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南北戦争で、ロスチャイルドは南軍を支援していたんですか?

A 回答 (4件)

史料からロスチャイルド家は南軍を積極的に支援していなかったことが証明されています。



19世紀にスペインで絶対王政から立憲制に移行する過程で内戦が勃発し、これがキューバ経済とロスチャイルドのビジネスにどれだけ影響を与えるかを調査するため、ロスチャイルド家の代理人としてオーガスト・ベルモントが渡米し、ニューヨークに事務所を開設していました。ベルモントは、ロスチャイルド銀⾏が⽶国で発⾏したさまざまな政府債券や鉄道債券を取り扱いました。そしてロスチャイルド銀⾏のためにを儲けるだけでなく、ベルモント
自身も富豪となり、すぐにニューヨーク社交界で出世を始め、1853 年にはオーストリア領事、次いでハーグ⼤使となり、後に米国⺠主党の指導的⼈物となったのです。

そして、南北戦争の時期にベルモントは戦争の情報について多くの手紙をヨーロッパのロスチャイルド家に出しています。その手紙の内容はすべて北軍を支持する立場から書かれているため、ロスチャイルド家やベルモント⾃⾝が南軍を積極的に⽀持したという主張は否定されています。
ロスチャイルド家もベルモントも反戦派であり、親連邦派の姿勢を示しています。手紙の中で、南北戦争は南部の政治指導者に責任があると書かれており、南部の指導者は「利⼰的で陰謀を企てている」、「⾃分たちの党派感情から⽬を背けることができない」と⾮難されています。

そしてベルモントは、第⼀に連合側が負ける危険はないということ、第⼆にロスチャイルド家は影響⼒を使って英国政府を説得し、紛争の早期終結を確実にするために紛争の調停役を務めるべきだとロスチャイルド家を説得しています。ベルモントはライオネル・ロスチャイルドに「もしジョン・ラッセル卿および政府内の他のメンバーに対するあなたの影響⼒によって、英国内閣がそのような措置を取るよう⼿助けできるなら、あなたは計り知れないほどの害悪と流⾎を防ぐ⼿段となるでしょう。⼥王はこの国で⾮常に尊敬され愛されているので、ニューカッスル公爵やエルギン卿のような特別⼤使による⼥王の仲裁は確実に成功するでしょう。」と書いています。

ベルモントの1861年の手紙からロスチャイルド銀⾏は⼤⻄洋の向こう側の出来事についてよく知っていて、ベルモントの情報に基づいてアメリカの株式や事業に関して決定を下していたのです。

オーガスト・ベルモント
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC …
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この回答へのお礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2025/03/10 12:09

南北戦争におけるロスチャイルド家の関与については、さまざまな説があります。

一部の情報によれば、ロスチャイルド家は南北双方に関与していた可能性があるとされています。例えば、北軍を支援するために資金提供を行った一方で、南軍にも別の代理人を通じて資金を提供したという話もあります。

ただし、これらの主張の多くは歴史的な証拠に基づくものではなく、陰謀論的な要素が含まれることもあるため、慎重に受け止める必要があります。
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南北戦争前の米国の状況は、北部の工業経営者たちが、産業革命に先んじていた英国よりもコスト高で経営に苦しんでおり、その一方で南部の綿花産業は、英国の繊維工業に原材料を供給することで大繁栄していた。



困っていた北部工業州は、次の政策を連邦議会に要求していた。
①英国産工業製品を米国から締め出す保護貿易。
②低賃金労働力である黒人自由民を大量に確保するため、南部が綿花農場で大量に所有している黒人奴隷を解放して自由民とし、北部の工場労働者にも自分たちの意志で就業できるようにする。

この政策を公約にして北部側の大統領候補に伸し上がったのがリンカーンだ。リンカーンは若い頃からインディアン虐殺活動に積極的に参加するなど、米国歴代大統領の中でも屈指の人種差別主義者だったが、そのリンカーンが早めに暗殺されて黒人奴隷解放の象徴になったのは運命の皮肉としか言いようがない。

英国のロスチャイルドが、英国に押されていた北部工業州ではなく、英国と組んで繫栄していた南部に加担していたのは当然のことだろう。

ただ、リンカーンの奴隷解放宣言が転機となって、英国世論も含む欧州世論全体が、奴隷制度を維持し続ける南部から、奴隷解放を宣言した北部支持に一変したのだ。
南部産の綿花を使った衣料品の不買運動や、そもそも南部を海上封鎖して貿易船の出入りを妨害するような活動まで盛んになった。
欧州は早くから人権意識が高まっており、農奴の解放とほぼ時を同じくして黒人奴隷も解放していたのだ。

こうなってはロスチャイルドもなかなか南部と良好な関係を続けるのは難しくなってしまう。実際のところ、奴隷解放宣言以後は急速に南軍の勢いも無くなっている。
リンカーンは北部の黒人自由民の代表に次のように述べている。「私は黒人奴隷を解放すれば戦争に勝てるなら解放する。奴隷制を維持すれば戦争に勝てるのなら維持する」。リンカーンは奴隷解放宣言が、北部工業州が南部綿花州に勝利する決め手になると確信できたときに奴隷解放宣言を発した。そういうことになる。
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ロスチャイルドは力を付けてきた米国の国力を削ごうと南部について米国の南北分断を画策していました。


南北戦争時代ロスチャイルド家の陰謀によるものだったわけ。
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