プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

タイトルのとおり,漠然な質問ですみません.

ここでは鬱病じゃなくて,単に「鬱」について尋ねたいと思います.

従来の枠組みに囚われない,新しい視点から「鬱」についていろいろな意見が聞きたいと思います.

A 回答 (5件)

 人の感情の処理過程としての一つと思います。

嬉しい、悲しい、寂しい、怒る、楽しい、痛いなどの感情のその先にあるものの一つではないかと考えます。それは、人各々が感じる度合いが違いますが、例えばこれを、+or-という分類にすると仮定します。
+1:嬉しい、楽しい、怒る など
-1:悲しい、寂しい など
 この状態を最初に感じる感情表現として、一次レベル(+1、-1)とします。一次レベルのその先の行動・感情を二次レベル(+2、-2)とします。二次レベルでは、各々が
+2:(嬉しい)心が躍る様な感じ、(楽しい)心から笑える、(怒る)内心で処理しようと試みるor誰かまわず怒鳴る など
-2:(悲しい)感情のまま泣く、(寂しい)何かでごまかそうとする など
二次レベルの先を三次レベル(+3、-3)と仮定していくと、これも続いていくと思います。つまり、個人個人で感情の処理過程とそれに与える影響要因も個人個人の状況・環境などの因子で、その処理過程の時間の違いがあると思います。
「-1」→「-2」+「+2」→「+-ゼロ」の状態や
「+2」+「-1」→「+1」+「-2」→「-1」→→→「+-ゼロ」
 などを日常知らずに処理をして、その過程は状況・環境による時間は個人差があるという事です。
 この様な考えに基くと、鬱は「嬉しい、楽しい、怒る」という「+」の感情表現のその先ではなく、「悲しみ、寂しさ」の「-」の感情表現の処理過程のその先の一つであると考える事が出来ます。
「-1」→「-2」+「+1」→「-1」→→「-2」+「+1」→「-1」→→→→→→→「-3」などです。
 
 私は精神保健福祉士取得の為、精神医学も心理学も深く勉強中ですが、感情障害の単極性障害(鬱病)・双極性障害(躁鬱病)や他の精神疾患(鬱病を症状として発症する精神疾患)について最近考えるのは、この感情表現の処理過程において、平常に戻れない状態と考えています。通常は、「-2」の状態か若しくはその処理過程で、状況や環境により「+-ゼロ」の状態に戻ったり、+が強く働いたりしていると思いますが、「-2」に更に「-1」がかぶさり、「-3」に強くもっていこうとする状況の中で、そこから「+-ゼロ」の状態に戻るには、時間と労力も当然いると思います。又、人によっては喪失体験(大事な者・物などを手放す・亡くすなどの体験)により、「-1」or「-2」を無視し、いっきに「-3」以降の状態になり抜け出せない事により、精神疾患を発症するのではないかと考えます。
 簡単にいうと、感情表現の処理過程を力学的(作用・反作用、慣性の法則)視点から考えました、というとご理解して頂けますか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました.

>力学的(作用・反作用、慣性の法則)視点から考えました

新しい発想ですね!
確かに科学を勉強していて思うのは,ある種の法則がそのまま人間の心の仕組みにも応用できるのではないか?とふと気づいたりします.(例えば熱力学的法則が人の行動・心理にも応用できるのではないかとか)

詳しい解説有難うございました.
楽しかったです.

お礼日時:2006/05/21 13:08

専門家ではありません。

こんな見方、考え方も出来るかな?という意見です。

動物は捕食や性殖など様々な生命活動を行いながら生活しています。これには多くのストレスや困難も伴います。健丈であるときにはこれらのハザードも意欲をかきたて乗り越えることによる心地良い達成感もあります。スポーツとかへの欲求や快楽も同じかも知れません。

しかし何らかの原因でこれらの生命活動におけるストレスに耐えられないような事象が起こると、自己防衛の為に自然に「鬱化」が起こり活動を抑制しようとするのかも知れません。

あくまでも私見です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました

>健丈であるときにはこれらのハザードも意欲をかきたて乗り越えることによる心地良い達成感もあります

そうですね,最近はめっきり減った感覚ですが.
目的意識(欲求)があるから,達成感が生まれている気もしますね.

お礼日時:2006/05/21 13:26

「欝は何のためにあるか」ではなく、「なぜ生じたか」についてお答えしたいと思います。


 躁うつ病(現在では双極性障害)は、動物の発情期の名残であるとされています。人間では明確な発情期を失い、通年での発情が可能となっていますが、ストレスにより発情が困難となっている時期に、意欲の減退や抑うつ気分など、特徴的な種々の症状を伴います。
 そうした症状を「発情障害」と捉えるのではなく、精神的な変調を主として問題にしたため「うつ病」という概念が生まれたわけです。鬱の初期から性欲の減退が伴うのは、そうした意味で自然なことであり、逆に性的パートナーや異性の友人との関係の改善が欝状態の改善に有効であるのも、同様の理由によるものです。
日本語の適当なURLが見つからないので、下記をあげておきました。"mating season"で検索してください。

参考URL:http://www.wpic.pitt.edu/stanley/4thbipconf/Abst …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

専門的な回答有難うございます.

Antechinus Agilis as an Animal Model of Maniaのアブストラクトは読みました.

分からない単語ばっかりでしたが・・・.

最近ニュースなど見ていて,すぐに○○障害というラベルを付ける風潮がある気がします.

こういった動物の発情期の名残として考えるといった発想も大切だと思いました.

お礼日時:2006/05/21 13:20

「鬱」って自己嫌悪と似たようなものだと思います。



自分は何であんなことしちゃったんだろう、
何であんなこといったんだろう、
あの人を傷つけてしまったかもしれない
あんなことさえしなければ。。。
自分さえいなければ。。。

自己嫌悪、大きな後悔。
「反省」なんて割り切れないくらい。
時には遠い過去を思い出して、こんな思いになることもあります。

でも、こういう思いがあるから人は成長するのではないでしょうか?
もうこんな思いをしたくない
こんな思いをさせたくない
だから自分はこう生きていこう、みたいな。。。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有難うございます

>こういう思いがあるから人は成長するのではないでしょうか?

そうですね.
同感です.
鬱は私は人間の精神性を高めるためにある気がします.
人間の進化に貢献しているのかもしれません.

お礼日時:2006/05/21 13:21

専門的で無くて申し訳ないのですが、


身の回りでも、鬱になる人が居ます。

鬱病と診断される人も、
一時的な鬱状態の人も居ますが、
私が素人として漠然と感じるのは、
ある意味の癒しの為では無いでしょうか?

身体がくたくたになったら休息を求めるように
身体なり、心なり、両方なりに、
気付きながら、気付かないうちに
限界を超えてしまった時に、
休んでよ!って身体が発信してる信号のひとつな気がします。

漠然とした答えですみません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答有難うございます

確かに休んでよ!っていう信号ですよね.
でも,鬱が続くというのにはどう説明つければいいのか分かりません.

どっちにせよ,確かに癒しのためであるには違いない気がします.

お礼日時:2006/05/21 13:11

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!