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安部晴明とはどういう人だったのでしょうか?
また陰陽師は今でも存在するようですが、どういう力を持っているのでしょうか?

A 回答 (3件)

 陰陽道は支那の「陰陽五行説」に基づいて、十二支十干などの天体の運行の配当を考え、さらに方位・年月・日時などの吉凶を判断する、総合的な学門です。

 現在のテレビやマンガなどに登場するいわゆる「陰陽師」は、祈祷師や呪術師・修験者・神職と混同、誤解していたり、オカルト的な面のみしか着目していませんが、本来は天体の運行を観測し、歴(こよみ)の作詞、元号の改元などの暦学が本来の目的です。ただし、天文学・暦学は同時に吉凶判断も重要な命題でした。
 この吉凶判断において特に高名なのが、安倍清明です。そのため陰陽道においては、天文は清明の流れを汲む「土御門家」が、歴は「加茂家」が担うようになりました。しかし、加茂家は後に断絶したため土御門家が両者を兼ねるようになります。また、本来は陰陽師は天文・歴の判断であって、祈祷などの儀礼は僧侶・神職の分限でした。しかし、平安後期ごろから陰陽師も宗教的な儀礼を行うようになり、律令体制の崩壊に伴って、陰陽師は本来の職限を超えて宗教色・咒術色が強くなります。
 また安倍清明(921~1005)もその名が国史に登場する、初見も天徳4年(960)に節刀の形状を勘申とあります。つまり40歳です。その後、寛弘2年(1005)を最後にその活躍は見られませんので、85歳以後に没したと考えられます。
 マンガや小説に見られるようなものは、“若いころから平安京の闇で活躍していた”ようなスーパースターの清明像は、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』などの伝説化、創作されたものを根拠にした、改変(劣化改悪?)であって、その実像とはかけ離れています。

ですので、マスコミで宣伝される、陰陽道も安倍清明も、その実像とはかけ離れた「虚像」といっても過言でもないような気がします。

参照・吉川弘文舘『国史大辞典』 

 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

実はきれいなお守りを探していて、晴明神社を見つけました。
小説になっているのは知りませんでした。
面白いのでしょうか?

占い師とは違うのですよね。叱られそう…。
85歳なんて随分長生きですよね~!!
お坊さんでも長生きな方がいらっしゃいますから、遺伝だけでなく、
食も含めた生活習慣でしょうか。

つまり、安部晴明は学者に近い存在だったのでしょうか?

お礼日時:2006/04/06 13:19

Wikipediaで調べると以下の記事と関連事項が検索出来ます。


安倍晴明(あべのせいめい; あべのはるあきら、 延喜21年(921年)? - 寛弘2年9月26日(1005年10月31日))は、平安時代の有名な陰陽師であり、鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖である。

当時最先端の呪術・科学であった「天文道」や占いなどの陰陽道の技術に関して卓越した知識を持ったエキスパートであり、平安貴族たちの信頼を受けた大陰陽師で、その事跡は神秘化されて数多くの伝説的逸話を生んでいった。道摩法師(蘆屋道満)とはライバル関係にあった。また、平将門の子の平将国が安倍晴明ではないかと言う説もある。

後世に陰陽道の経典となる秘伝書『簠簋内伝』(ほきないでん、別名『金烏玉兎集』)の著者に仮託されている。

また、陰陽師に関しては、
平安時代においては権勢を振るったが、その後、宮廷が力を失った時代などを経て、国家的な保護を完全に喪失。現代社会においては神職の一種として定義されてはいるものの、実態としては霊媒や口寄せなどで高額の祈祷料を請求するものもおり、極めてオカルティックな存在となった。
と記されています。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%83%A8% …
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この回答へのお礼

詳しくありがとうございます。
明治時代まで続いていたのですね~。
僧侶のように結婚してはいけないように感じていました。
現在でも時々テレビで取り上げられていますね。
権力のそばには日本に限らず占い師がついていることがありますが、
そうしたことと共通しているのかもしれませんね。

お礼日時:2006/04/05 23:04
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
URLも助かりました(^^)

お礼日時:2006/04/05 20:07

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