アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 ずばり、タイトルの通りです。

 木曽義仲が近江で鎌倉方に討たれた後、義仲の愛妾である巴御前はどうなったのでしょうか?

 前回のNHK大河ドラマ「義経」では、京都近くの「義仲寺」で尼となって義仲らの霊をとむらった、というナレーションがありました。
 しかし、いろいろなサイトで調べてみると、生き延びて源頼朝の家臣の妻となった、というくだりもあります。
 ちなみに私は学生時代に、義仲と別れていったんは落ち延びたが結局は討ち死にした、と教わった記憶があります。

 どうやら、諸説様々ではっきりとしないようですが、あえてお尋ねします。

 巴のその後について、有力な一説をご存知の方がいらっしゃいましたら、どうぞご教示ください。
 何卒、よろしくお願い申しあげます。

A 回答 (2件)

こんにちは。


No.1の方の仰るとおりで巴御前の存在は歴史上不確かなものですのでその後の消息も不明です。
一般的な説としては和田義盛の妻となったというのが有名ですが、中には滋賀県大津市に木曽義仲を祀った「義仲寺」というのがあります。この寺はその地で一人の尼が義仲を弔っていたのが始まりとされています。言わずもがなですが、その尼は巴御前とされていますが、これも後世における創作ではないでしょうか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

 回答いただきありがとうございます。

 歴史上には、「後世における創作ではないか」との疑わしい出来事がたくさんありますよね。

 義仲の都での狼藉ぶりは許しがたいのですが、せめて巴には生き延びていてほしかったのです。

 あの時代にそんな強い女性がいたなんて、ちょっとまぶしいじゃないですか。

お礼日時:2005/06/29 23:29

そもそも「巴御前」は生まれも、死亡もはっきりせず


弁慶と同様に実在の人物であったかも不明です、はっきりしているのは、少なくても「女武者」というのは後世の創作だ、といわれています。
またこれも説ですが、義仲の死後、頼朝に捕らえられ
和田義盛の妻となり、朝比奈義秀を生んだ後、出家
して越後友松に陰そくした、といわれていますが、
これも不明です、

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4%E5%BE%A1% …
    • good
    • 1
この回答へのお礼

 回答いただきありがとうございます。

 武蔵坊弁慶が実在の人物かどうかは疑わしい、との説は知っておりましたが、まさか巴御前もそうだとは思いませんでした。

 しかし個人的には、強い「女武者」は実在していて、何とか落ち延びた、と信じたいのです。

 弁慶も巴も架空の人物だなんて、ちょっと悲しい気持ちがします・・・。

お礼日時:2005/06/29 23:22

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!