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「メンタルへルス」じゃなくて「スポーツ」カテゴリで質問した方がよかったでしょうか・・・ ?

タイトル通りなのですが皆さんは「才能」についてどう思います?

私の友人に運動神経が良い人がいます。
しかし聞いてみると特に運動もしていないとの事です。実際、その人は文科系です。
でもその人は筋力もあるし、足も速く敏捷性もあります。

しかし私は運動しているのに、その人には筋力も敏捷性も及びません。
この違いはなんでしょうか?

才能という物は存在しないと言われてきました。
しかし実際はどうでしょう?
誰だったか「才能とは100%中、1%にしかならない。99%は努力だ」
とか言ってますが、この言葉は敗者を笑っているようにしか聞こえません。

所詮、こんな言葉は勝者が吹聴する気休めであって実際は「努力50%、才能50%」
最後に物を言うのは生まれ持った才能じゃないんですか?
下手すりゃ努力なんて結局、1%にも満たないんじゃないですか?

なんだか負け犬の遠吠えみたいですが、よろしくお願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

「天賦の才能」とか言われますよね?


宝くじみたいなものじゃないですか、才能は。
当たらない人のほうが多い。

当たった人は運がいい。当たらなかった僕は、まあ残念だけどしょうがない。宝くじにハズレたからって落ち込んでられないですからね。
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がると申します。

ちょいと厳しい意見だと思うので適宜読み飛ばしていただければ。

才能というのは、まず間違いなく存在します。人間の能力を極限まで磨き上げるような、いわゆる世界Topレベルの領域において、才能というものは非常にシビアに反映されます。
努力によって覆すことが不可能とは言いませんが、才能のある人間が「同様の」努力をしてくれば才能がある人にはかないません。

「人間の能力を極限まで磨き上げるような」世界であれば。

「運動している」と「正しく鍛え上げられている」は別物です。少なくとも、一般人がどうこうしているレベルであれば、正しい鍛え方で十分に伸ばすことが可能です。
「最後に物を言うのは生まれ持った才能」というのは事実です。ただ、それは「最後」であり、己というものを最大限に把握し、能力を引き出しきった上でのお話です。

才能を、自らが「正しく」努力しない言い訳として使ってませんか?

ちなみに「正しい」努力ですが。
取り合えず文面中に筋力と敏捷力とあったので。
筋力については「何に使うのか」によって鍛える部位がことなるのですが、その部位ごとに様々なトレーニング方法があります。
敏捷力もほぼ同様に。各種スポーツで「アギリティ トレーニング」が色々あるので、参考にされるとよいかもしれません。
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運動もそうですが、頭の良さなども、遺伝や素質がかなり関係しているのかと思います。


努力をいくらしたところで、遺伝や素質にかなうものではないのかなと私の人生を振り返って思います。
私の親は、父親はバレーボール部と剣道部のキャプテン、母親はバスケットボール部の副キャプテンをしていたという経歴がありますが、私も妹も運動神経は良くなかったです。
水泳は小学校1年の時から習っていたので、他の人よりも上手で、クラスの代表になって練習に参加していましたが、大会の代表選手の座は逃しました。
勉強はそこそこできるほうだったので、勉強のほうで頑張ろうと思い、高校も進学校に合格し、国立大学を目指して頑張っていましたが、国立大学はさすがに及びませんでした。
家の方針で、大学進学するなら国立以外は無理とのことだったのですが、どうしても大学卒業したかったので、通信制の大学に進学しました。
通信制の大学では主席を取れましたが。
よく、スポーツ一家とか東大一家とかありますが、そういうところに生まれた人は、そんなにがむしゃらに努力しなくても、才能があるのかなと思います。
なので、私個人としての意見としては、努力である程度は何とかなるけど、最後の決め手は遺伝や素質、才能などで決まるのではないかなと思います。
突破できるところが、才能があるかないかで決まるのかなと思います。
ちなみに、ピアノを習っていましたが、妹は私より練習していましたが、私のほうが上手でした。
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スポーツで成功している人の要素として


・素質
・努力
・運
があると思います。

他に、かなり‘考えている‘と思います。
自分の弱点を知っていて克服法を考えている。優れた部分をどう生かすか考えている。強くなるためにはどうすべきかを常に考えています。

その運動神経の良い友人は自分の素質をどう生かすか考える、という努力をしているのだと思います。無意識にできてしまっているのではないでしょうか。

でも、そういう人はそこまででそれから先には行けないと思います。ある程度のレベル以上にいくにはそれだけでは駄目です。

めげずにがんばってください。
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基本的には競争の問題だと思います。

競争というのは目的は他の人が決めるものです。本来は才能は競争ではなく自分が何ができるかということです。例えば重いものを持てるが何を持ったらよいのか解らない人がいた場合、この人は才能があると言われます。しかしこのひとは才能を生かすことは無いでしょう。偏差値社会はこういう意味で怖いと思います。ご質問からずれましたが考えたことを書かせていただきました。
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う~ん


