映画のエンドロール観る派?観ない派?

戦争をやる上で、敵国の情報を仕入れることはとても重要なそうですが、例えば第二次世界大戦や太平洋戦争では各国はどのように情報を得て、それをどのように活かしたのでしょうか?教えてください。

A 回答 (8件)

情報戦の雄は英国です。

  これは第一次世界大戦の教訓もあり普段から外交電文の蒐集、解読技術の開発を心がけていました。
戦時は殆どの命令や連絡が暗号電文で飛び交うのでこれらの傍受、解読は緊急業務で特別の機関あ編成されました。
英国は日中戦争中から日本軍の電文を蒐集し、解読していました。

この情報をアメリカに提供し、アメリカも同様な機関を設けたのです。
従って日本の外交電文、軍事電文は内容が相手国に筒抜けの状態でした。
米英はこの事を極秘にしていましたから日本は開戦後も暗号を変更する事なく気付くこともありませんでした。
真珠湾攻撃、南方戦略、山本連合艦隊司令官の迎撃、ミッドウエー海戦の悲劇はいずれも英米の情報戦の勝利でした。
日本軍は暗号の強度を過信し最後までこの事に気付きませんでした。

南方島嶼の攻撃前に、空中偵察により日本軍守備隊の宿舎、トイレの数を分析し、正確に兵力を算定し殆ど差は無かったといいます。 これも日本軍がトイレの使用人数を一定に定めている事を利用したのです。
そしてこれに数倍の兵力を集中して攻撃しました。
また日本兵の戦死者の日記やメモを蒐集分析し部隊の出身地、移動の履歴なども調べ、関東軍の精鋭が南方戦線に移動し、満州が弱体化している事実も探知していました。
この為に日本の方言の研究訓練も要員に施していました。  またこれからヒントを得てナバホ族の言葉を暗号に取り入れて使用し解読不能にする事も行ったといいます。

空中偵察写真の精密分析技術も英国は傑出しており、それを逆用してアフリカ戦線で兵力の移動の痕跡を隠し、都市の位置を変更し爆撃を無効にしたのは有名です。
ドイツのロケット研究所の発見も空中写真の分析からで、正確な爆撃でドイツは多数の研究者を失いロケット開発が一時ストップした事も有名です。

対日爆撃にも航空機工場の位置は正確に把握されて攻撃されました。
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日本に於ける情報戦・情報活動という例も少なくですがあります。


それも、大本営等の情報軽視の結果、有効に役立たなかった部分もございますが。

日本の例の関係ですと

秦 郁彦著
昭和史の謎を追う 下 第19章 失われた対米諜報-「東」情報と密偵ベラスコ 対米諜報網を設置せよ
文春文庫
があります。

下の方が紹介されている 
堀 栄三著
大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇
文春文庫
は良い本と思います。
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戦略ではなく、技術という事になって恐縮なのですが、米英ではABCと言う暗号解読器などもありました。

真空管を利用した、コンピュータの前身となる物です。後に開発されたENIACはこれらの技術が下になっています。
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孫子に、彼(敵)を知り己を知れば、百戦してあやうからず(孫子:謀攻編第三)といいます。


 ご存じの通り、戦力が100,80,60の3つの駒がある2軍が戦ったとき、相手の出方が分かれば、
 A:60, 80,100と相手の出る順番を予め知れば、
 B:80,100, 60で駒を出せば、二勝一敗で勝てる訳です。
 日本軍は、敵国のモノを感情的に扱いすぎていたと思います。英語を敵性語として排除したことなどです。
 また、米国は、零戦に優位をとられると、墜落した機体を回収したりして徹底的にその弱点を分析したのは有名な話です。その結果グラマンを作り、編隊対応とし、戦略までも零戦シフトを組みました。
 さて、いまの日本はどうでしょう。あれから進歩しているでしょうか。

【参考になりそうな本】
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俗に、日本軍では情報が軽視され、無謀な精神論ばかりがまかり通っていたので敗北した、と信じられているようですが、必ずしもそうとばかりは言えません。


通信傍受や暗号解読については、そちらの方面で当時世界随一の技術を持っていたポーランドの協力を得て、優れた技術者を養成していました。日本とポーランドはソ連を共通の仮想敵としており、利害の一致によってこの協力体制は成功したのです。実際、ソ連参戦の際、満州に侵攻したソ連軍の陣容について、関東軍司令部はほぼ正確に把握しておりました。知らなければ撤退せずに交戦して玉砕していたでしょう。彼我の戦力差を知る結果、非戦闘員を見殺しにして逃げたと言う汚名を残してしまったのは皮肉ですが。
それと、昭和19年冬から始まった風船爆弾作戦は米軍の正確な攻撃で頓挫したように言われていますが、実際には、アメリカに向かって吹く偏西風の季節が春になって終わったので、再度風の吹く昭和20年冬になるまで一時中断しただけである、と言うのが真相のようです。国内では次の冬に備えて、前年を上回る生産ペースで気球の製造が進んでいましたが、8月に終戦となったので使われずに終わったのです。
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日本は1944年冬にアメリカに対して風船爆弾によるアメリカ本土爆撃を試みました。

アメリカでは当初、この風船爆弾がどこから飛んでくるのか判らなかったのですが、やがて不時着した爆弾に書かれていた製造所を示す銘板から日本軍のものである事が判りました。そして、この爆弾に付いていた浮力調整用の砂袋の砂を分析します。
アメリカには戦争前に日本の各地から集めた土や岩石、砂のサンプルがありました。
このサンプルから、砂が千葉県一宮海岸、茨城県大津海岸、福島県勿来海岸の物である事を突き止め、この風船爆弾基地を爆撃するのでした。

アメリカは1920年頃から日本を仮想敵国として、対日研究を着々と進めていたのです。
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日本の場合は情報を軽視し、現実を分析しそれにもとづいて作戦や戦略をたてるのではなく願望にもとづいて作戦や戦略を立てていたというのはよくいわれることです。

また戦争が始まると敵国語を使うなと英語をつかわせなかったりもしています。
これに対して米国では、情報を重視し、戦争が始まると日本の情勢分析などに必要ということで日本語のできるものを増やすために教育の機会を増やしたりしていますし、もちろんいろいろな手段を使って日本や日本軍の情報を収集し、また得られた情報を展開するためにハンドブックのようなものを作ったりしています。
またいまのCIAの前身に当たるような情報機関の木曾も第二次世界大戦中に作られました。
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まず第一にスパイですね。

それから通信の傍受です。
通信は暗号化されて行いまずが、各国とも暗号解読にはしのぎを削って
いました。特に英国と米国はその最先端を行っており、日本の真珠湾攻
撃も見破られていたといわれています。
また、スパイではゾルゲ事件が有名ですね。これなどはスパイが政権中
枢の人間と繋がることで、戦争相手そのものをすりかえようとする大事
件でした。

参考URL:http://www.mitsubishielectric.co.jp/security/inf …
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