天使と悪魔選手権

またまた英文日記を書きました。初心者なので、特に文法的な間違いや、表現のおかしい部分などがあれば、直していただけると助かります(^^)
 一応、最後に私の表現したい内容を日本語で表記しておきます。
Do you know “Mochifumi”, a Japanese tradition of stepping some rice cake to celebrate becoming 1 year old? Yesterday my son’s cousin became 1 year old so we her relatives gathered and celebrated her. I recalled having done my son’s “Mochifumi” of 2 years ago. At that time we hoped our son’s healthy growth as yesterday we did for his cousin.
(日本語)
 「餅踏み」って知ってる?日本の伝統で1歳になったことを祝って餅を踏む儀式です。昨日息子のいとこが1歳になったので、私たち親戚は集まって彼女を祝いました。2年前の息子の餅ふみを思い出しました。そのとき昨日いとこにしたように息子の健やかな成長を祈ったなあ。

A 回答 (4件)

最初だけ・・・


日本の伝統で1歳になったことを祝って餅を踏む儀式である、「餅踏み」を知ってる?
としたほうが、原文に忠実です。
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こんにちは。


またまた書き込みをしてしまいます。
相変わらずうまく書けていると思いますよー。
間違っているわけではないのですが…。ちょっと気づいた所だけ書いてみますね。

「餅踏み」って知ってる?日本の伝統で1歳になったことを祝って餅を踏む儀式です。
日記っぽく、判りやすくするなら、ここは2つの文に分けてしまった方がいいかなぁと思います。
Do you know “Mochifumi”?
この後その行事を説明する感じで、
It is a Japanese traditional event where people step on rice cake to celebrate 1 year old birthday for their family and relatives.
自分が一歳になったのを祝うわけではないので、念のためfor以下を入れておきました。

we her relatives gathered and celebrated her
ここは、「私たち、彼女の親戚は・・・」という意味だと思うのですが、その場合weのあとにカンマを入れた方がよいでしょう。
つながってると判りにくくなってしまいます。
あと、celebrateが2回続くので、
and actually performed this "Mochifumi" for her.
とかにしてみるといいかも。

I recalled having done my son’s “Mochifumi” of 2 years ago.
「2年前に餅踏みをやったことを思い出した」なのでofはつける必要なさそうです。
I recalled my son's "Mochifumi" of 2 years ago.だったらよいと思います。

At that time we hoped our son’s healthy growth as yesterday we did for his cousin.
healthy growth ってなんとなくぎこちない感じがするので、

we had hoped my son would grown up in good health as...
とかにしたらいかがでしょうか?

簡単ですが、こんな感じで。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。とても参考になりました。できればこれからもよろしくお願いします(^^)

お礼日時:2006/02/24 11:35

Gです。

 こんにちは! And Wish Your Son A Very Happy First Birthday!!!, though it is one day late!

昨日、話しかけるような表現を、とおっしゃってそれを今日はもう実現させていますね。 やりたい事をやるべきをすぐ実行する事が自分になかったものを自分のものにする一番の近道ですね。 もう一人の方もこのカテで、rose-crystalさんですが、日記に話しかけるやり方で毎日のように上達していますよ。 

お若いママのようなので知っておられないかもしれませんが、ドイツのナチから身を隠した家族の隠し部屋で過ごした日々を語りかけてくれたアンネの日記があります。 世界で一番読まれ感動の涙を流させた日記です。 単なるドキュメンタリー的日記ではなく「語りかける」日記だからこそ読んだ人にはそのフィーリングが伝わってくるのですね。 彼女があの悲惨な状況に生き何を感じたのかを自分が思うまま書いたものです。 知らず知らずに、彼女の言葉は「アンネの言う一人の人間」を永遠に「生かした」のです。

(Dearest) Kittyと名づけられた日記(英語名をThe Diary of Anne Frankと言います)を13歳の女の子が2年ちょっとにわたり囚われる3日前まで書き続けのです。 これを私はここに来てからUp with Peopleと言う歌を通して世界愛を作ろうという団体に属していたときに英語版をプレゼントとしてもらい読む機会が出来たのです。 それを読み最初は表面だけからの印象で気持ちは沈みました。 しかし、言葉の力、言葉のフィーリングを大切にする、と言う今の私に大きな影響を与えたのは間違いありません。 勇気と希望、を死を持って父親を動かし公表するまでにいたったのです。(戦争が終わったら本にしたいと言うアンネの気持ちで彼女が書き直したりしましたが) 90年代の終わりに更に数ページが新しく発見されました。 もし、古いバージョンを呼んだ事があるのであればぜひ新しいバージョンを読んでください。

前置きが長くなってしまいごめんなさい。 どうしても日記の事で言おう言おうとしていたのでこの機会で書いてしまいました。

では、また一行一行やってみましょうね。

>Do you know “Mochifumi”, a Japanese tradition of stepping some rice cake to celebrate becoming 1 year old? 「餅踏み」って知ってる?日本の伝統で1歳になったことを祝って餅を踏む儀式です。

