A 回答 (3件)
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No.1
- 回答日時:
日本の戦の大きな転換期ですが、織田信長になります。
それまでの大名は領土を拡大することが目的で、領内の農民に軍役をかけて徴発して軍団を編成して戦を行い、手柄を上げたものには恩賞として、敵の領地や女などをあてがい、末端の小物には略奪を許すという図式です。
指揮を取る上級武士以外は農民ですから、農閑期にしか行動できず、戦が終われば帰国するので、長期の占領も難しいというわけです。
信長は愛知県西部の津島の商業資本をバックにして、傭兵を中心に軍団を編成し、家臣への恩賞も蔵米から支給(支配地は認めますけど)するので、家臣たちは領地経営から解放され、年中無休で戦ができ、また信長の本拠地は領土の拡大と共に移っていくので、いちいち帰国をして再遠征という手間もなくなります。
画期的なのは、恩賞が領土ではなく名誉に変わったことで、現在の軍隊でも手柄を立てれば勲章と地位が与えられますけど、信長はそれを先取りし、茶道具を与えて、茶会を開ける権利を恩賞にしました。
領土は相手から奪わなければ、領主自らが身銭を切って与えなければなりませんが、名誉はステータスですから、負担がなくなります。
また信長以前の武士は「寡兵をもって強兵を破る」即ち、少ない兵で大軍を破るのが名将の条件とされていましたが、信長は物量作戦を採用し、敵より多い軍団で相手を殲滅するという戦法に変え、集団戦になりました。
西欧でこの勲章と兵の集中運用を採用したのが、100年以上後のナポレオンですから、信長の戦法の革新性がわかると思います。
信長は商業を考えており、流通を簡素化して物の物流を効率化して、資本金を得て、それで軍団を増強して更なる富を求めるという、革命的な思想です。
No.2
- 回答日時:
源平時代から、直接戦国時代に飛ばないで、南北朝時代をみてください。
両者の中間くらいの戦い方をしています。
軍勢の規模が大きくなり、指揮官が前線で号令をかけられる範囲を超えてしまったため、指揮官が後方に下がり、指揮に専念する必要ができてきたのでしょう。
それとともに、軍の駆け引きが、戦いの行方を左右するようになったためと思われます。
ちょうど三国志で、前半は、関羽や呂布といった直接戦いの強い人が戦闘の中心となっていますが、中期では、周ユや法正といった戦術にたけた人が、後期では、諸葛亮や司馬イといった戦略に秀でた人が中心となっています。
それと同じ事が、時間をかけて日本でも起こったと考えられます。
No.3
- 回答日時:
源平時代は、源義経が戦のやり方を変えました。
これまでは武士が戦闘員で、武士を補助する小者や人夫は非戦闘員と見なされていましたが、義経は彼らも戦闘員であるとして攻撃目標にし、攻撃しました。
この時代は、木曽義仲や源頼朝といった大将も自分の部下を掌握している訳ではなく、連合体の旗頭という立場ですから、形勢が悪くなればすぐに裏切りが出ますし、略奪を禁止しても従わないものが多々出てきます。
ここで1つの転換期が来て、太平記の時代(建武の中興)に入ると、かなり強力なリーダーシップを発揮する人物も出てきて、大規模な戦があるようになり、名乗りを上げて戦うといった形は廃れ、軍勢同士がぶつかりあうようになります。
目的は相変わらずで、各豪族は自分の家族や一族の繁栄を図るために、強いものに味方して領土を増やし、守護大名が出現します。
室町幕府の場合、各大名の勢力が強く、相対的に将軍の力が弱いため、家臣の屋敷で切り殺されたり、御所に乱入した軍勢に殺される将軍まで出てきて、数カ国を治める大大名が出現し、やがて下克上で家臣に取って代わられ、戦国大名に脱皮します。
戦国大名になりますと、名乗りを上げたりすることは無くなって、領土の拡大を目標に戦をし、小豪族は生き残りのため勝ちそうな大名に味方すると共に、保険の意味で、一族の誰かを敵に味方させて、同族で戦うことも珍しくなくなります。
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