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子供の頃のとある日祖母が「あなたは源氏の末裔で義経の子孫なの」と言い家計図のような物を見せてきたが、そもそも義経に子息は居たのか?(色々と説はあるが・・・) 個人的には源姓が欲しくて先祖の誰かが大金でも積んで加わらせて貰ったのだろうと考えているが・・・
日本人は源氏か平氏しか居ないなんて言う人も居るがどうなのでしょう?

gooドクター

A 回答 (7件)

…別に難癖をつけるつもりはありませんが、可能性を100%否定することもないと思います。

ご存知かもしれませんが、その昔は性に対する倫理も現代ほど厳しいものではなく、祭りの日でもあれば(言い方は非常に悪いものですが)フリーセックスの行為もあったといいます。あるいは閉鎖性の強い地域であるならば宿を借りた旅人に村の娘を差し出すことも珍しくありませんでした(そうやって“血”が濃くなりすぎることを未然に防いだ)。家康の先祖だってそのような事柄がきっかけで三河に定着するようになったという説があります。

また“逆賊”視された平将門の子孫だって、義経の叔父である源行家の子孫だって、一見“皆殺し・根絶やし”にされて存在しないようにも思えますが、実は生き残って後世に名を残しました(豪族が便宜上“私は○○○○の子孫、末裔である”勝手に名乗っている例も多々含まれますが…苦笑)。

名もない旅商人に対してですら“娘を差し出される”ようなことがあったのですから正統な清和源氏の後継者の一人である義経に地方豪族などがその娘を喜んで差し出したり、あるいは遊女などの妻妾の一人がこっそりと子供を残したとしても、それは(正式な)「歴史書」に残されていないだけで、可能性としては全くないとはいえないのではないでしょうか。
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義経には、正妻に3人、静御前に1人の子供がいたことは間違いないと思われますが、前者は平泉で両親とともに死亡、後者は頼朝に海に投げ入れられて死んだとか…。

いずれも史書にあるだけですから、正確かどうかは分かりませんし、前者は父親ですら実は逃げたという伝説が数多く残っていますので、もしかしたら…ということもあるかもしれませんね。
もちろん、その他の女性との間に子供があったかもしれませんが、鎌倉幕府の追捕を受けたという話しは聞いたことがありませんから、表立った義経の子供は、他にはいなかったと思われます。(鎌倉幕府は、相当厳しく調べたと思われますので)
なお、源や平は、藤原、橘などと同様、天皇の子孫から発した姓で、その子孫は直系を除いて新しい姓を名乗っていますから、例えば足利にしても徳川にしても、公式文書では源姓を名乗っています。
が、源氏=頼朝や義経の系統だけではなく、源氏といってもほとんどつながっていない系統もあるのです。頼朝も義経も公式には断絶していますので、、質問者のご家系は、源氏であっても別系統だと思います。更に、言われるとおり、戦国時代などは他人の系図を買ったり奪ったりしてしていますので、本当のところはなかなか分かりません。
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世の中に存在する系図のほとんどはでっち上げであると言われています。

質問者様の先祖が、どこかの藩のれっきとした藩士で、明治維新以後の系譜がはっきりしているのであれば、「その大名に仕えた後」の系譜は本当でしょう。それ以前は、伝説と考えておくべきです。

ちなみに、私の家は17世紀半ばくらいからは某藩の藩士でしてたので系譜がはっきりしていますが、それ以前のことは私の家には何も伝わっていません。復刻されている藩の文書を見ると「某戦国大名に仕えていた」と書いてありますが、これは某藩に仕官する時に私の先祖が言ったことを記録しただけでしょう。真偽は知りませんが、系図には、清和源氏の誰それの子孫と言うことで書いてあるようです。もしかしたら、源義経の子孫かも?(笑)

源義経の子孫は、現在知られている歴史では存在しないとなっているはずです。ですが、No5の方が言われるように、公にならない範囲で義経の子供が何人もいたとしても全くおかしくありません。貴人のDNAが、今よりずっと残りやすかった時代です。

あまり聞いたことはないですが、質問者様のように「源義経の子孫」という伝承を持つ一族は結構存在するでしょう。ただ、その真偽を判断するのは実質的に不可能です。
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 源義経に子孫は居なかったでしょう。


 
 江戸時代,幕府や藩に仕官する際に家系図を提出しなければなりませんでした。しかしどの家にも家系図があるわけではありませんから,家系図を作成する店がありました。源・平・藤原・橘の四姓のいずれかの末裔であるというような家系図を作って売る商売です。ですので,実在の人物から架空の人物を経て,わかる範囲の自分の先祖に繋がって自分に至るという家系図を作ってくれたのです。
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この回答へのお礼

ブランドですからどえらく高かったんでしょうね。

お礼日時:2005/07/23 12:33

源氏の末裔はともかく義経には子孫はいませんので・・・


また生き延びてモンゴルに渡りチンギスハンになったとか富山の井口村には義経落胤の伝説があったりしますけど眉唾ですしね

家系図がどこまで辿れてどこまで信用できる物かがわかりませんが源氏の末裔は計算上2000万人くらいはいますので確率的には源氏の末裔はあり得ます
平氏もそのくらいはいますね
でもどちらの血も入ってない人もいるでしょう
とくに沖縄や九州南部や島はそうでしょうね
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この回答へのお礼

とある国で秀盛という平氏系(いかにもそれっぽい)の友人と仲良くなりましたが、そこでは源平の確執は起きませんでした(笑)

お礼日時:2005/07/23 12:23

源義経には公式には子供はいなかったとおもいますが、どこかで夜伽の相手をした女性に子供ができたこともなくはないでしょうからまったくありえないこともないでしょう。


それににしてもそのころからの家系が間違いなくわかるのは天皇家と上流の公家、鎌倉以前から続く上流武士くらいで、あとは本当の家系なんかわかりません。
鎌倉以前から源氏だの平氏だの藤原氏だのを名乗っていても実際は他姓なのに養子となって名乗っただけというのも多いですかし、江戸時代の大名はほとんど源平藤橘のいずれかの姓を名乗りましたがほとんどはでたらめです。
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この回答へのお礼

静御前の埋められた子が実は替え玉だったとかなら面白いのですが・・・

お礼日時:2005/07/23 12:12

いなかったでしょう。


モンゴルに渡ってジンギス汗になった説その他、生き延び説は沢山ありますから、生き延びた後の子孫と信ずるのは自由ですが、人前では口に出さない方が良いと思います。
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この回答へのお礼

そうですね。気を付けます

お礼日時:2005/07/23 11:47

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