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昔の絵の中に虎が描かれていることってありますよね?
それで、前から思っていたのですが・・・
なぜ昔の人が虎を知っているのですか?
昔は日本にいたとか??トラって日本の動物じゃないですよね??笑
くだらない質問ですいません、回答おねがいします。

A 回答 (9件)

たしか、江戸時代の川柳に「虎はなんと鳴くかと聞かれ儒者困り」というものがあったと思います。


質問に対する回答ではありませんが、当時の虎に対する認識と中国古典にしばしば登場する虎のことを話題にした先生の様子がいきいきと伝わってくる感じがします。
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この回答へのお礼

えっと・・・一括ですいませんm(_ _)m
みなさん、たくさんの興味深い情報ありがとうございました!!
謎が解けてとってもスッキリです。
しかも、龍がいたかもしれないとは!!!!
そういう話大好きです!!
皆様本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/11/01 23:27

ご質問のとおりトラは日本にはいませんでした。


でも、中国等から絵や文章として伝わってきているので、画材として取り上げられることも多かったのではないでしょうか。
その場合は、中国などから輸入した絵や、毛皮、猫などを参考に描いたのではと思います。
ですので、昔の虎の絵はみんな目がかわいい。猫の目ですね、きっと。
あと、うろ覚えですが、昔の日本では虎はオスで、メスは豹だと勘違いしていたそうです。
さらに蛇足ですが、十二支で、龍(辰)は実在しませんが、虎と並んで羊も実在しするのに、日本にはいなかったと思います。
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日本人のたとえば日清、日露戦時の朝鮮認識について「朝鮮なるものは、山は禿、田畑は痩せ、虎は山野を横行し、一部の貴族学者は陰謀排擠是れ事とし、大部の者は白衣をまとい、長煙管をくわえて、悠然、豚小屋然たる所に、閑眠を貪り、栗や稗を主食とし」というものであったそうです。




パンダと高句麗
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/koukuriga …
貿易で毛皮を輸出していたみたいです。

朝鮮半島史
http://164.46.101.235/topic/history/0105lee.html

秀吉は淀君との夜の生活上、精力剤を欲しがった。それには虎の肝が効くと言うことになり、今度は虎退治が盛んに行われた。遂には秀吉が「もう、虎の肝は要らない」と悲鳴を上げるほどだったという。一説では、秀吉の死因は、食べなれない虎肝を食べ過ぎて胃腸を壊したためとも言われている。
清は李氏朝鮮に対し、過酷な歳幣を納めるように命じる。それは、1637年から1895年まで258年間も続くのである。その中には、虎の皮もあったために、19世末までに朝鮮の虎は絶滅状態になったほどである。

遣唐使の頃から「虎画」が伝えられているはうなずけるわけです。江戸時代は「猫」を参考にして描かれていたらしいです。野生虎は中国、インド、シベリア、朝鮮に見られ、日本では棲息していないために、勇猛果敢な千里を駆ける霊獣として力強いイメージを持たれ、「虎屋」とかの屋号で使われてたりしていました。
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日本にはいませぬが、中国やインド辺りには生息しとるそうです。


よく、漢詩なんかで出てきますしね。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、とか、悪政は虎よりも酷い、とかなんとか。

絵でも一杯伝わってます。
日本の江戸時代の画家、円山応挙さんは、見たことない虎を書くために猫のスケッチをしたそうな。

ほら、今でもドラゴンとか竜とかに憧れる人はいるでしょう?昔の人にとって虎って言うのは竜や麒麟なんかと同じだったのかもしれないです。
むしろ、遠い彼方で実際に存在する、という分、竜なんかよりも人気があったのかもしれませぬw
十二支でも存在しますし、昔から虎は妊婦さんや子連れのお母さんの守り神だったそうですし。
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中国の殷(商)から周にかけての中国では、サイやゾウなども含めてさまざまな大型の動物や、今やその生態が分からなくなっている動物や鳥類がまだたくさんいました(龍も飼育係がいて最後のつがいが死んだときに食べたと言う記述があります・・・)。



こうした中で神獣として取り扱われ、東西南北の守護神として古くから取り入れられた動物に「青龍・白虎・朱雀・玄武」があります。これらの造形は中国である程度様式化されたのちに日本へ輸入されます。

玄武は亀の甲羅をもつ蛇の形の北方の守護神ですが(似たような亀が実在しますが・・・)、あまり独立した形の画材や造形としてお目にかかることは少ないようです。一方で、その他の龍や虎、朱雀(鳳凰)は繰り返し、単独の画材や造形として用いられていきます。

虎は実在の動物ですが、長い間日本人にとっては神獣の一つ、想像上の動物だったと思います。それが実在の動物と認識されて、画材として流行するのは秀吉の朝鮮出兵以降ではないでしょうか?
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十二支然り、高松塚のにある四神(白虎、朱雀、青龍、玄武)然り、


中国から伝わって来た仏教や絵や風習は渡来人によって書かれ、
教えられ日本に定着したものと思われます。

主に風邪に使う「白虎湯」「小青龍湯」も中国から伝わった漢方薬として
今でも名を残して売られています。
http://www.kanebo-ns.jp/product/01_syouseiryutou …

参考URL:http://www.asukanet.gr.jp/ASUKA2/TAKAMATUTUKA/ta …
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加藤清正の虎退治は有名な逸話ですが、


朝鮮半島に虎は生息していたようです。

大和時代、日本は朝鮮半島の一部を領土としていましたから、虎に対しては相当昔から知識を持っていたに違いありません。

また、十二支でも伝わり、竜の絵のごとく知識として伝播したのだと思います。

沖縄のシーサーのごとく、
見たことないけどみんな知ってるよ。
そんなの常識。タッタ、タリラーラ。

こんなマルコ状態なのでは?
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 確かに日本にはいませんが、インドや中国、朝鮮、東南アジアには生息しています。


 これらの国からその生態が伝わったのです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9
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絵としての情報が、中国から伝わっています。


中国はさまざまなものが集まる都市がありましたから。中国には、インドや東南アジアから伝わったのでしょう。
駱駝や象、麒麟や龍、鳳凰なども伝わって絵になっていますね。
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