならざるを得ないのに、それに対して突っ張って拒絶していたという正に中二病につかれていました。

それはだんだんと薄れてはきたものの、長く影響を残して、

『苦労さえすればいいんだ、苦痛さえ忍べばいいんだ、そうすれば自動的に報われる』

という思考法から抜け出ることができず、幸せな人も不幸な人もいるという認識には近づきましたが、なお世の中の現実に素直に向き合うということはできずに20代に突入したと思います。その後も限りなく薄まってはいるものの『そうであるべきだ』という考えは捨てられず今日に至ります。

おそらくなのですが、倫理社会で習うような、またマスコミ的に触れこまれているような、人権思想平等思想というものにも感化されて、私のいたるべき結論を阻害されました。この点学校教育やマスコミを恨みます。

『理不尽なこと、不条理なことこそ人生人間社会の真実であるのだ』

と早くから気づき納得することが人生を円滑に間違いなく送るのに必要なことです。なぜならそれが真実だからです。真実を認識できずにいて何の人生対策ができるでしょうか?

で問題は、そう分かっていながらまだその余韻から覚めないでいるということです。だから、あからさまに「うわーこれは不公平不平等だ(-_-メ)」という事項に会うと納得がいかずモヤモヤした気分になる。

どうしたら、人間社会、幸せなやつも不幸なやつもいるということを心から納得して迷いなく生きれますかね?世界は美しくないのだという意味と程同義です。

もちろんそっからの対策とは別の話です。だからこそ〇〇していくのだ!というのはこの質問の趣旨を超えますので、そちらのご回答はご遠慮してくださると助かります。

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    いわゆる「親ガチャ」なんてのはシンプルな真理ですね。どうしても健康的に生活できない家に生まれたらどうしようもありませんね。

      補足日時:2024/09/18 13:10

A 回答 (7件)

この世界が不公平なのは、


神様みたいのがいて
管理している訳では
無いからです。

無管理だから、アトランダムになり
不公平になるのです。




どうしたら、人間社会、幸せなやつも不幸なやつも
いるということを心から納得して迷いなく生きれますかね?
 ↑
神がいないから、不公平なのは
当たり前。

こういう考えはどうですか。
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この回答へのお礼

いいですね!数学的ランダムと確率の世界ならば、なんら疑問はありません。

お礼日時:2024/09/19 11:40

前世がないという科学的根拠はありません。


また、地球上の生物を考えれば、人間であった可能性は低いと言えますが、ゼロとは言えません。
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この回答へのお礼

そのような低確率は無視しないと議論が進みません。小数点以下何桁で切り捨てるのが社会常識でしょう?そんなこともわからないのですか?

お礼日時:2024/09/19 09:34

私は納得していてスッキリしています。


人生には言うまでもなく差があります。この差には必ず原因があって、偶然ではないと考えるからです。
つまり、自分の過去の行為による結果だと考えるのです。そうすれば、不公平だの不平等だのと言って世を儚んだり、拗ねたりしなくてよくなる。

仏教的考え方ですが、科学的考え方です。
科学は因果を追及するのに、人生については因果を考えません。それは、死後の世界、あるいは生まれる前の世界を科学的に考えることをしないからです。
何故かと言えば、「空」というものが哲学的に解決されていないからだと思います。分からないことをカットするのが科学だと言えます。
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この回答へのお礼

前世はありません。あったとしても人間種である可能性はものすごく低いです。

お礼日時:2024/09/19 08:29

この世は不条理なのだから、特に自分は不幸だと思いがちな人が、平等論の幻想に惑わされるのは当然のこと。


とはいえ、そういう負のエネルギーが、幸福な連中を打倒する革命エネルギーに転換されてきたのが過去の歴史だ。

だから、あくまでも革命を目指して、「不幸な自分を幸福にする」という意志を持ち続けることはそれはそれで意味あることだ。

しかし、革命を諦め、現状を納得させるというのも、もちろん有力な選択肢だ。それにも関わらず、不公平感不平等感に苛まれるのは、簡単に言えば、依然として他人と比較することが多いからでしょう。

解決策は、他人と比較することを止めることでしょう。
具体的には、他人を羨むのは良いが、それを自分の不幸に結びつけないことです。
所詮、他人は他人、自分は自分。なのです。どこまで行っても交わることは無いのです。場合によっては互いに見聞きしコミュニケーションも可能だが、生活空間は異次元の別世界なのです。何らかの事情で同じ家に同居したり、同じ職場で働いていても、決して同じ生物ではないのです。

多くのヒトが大谷翔平を羨んでいるでしょう。
しかし、だからといって自分が大谷翔平でないことを不幸だと考える人は少ない。
あなたも自分にないモノを持つ人を羨ましがってください。でも、それを自分の不幸に結びつけるのは止めましょう。
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この回答へのお礼

羨んでなお平常心でいるというのは、人間を超えています。

お礼日時:2024/09/18 22:21

人間は生まれながらにして不公平です。



多くの人は、それに気が付き、自分の力ではどうしようもない、と悟って生きているのでは、ないですか?

死だけは平等に来ますね。
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この回答へのお礼

その悟りが究極です。

お礼日時:2024/09/18 22:21

何をおっしゃるうさぎさん。



>どうしたら、人間社会、幸せなやつも不幸なやつもいるということを心から納得して迷いなく生きれますかね?

『法(憲法)』の基には平等なのですよ。

で、平等ではない部分。

それは命にある『宿業(善業・悪業あり)』というものが、縁にふれ表れているにすぎないのですよ。こればかりは、平等ではないですよ。人に依って違うのですから。

でもね、言っておきますよ。
『宿業(善業・悪業あり)』によって生まれる『宿命』は変えることができるのですよ。


参考:【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。
⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。
⇒以上、四悪種
・人 界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天 界・・・喜びの境涯。
⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁覚界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。
⇒声聞、縁覚二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏 界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十種の境涯が、一つも欠けることなく人(衆生)の生命に具わっている事を『十界具足』と言います。
そして、何かの縁に触れる事によって、瞬間瞬間にその境涯が変化していくのです。
その生命の奥底にある十種の境涯が、意識や言葉、表情や態度や動作にそのまま表れてくるのです。
そしてそうした事が関係して、自身の生活環境や地域社会を形成しているのです。
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この回答へのお礼

「法の下の平等」という言葉ほど怪しげなものはないです。形式上はという条件が付きます。宗教的なことについては読んでもわかりません。

お礼日時:2024/09/18 22:23

人生は不平等です


タバコ吸いまくっててもガンにならない奴もいるのに、健康生活しててもガンになる奴もいます
大量に酒を飲んでも平気な人もいれば、少し酒を飲んだら真っ赤っ赤になって潰れる人もいます
これは生まれつきの体質が不平等だからです
体質だけでなく、能力、経済力など全てが最初から不平等です

しかし、少しの酒で潰れる人は、酒に大金を流して財産を失うことはありません
のでそれが因果応報となってる部分もあるので
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この回答へのお礼

マイナスでしかないものに、なにか突破口があるというのはありますね。「ピンチがチャンス」的発想です。

お礼日時:2024/09/18 22:24

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