プロが教えるわが家の防犯対策術!

過去の歴史をみるとアジアやアフリカにヨーロッパのキリスト教の宣教師が最初やってきてその後に植民地支配がはじまるとありますがわからないのはどうしてキリスト教の布教をしてから植民地支配がはじまるのでしょうか?別にキリスト教を布教をしなくてもいきなり侵略できるのにしなかったのでしょうか?

A 回答 (7件)

質問者の方は、「ヨーロッパ諸国は、キリスト教の布教の後に軍隊を送り、植民地にした」と言われていますが、宣教師などを送り込んだのは、カトリック諸国(スペイン、ポルトガル)であって、ブロテスタント諸国は行っておりません。



これは、当時のカトリックとプロテスタントとの宗教のおかれた状況の違いです。

当時のユーロッパでは、宗教改革の真っ只中で、カトリックは、ヨーロッパにおいて、その勢力を大幅に失いました。
それに対し、カトリック側は、イエズス会を中心として、反宗教改革を行います。
その一巻が、海外への布教活動でした。

ポルトガルの場合、まず交易船が現地に行き、現地の確認をすると、イエズス会の宣教師が向かいます。
その場所が、ポルトガルにとって有益な地と判断された場合、そこに拠点を造ります。
この場合、武力によるか、平和的に行うかは、相手しだいです。
ポルトガルの場合は、人口も100万人程度と少ないため、むやみに植民地を拡大せず、あくまで拠点支配にとどまります。
イントではゴア、中国ではマカオ、アフリカのモザンビークなど。

スペインの場合、コンキスタドールなどが、自分たちで勝手に金銀を奪い取るため軍隊を送り、その地を征服してしまいます。
スペイン王室は、その内の一定割合を王室に収める事を条件に、侵略を容認します。
そのため、スペインの植民地は、鉱産資源の豊かな場所がほとんどで、鉱産資源の無い場所や、交易に利点となる場所で無い限り、積極的に殖民を行っていません。
フィリピンの場合、フィリピンは、当時スペインの植民地だったメキシコの植民地で、中国とメキシコの航路確保のために占領しました。
スペイン軍にしても、軍勢は、コンキスタドールの私兵ですから、数百人が限度で、相手がチョットした勢力であれば、占領は不可能でした。

スペインが滅ぼした大きな勢力として、アスティカとインカがありますが、アスティカの場合、スペイン軍というよりも、反アスティカ部族(トルティカ族など)をスペイン軍が結集させ、アスティカを包囲し攻略しています。

インカにしても、当時インカ帝国では、アタワルパとルスカルが、皇位をめぐって戦争中で、ピサロとアタワルパが結び、ルスカルを倒して、インカ帝国に取り入ります。
その後アタワルパを捉え、インカを乗っ取ります。
インカでは、皇帝に権力が集中していたため、皇帝の名代として命令するピサロに反抗できず、のっとられてしまいます。

スペインにしろポルトガルにしろ、まともな国家を占領するだけの力は、当時ありませんでした。
それらを行うのは、イギリス・フランス、オランダといった諸国で、これら諸国は、キリスト教の布教には熱心ではなかったため、質問者のご質問のような事き有りませんでした。
(フランスの場合、カトリックが優位にたっているため、イエズス会などの布教が有りますが、これは占領されてからの話しです。
    • good
    • 1

#6さんの回答を読みながら、16世紀とその後について気がついたことを書きます。

16世紀あたりの事情は#6さんの仰る通りでまちがいないと思います。
この時代、はっきりプロテスタント側で、独立国で、海上勢力を持っていたのはイングランドだけでした。オランダは正式に独立したのが1648年なので、そういう意味では16世紀まがりなりにも植民地支配をしていたのはスペインとポルトガルだけでした。だからこそドレイクのようなコルセア、いわゆる私掠船、実態は対スペインゲリラを兼ねた海賊会社ですが、そういうものが活躍したりして、新大陸からのスペインの財宝をぶんどる、ということを行っていたのです(これはオランダの海乞食も同様)。
17世紀に入るとプロテスタント勢力もそれなりに力をつけてきて、対スペイン生き残りだけでなく、その他の方法で自国を発展させる、ということを考えます。その際、必ずしも宗教を持ち込まず、支配の根幹だけ、あるいはともかく利益さえ得られればそれでもよいというやり方が確立していくわけで・・・・そういうわけで日本でも出島にオランダだけがやってきていたわけですね。もっとももっと現地勢力の弱いところでは植民をすすめてますが。オセアニアとか(これは17~18世紀ですね)。
しかしその後の植民地運営について言えば、今度は逆に、武力や謀略、勢力対立の一方に加担するなどをもってまず拠点を獲得、その後「布教の自由」を含めた勢力拡大を図った、というやり口も見られます。この場合もキリスト教と支配は少なくともワンセットのものでした。成功したかどうかは地域により異なるのは皆さん仰る通りです。
なお、現代に至ってもこのキリスト教の布教と(新)植民地支配との関連というものは見られます。田川健三氏あたりが、アフリカでの聖書翻訳と植民地支配の関係についていろいろと書かれてますが・・・・
論理として。キリスト教先進地である欧米が、未開のアジア・アフリカの人に教えてやろう、ってことで、それがキリスト教であれ、ほかの文かであれ、まあ、教えてやるのだから先生だし、敬われて当然、ってなことでしょうしね。永い支配をするためには、武力だけでなくこういうイデオロギー支配も必要だということでしょう。この場合はむしろプロテスタントの宣教師が活躍しています。
    • good
    • 3

その地の民衆が一人でも多くキリスト教になれば、やがて軍隊などをおくって戦争になった時、植民地支配をしやすくなるというわけです。


また、植民地化へ進んでいく過程で、キリスト教宣教師が現地民によって殺害される事件がよくありましたよね。これは、現地民に宣教師を殺害させて、それを口実として軍隊を送り込もうとする帝国主義諸国の策略なのです。
もちろん宣教師側は、純粋な気持ちで布教活動をしているはずですが…。
    • good
    • 0

侵略と布教を別のものだと考えていませんか?


