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ハイデガーによれば存在とは時間であるとのことですが、
なぜなのでしょうか?
具体的に説明してもらえると助かります。
一応解説書は人とおうり読んだのでそれなりの理解はありますが、詳しい方お願いします。

A 回答 (3件)

私自身はよく分からないのですが、広島大学にまさにその研究をやっていらっしゃるK教授がいらっしゃいます。


その教授にFAX等を送ってみられてはいかがでしょうか。

参考URL:http://home.hiroshima-u.ac.jp/ningen/faculty.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
古哲さんですね。
アクセスしてみたいと思います。

お礼日時:2000/12/20 16:59

世界に投げ込まれている者が、不安を通して、それにむかいあうことで、自分を見つめなおし、あらたな生を行き始める。

ここまでは基本ですよね。ハイデガーは『存在と時間』をなぜ書いたのか?存在とは何かを明確にするためですよね。で、ずっと、書いていく。存在と存在物わかりますよね。で、人間だけが、存在物にもかかわらず、存在を考えることができる。つまり、「開示性」が備わっているということ。人間は存在とは何かと問うことができる。

で時間が登場します。結局、死の不安というものは、自分の無限の時間ではなくて、有限の時間しかないということです。死を見つめた人間が自分の過去に意味があると考える。死によって、過去が意味がある。こうした人間=Daseinそのものが時間を生み出すとハイデガーは考えた。死がいすれ、くるからこそ、時間が流れている。

だから、死の不安から、現存在が学び取るということは、結局、時間性そのものにあるということです。
でも、『存在と時間』はこれ以上かかれてません。だから、存在とは時間であるとは論証されていません。『存在と時間』は上下あるといわれてますが、実際は上しかかかれてません。

酔っ払ってます。すみません。
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この回答へのお礼

酔っててもこれだけのことがかるとなるとさすがはご専門ですね(^o^)
死を見つめた人間が自分の過去に意味があると考えるのはどうしてなのでしょうか?
良ろしかったらもう一度お願いします。

お礼日時:2000/12/20 17:05

>死を見つめた人間が自分の過去に意味があると考えるのは>どうしてなのでしょうか?



ハイデガーはこの世界に投げ込まれている、とよく言いますよね。これを「被投性Geworfenheit」といいます。

世界に投げ込まれた自分という私は、たまには、「自分は何で生きてるんだろう?」とか、「人生に意味はあるんだろうか?」といった実存的な、まあ、私的なことを考えるわけです。(考えない人もいると思うけど)
 でこれを、ハイデガーは、「自分の存在についての不安」というふうにとらえています。でもいくら悩んでも、事は解決されない。で、結局この被投性を自覚すると、自分がいずれ、この世界から消えてなくなってしまう存在であるということに気づく。

 この死がいずれ自分にもくるということをハイデガーは「先駆的覚悟性」と呼んでます。で、この気づいちゃった現存在は、このマイナスな考えから、立ち直って、自分が生きているということをもう一度きちんと考えていきます。これが「投企Entwurf」ということです。

 卑近な例でいえば、
女の子と付き合って、超超超超いい感じな男の子が、ある日、女の子に突然フラレてしまい、「俺ってなんだったの?」と懐疑的になり、自殺まで考えてみるが、自分の人生を振りかえって、立ち直っていく・・・みたいなものかな・・・

またまた酔っ払ってるので、文章おかしいかもしれないですが、推敲しませんよ。

もう、眠い。ビールを飲みながら、思索するのは楽しいです。では。
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