これを読み私は本当にうれしく感じました。 Do you know what "Mochifumi" is?これ、まさしく、語りかけている表現ですね。 Dearest Kitty, do you know what "Mochifumi" is?と言う感じで、日記の名前を使う事も良いとおもいますよ。 自分の車に名前をつけるのと同じですね。 語りかけるとき、ここで、一応、文章を終えます。

ですから、Do you know what "Mochifumi" is? として This is a Japanese tradition of stepping some rice cake to celebrate becoming 1 year old.と分けてしまうのです。

>Yesterday my son’s cousin became 1 year old so we her relatives gathered and celebrated her. 昨日息子のいとこが1歳になったので、私たち親戚は集まって彼女を祝いました。

この表現で果たして餅踏みをしたかどうかちょっと気になります。 やったのであれば書いたほうが良いでしょう。

Yesterday my son’s cousin became 1 year old so we, with her relatives gathered and celebrated her first birthday. と日本語分に沿ってちょっと直しました。 このweと言う単語はit/he/she/theyと言う単語と同じく誰を指すのかはあいまいな表現ですね。 よって、we, her relativesとするかwe, with her relativesにするか、または、her family and her relativesとしてしまうか、好みだと思いますが、私は最後に書く「私なりの表現文」にもあるように、her family and her relativesと言う表現にもって行きたいです。

>I recalled having done my son’s “Mochifumi” of 2 years ago. 2年前の息子の餅ふみを思い出しました。

having doneを使うのであれば、we did my son's "Mochifumi" 2 years agoと言う文章を持ってきているので、 I recalled having done my son's "Mochifumi" 2 years ago.とするか、原文どおり、I recalled my son's "Mochifumi" of 2 years ago.と言う表現に変える必要があります。

>At that time we hoped our son’s healthy growth as yesterday we did for his cousin.そのとき昨日いとこにしたように息子の健やかな成長を祈ったなあ。

祈ったなあ、というフィーリングを出したいですね。 I remembered at the same time that we had hoped for our son's healthy growth as we did for his cousin.と言う表現が使えるわけです。 at that timeと言う表現を「そのとき」と言うフィーリングよりも「そのとき同時に」と言うフィーリングを出すともっと、その行事を思い出しただけでなく「祈った事も」同時に思い出した、と言うフィーリングが出るわけですね。

ではG式文章<g>を書いてみますね。

Hello my Dearest Kitty. Do you know what "Mochifumi" is? It is a traditional Japanese way to celebrate the first birthday. You didn't know that, right? Don't worry, I bet some Japanese don't know either. (私は知りませんでした。「お前は日本人じゃないから知らないんだよ」なんていわないでくださいね。)

Yesterday was that "Mochifumi" day for my son's cousin. Yes, she became one year old yesterday!! (ここまで言ってしまうと餅踏みをした、と言うことになってしまうので、もししなかったら変えてください。) Her family and her relatives got together and celebrated her very special day!

It brought back my memory of my son's Mochifumi day of two years ago. And I remembered we also had wished for his healthy growth with the celebration as we were praying for her yesterday.

As all of our ancestors did for their sons and daughters, it is indeed one of the happiest moments to see our children growing healthy and be able to pray for the rest of their lives.

I'd better go now. Will you also pray for her and every one year old children of the world? See you son, My Dearest Kitty. と最後に追加してしまいました。

こちらの「手に終えないときがある2歳児」をTerrible Twoと言うのでない事を祈りながら、

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。いつもとても参考になります。できればこれからもよろしくお願いします(^^)

お礼日時:2006/02/24 11:34

Gです。

 追加回答です。 英語文のアンネの日記の一番初めの日と彼女があとから追加した文です。

June 12, 1942

I hope I will be able to confide everything to you, as I have never been able to confide in anyone, and I hope you will be a great source of comfort and support.

COMMENT ADDED BY ANNE ON SEPTEMBER 28, 1942: So far you truly have been a great source of comfort to me, and so has Kitty, whom I now write to regularly. This way of keeping a diary is much nicer, and now I can hardly wait for those moments when I'm able to write in you. Oh, I'm so glad I brought you along!

と言う表現になっています。 なぜ私がこの4年近く英文日記を書くことが自分の持つフィーリングを表すために非常に良い勉強のしかただということにつながるかお分かりになると思います。 文法やつづりに固着せず思いのまま書いていくということが英語学習者にとって「英語を使うということはフィーリングを表す事だ」と言うことの練習になるわけです。

なお、アンネの日記は英語ではなかったですが、母国語の文法やつづりにはたくさんの間違いがあったと言う事実も忘れないでください。 それらがあっても、アンネの言葉は世界中の人の心を打ち平和への願いを強めたのですね。 それだけフィーリングは何よりも言葉の基として認識する事が大事なのです。

日記を書くことを辞めたい気分になったらまたこれを思い出して貰いたくまた書いてしまいました。 なお、上の文章で、gが入っていない文章をコピーして検索してください。 全文が入った無料のe-bookを見つける事が出来ます。 
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この回答へのお礼

ありがとうございました(^^)アンネの日記は、私も子供のころに読んだことがあります。日記にCandyと名づけました。Candyを私の親友と思って、書き続けたいと思います。

お礼日時:2006/02/24 11:33

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