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 中国や西洋では、何千年も前かから馬車が使われてたのに対して日本では明治時代になってからやっと馬車がつかわれるようになりましたよね?
 牛車でなく馬車があれば便利高速手段となったと思うのですが。
 なぜ日本では馬は武士や馬借、馬の背に荷物を乗せて使われることまでしかなっかったのかとても不思議なのですが、そのことについて調べていますがなかなか答えに辿りつけません(ToT)そのことでプレゼンをやるひが近づいてのですかこのままだと、ぜんぜん満足のいくプレゼンができないので、どなたかお答えいただけないでしょうか?
 また日本では手紙も馬を使わず、飛脚を使っていたのかも調べてるですが、そちらのほうもお教え願えないでしょうか?

A 回答 (7件)

 日本で馬車が普及しなかったのは、地形の問題だけではなく歴史的背景も大きかったのではないでしょうか。



 まず古代日本では「魏志倭人伝」に「日本には馬がいない」と記述されているほど、在来馬が少なく家畜化もされていませんでした。そして古墳時代になると大陸で家畜化された馬が海上ルートで輸入されるようになりますが、重要輸入品目として王族が掌握し権威の象徴としていました。やがて馬が持つ機動力が注目されるようになり、軍用としての価値を見出され統制管理されるようになります。

 奈良時代から江戸時代にかけて、馬は軍用として重宝され続けました。それ以外にも農耕用、運搬用として需要が高く常に品不足の状態だったと言われています。しかしそれらも朝廷や幕府によって厳しく管理されており、人々も貴重な馬に荷や車を引かせるのを嫌って、比較的頭数の多かった牛が「牛車」として馬車の替わりに使われています。当時の人々がいかに馬を特別視していたかは、いまも全国各地に残っている「馬頭観音」という石像を守り神と考え信仰する風習や、馬を題材とした祭りなどからもうかがえます。ちなみに馬は神への貢ぎ物として珍重され、現在も神社でよく目にする「絵馬」は貢ぎ物の馬を簡略化したものです。

 江戸時代になると、馬の軍用としての役割は低下しますが、各村々での馬飼育状況は「予備役」として調査され、「馬籍簿」という台帳で管理されます。幕府はいくつもの直轄牧場を経営し、諸藩も藩営牧場を経営しました。また馬術も盛んとなり、幕府は練武場を作り武士に馬術を奨励します。東京にある「高田馬場」という地名は幕府の練武場が由来です。

 このように、西洋と比べると日本において馬は幕府や朝廷が管轄する貴重品でした。ですから馬に車を引かせるということはできませんし、そもそも人々の感覚になかったでしょう。こういった歴史的背景が日本で馬車を普及させなかった一つの要因ではないかと思います。
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 以下はあなたが050711に美術のカテでご質問している内容です。

重複質問は禁じられているはずです。あちらにはかなり力を込めて詳しく回答を書きましたので、削除されないうちにぜひ読んでください。

 西洋や中国では、何千年も前かから馬車が使われてたのに対して日本では明治時代になってからやっと馬車がつかわれるようになりましたよね?
 牛車でなく馬車があれば便利高速手段となったと思うのですが。・・・・・・以下略
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ただの思いつきですが、日本には草原が少ないからじゃないでしょうか。

馬を育てる牧草が足りません。モンゴルのように広い土地がなければ、大量の馬を飼育できません。日本では、平地や斜面は、できるだけ棚田や段々畑にしてきたわけです。日本でも、むかしから馬の産地とされているのは、関東とか東北とか、地方です。関西には人口の割に土地がないからでしょう。

また、山や起伏が多い地形は、舗装路を造るのに適していなかったと思います。その代わり周囲を海に囲まれ、河も多かったので、水運が発達しています。運河や河川の付け替え工事は、よく行われていました。広い舗装路を造るよりも、運河を造る方が効率がよかったのでしょう。商品を運ぶことを考えれば、馬車で陸地を運ぶよりも、船を使った方が大量輸送が可能で有利です。

江戸の街は堀が張り巡らされていたので、船宿がたくさんあって、タクシー代わりに船が使われていたようですよ。

江戸時代以降は、政策も影響しています。馬は刀と同じく軍用品ですから、非戦闘員の使用を制限したわけですね。身分をはっきりさせるのにも使われたため、武士以外は馬に乗ることができませんでした。幕府や大名は庶民のための郵便制度を作ったりしませんから、商業が発達して通信網が必要になったとき、商人が作れるのは飛脚網だったのでしょう。身分制度のせいで人足は馬に乗れないから、走るしかないんです。

それから、江戸幕府の政策で、大きな河に橋をかけることは認められなかったので、道路を舗装しても馬車は河を渡ることができません。そこでいちいち荷を積み替えるのなら、最初から船で回った方が早いということになるのでしょう。歩いて渡れるような水深が浅い河だと、大きな船は使えませんし。

ちなみに日本馬は、背は低いけど力は強いのじゃないかな。日本馬による輓馬競争がさかんな土地があると聞いたことがあるように思うのですが。
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こんな説があるようですね。



参考URL:http://www.geocities.jp/koyanagimeijin/2003-1.htm
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馬好きの人から聞いただけで確認してない


のですが、今日本にいる競馬などで
使われているサラブレッドといった
大型の馬は、明治時代に西洋から
輸入した馬なんだそうです。

 もともと日本にいた馬は、
今のロバやポニーのもっと小さく
したもので、大人がまたがると
足がついたそうです。

 今NHKで義経とかやってますよね。
たまたまこの間の日曜に、坂落としとか
いって、平家の陣へ裏の急な斜面から
馬で駆け下りるというシーンを
やっているのを見ましたが、実際には
人間が馬をかついでそーと裏山から
下ったと言われています。
 かつげるほど馬が小さかったんですね。

 明治時代になって、中国大陸とかで
戦争をするようになって、中国や
ロシアの騎馬隊とか戦うのに、
さすがに不利だということで外国の
大きな馬を輸入して育てるように
なったそうです。

 大人が乗って足がつくということは
昔の日本の馬は、今のひつじくらいの大きさ
なかったと思われますから、とても
馬車を引く力はなかったんではないかと
思います。

>また日本では手紙も馬を使わず、飛脚を使っていたのかも調べてるですが、

 時代劇なんか見てると、緊急のお知らせには
早馬とかいうのが出てきますよね。
早馬というのが実在したのかどうか
分かりませんが、あっても武士しか
使えないといった制限があったのでは
ないでしょうか?  
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単純に道が整備できなかったのだと思う。

なんたって、日本は島国で、どこへ行くにも峠を越えねばどうしようも無かったのですから。今でも、少し雨が降っただけで土砂崩れが心配されてますもんね。とてもじゃないけど、重機の力を借りねば、道は作れなかったのだと思いますよ。僕が生まれた頃、今から40年前でさえ、未舗装の道が殆どでしたもの。
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日本は山が多く峠などは木の根が張り出したりおおよそ登山道に近い状態でした。

また大名などがとおると、土下座する習慣がありましたが、荷馬車などの退避場などもありませんでしたので、物流はもっぱら海を使った為、陸路輸送は発展しませんでした。
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