少なくともこの時代、布教と侵略(もっともヨーロッパ人の意識では文明化)は同一のものでした。文明といえばまずキリスト教(これは今のヨーロッパ人も、特にアメリカ人あたりに顕著かな)があって、それを広めることがつまり直接ヨーロッパの拡大にもなっていた、といった方が正確だと思います。
もっとも当初はキリスト教の布教自体が妥当かどうか(失礼にもああいう別の人種の連中はそもそも人間であるか、キリスト教の「恩恵」をあたえるにふさわしいかどうか議論した)、という話もあるのですが。
    • good
    • 0

占領および占領後の植民地経営にキリスト教がよい下地になるためです。


まず、異教徒ということで一応大義名分も立ちますし、何よりも相手のアイデンティティというか文化を、自分たちよりに近づけておくほうが、占領後相当に楽になるというのは、十字軍(イスラム勢力の土地をキリスト勢力が占領。結局キリスト勢力は小アジア以東から排斥されてしまいました)などの経験からわかっていたものと思われます。
日本の占領政策が非常に困難を極めたのは、文化のまったく違う人たちを、無理やり自分たちの文化に溶かそうとした、または文化自体を排斥したからで、こういった方法は非常に困難な経営を迫られます。
実際にイギリスのインド経営などでは、相当の困難を迫られました(現地の宗教色が本国とまったく違ったため)。
宣教師というのは主にカトリック系、つまり旧教圏の出身で、当時世界を席巻していたスペインとポルトガルの出身者が相当な数に上りました。宣教と植民地支配とがうまく結びついた結果、可能だった方法なのです。
その点では、キリスト教の柔軟さ(戒律がイスラムやユダヤに比べて厳しくないため、溶け込みやすかった)と、やはりシャーマニズムなどの信仰から一歩踏み込んだ宗教というのが、南アフリカや南北アメリカに受け入れられやすかったというのもあるかと思います。

実際に占領地の武力は、一部の地域(日本や中国)を除いて非常に低かったので(火薬と石のやじりの戦いですので・・・)、それほど困難ではなかったようです。
なお、1番さんが言っている地続きの~というのは、確かに産業革命が起きてからさらに重要となるのですが、宣教師を送り込むことが多かったのは、スペインポルトガルで、それよりはるか前の話です。
この2カ国の場合、植民地は市場ではなく、鉱物資源(金、銀。当時ヨーロッパの慢性不足品でした)や奴隷資源、そして香辛料を得るための、殖民というよりは搾取する場所に近かったのです。そのため植民地経営も行き詰ってしまったのですが・・・

また、2番さんの言っていることもひとつなのですが・・・スペインとポルトガルの場合は、金銭的な目的が大きかったので、理由というよりは、大量の金銀を手に入れるという目標のほうが大きかったものと思われます。
しかし、その後台頭してきたオランダ、そしてイギリスやフランスの植民地支配がスムーズに行ったのは、スペインとポルトガルによる宗教的な「刷り込み」が大きかったものと思われます。
なお、スペインとポルトガルが行った、キリスト教布教が成功したのは、主に南アフリカや南北アメリカと東南アジアの諸島部(ただし一部)などが主で、仏教やイスラム教が普及していたインドや中国、そして中東はイギリスなどの「圧倒的な武力」と「巧みな植民地経営」が現れるまで植民地化はほとんど行うことができませんでした(それでも結局反乱がたびたび起こるのですが)。
実際に、現在カトリック教徒主体の国と、スペインとポルトガルが植民地支配していた国はかなりの数で一致すると思います。

また、宣教師のもうひとつの大きな意味は、今で言うスパイですね。宣教という名目で他国に入り込めますので、どのくらいの文明を持っているのか、鉄器の存在の有無、鉱物資源が豊富かどうか、強い宗教がすでに入り込んでいないか・・・などを調べることができたのも非常に大きいかと思います。
    • good
    • 2

 人間には「生き甲斐」「人生の意味」「大義名分」が必要だからです。

大航海時代とはいえ、命を落とすかもしれない未開の地に踏み込むには理由が必要だったでしょう。それがローマ法王のお墨付きだったのです。当時のキリスト教の世界観ではキリスト教信者でない人間はすべて地獄行きなので、布教こそが最善の行動と考えられたのです。
 宗教改革の反動という側面も指摘されています。カトリックが全世界に積極的に布教をしている姿勢を示す必要が生じたのです。
 つきつめると、正しい(と信じた)意思に基づいた行動だからこそ命をかけられたのです。
    • good
    • 0

大航海時代を迎えて、宣教師が異文化の地へ布教にでかけます。



宣教師はヨーロッパからですから、欧州人が普通に免疫を獲得している伝染病を持ってます。
持ち込まれたところは伝染病が流行しますが、宣教師はその病に倒れることがありません。

そうすると「オラたちが信じてた神様よりもあの外人がすすめる神様のほうが効果があるに違いない」ということで、大量にキリスト教に帰依してしまいます。キリスト教の教えに感銘をうけた場合もありますが。

土着のシャーマン的な宗教に基づく支配関係が崩れるわけですので、武力による侵略を必要としないか最小限の武力行使で植民地にすることができる。

と、疫学の雑学サイトに書いてありました。

地続きでない植民地が有効になるのは産業革命以降ですので、宣教師の活動はその前から行われているのが正解かな?
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!