遺伝とかって関係ないと思うよ、私の場合両親・祖父母共に運動神経は並以上だったけど私達姉妹は鈍足・かなづち・球技怖いでしたので。

一番運動神経を決めるのに影響するのが親がどのようにその子に接するかです。
私の親の場合機械体操部を退部した本当の理由を打ち明けた時に
「あんたがあんな平均台の上で開脚をしたり回転をしたり出来るわけが無い」
だったのです。
小さい頃からも運動会はどんけつ
とか本番終わった後に言ったりとかで毎年やる気喪失でした。
速い子は親御さんが一緒に走りこみの練習をしたり、キャッチボールの練習をしたりしてました。(公園とか保育園でやってるのが見えちゃうんですよね…)

私の場合小さい頃から家にバドミントンがあったのでキャンプなどで父親や母親とラリーをしてたのですが
母曰く
「あれは私等から見たら出来取るうちに入らん」
これじゃ伸びるわけが無いと思いました。

その反面従兄弟妹は1人は会ってないので分かりませんが4人ともスポーツ万能です。親が誉めて育ててるので子供はやる気満々で伸びます。

勉強なども家の母親は私の事馬鹿扱い
従兄弟妹はたとえ出来ていなくても一応誉める

要するに生まれ持った天性があったとしても私の親みたいな考えの場合は本来の力が発揮できず並以下で止まってしまいます。
誉めて誉めて育てた場合本来備わった力以上に力を発揮して並以下の子でも並みの上までは力が発揮できると思います。

私は生まれ持った力40%
努力60%だと思います

重量挙げのおぼこい女の子(高校生だったかな?)が元オリンピック選手の父親の前で45kgの重量を上げて選手としてでましたが結果は出なかった…。
いくら生まれ持った遺伝的な体質はあっても努力して下積みをした人には負けてしまうという事です。

私の場合ラケットを初めは右で持ってましたが小学校5年生で左に転向をし2年間はスイッチヒッター状態で中学で完全に左でラケットを握るようになりました。
そのときの担任の先生が体育の先生だったので転向をさせるのに自信があったのだと思います。

あるきっかけで才能を発揮する場合もあり
あるきっかけで才能を壊す可能性もあり

素質はあっても努力を怠れば抜かれる
努力をしなくても力を出せる人もいる

例をあげたら切がありません。
スポーツで勝てないなら筆記テストで満点を目指すとかそれでスポーツ万能の子と同じ成績になる場合もあります。

何事も努力しないと後に下がりますよ
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まず、筋肉の質だけで言えば、友達のように俊敏性、瞬発力、爆発力、パワー・・・を担当するのが白筋という筋肉です。

この逆に持久力、耐久性を担当しているのが赤筋という筋肉です。前者は早い動きを担当していてブドウ糖をエネルギーにしています。後者は遅い動きを担当していて、脂肪酸をエネルギーにしています。

この割合は生まれつき違っているということもありますし、普段のトレーニングの仕方でもバランスが違ってくるんです。
おそらく友人は生まれつきなのか、後天的なのか知りませんが、白筋が質問者さまより発達しているのではないでしょうか?

もしかしたら質問者さまは体力、持久力があって、疲れ知らず、太りにくいという体質ではないですか? だとしたら赤筋が多いのか、発達していると想いますので、白筋を鍛えるように高負荷のトレーニングをすればいいんです。


才能はありますね。
でも鍛えれば賦活するというのも、この世の真理ですよね。
変えられない宿命はあるけれど、変えられる運命はあるんです。
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若い頃は自分にはない他人の能力が妬ましかったものですが、最近は以下のように開き直っています。



人間の能力というのは体力とか知力だけではなく、もっと総合的なものだと自分は考えるようにしています。プロのスポーツ選手の運動能力と私のそれとを比べてもお話になりませんが、様々な能力を点数化して足してゆけば彼我の差は大したものではなくなると勝手に解釈しております。芸術家やスポーツ選手は一芸に秀でているためにとても目立ちますが、その分どこか私より劣るところが必ずあると思うようにしています。
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そうですね


私も多少なりともあると思います
ちなみに、私は運動神経がないほうみたいです(^^;;
私はテニスを何年かやってましたが、初めてやった旦那さんの方が上手だったりとかよくあります
でも、筋肉が付き易い(何もしなくても既についてるとか)、運動神経は変えるのは難しいですが、
例えば水泳に関してなどは、後天的に練習をしないと生まれてすぐ泳げる人なんて
少ないと思うし、努力が勝つところもあると思います
どうせ才能ないし、、と努力することを諦めてしまうのが一番良くないと私は思います
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間違いなくそのとおりです。

才能、つまり遺伝形質です。
考え方、興味の対象、しぐさ、我々が思っている以上に遺伝子の影響は大きいです。太るとかやせるといったことも遺伝の影響が大きいことは確かです。
私は何を食べても太りません。しかし、何年もウェイトトレーニングをしても筋肉がつきません。体つきや体を動かすことに関しては特に遺伝の影響は大きいです。
趣味程度であれば要素はそこまでですが、仕事の成功となるとさらに「運」の要素が33%ほど占めてきます。いくら努力をしても素晴らしい才能をもっていても、運が無ければ世にでることはありません。逆に才能が無くても努力をしなくても運の良い人は成功します。
プロ、アマチュアの境目あたりは大体同レベルの才能の人間が集まっています。そのあたりの人はそれなりの才能があり、プロとして食えるだけの努力をしています。が、その中で芽を出せるかどうかは最初のきっかけがどういう形で訪れるかです。良く聞く話ではたまたま、予定だった人が急病で倒れた時に代役をまかされたらプロデューサーの目にとまったとか、ね。
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