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何年も何年も悩んだ末、自分には宗教が必要だと気づきました。
それを知人に相談したところ、「宗教は決して悪くない。ただ、宗教を必要とするほど
心が弱っているあなたは、きっと一番最初に足を運んだところに入信すると思う。
判断を誤らないように気をつけて。」とアドバイスしてくれました。
まさにその通りだと思います。今まで無宗教でしたので、無知なんです。
が、それゆえにどこに近づいたらいいのか。わからないことだらけだけど、
知ろうとしても大丈夫なのか。自分で判断できなくなってしまいました。
もしかしたら、結局何も信じることができないのではないか、とさえ思います。
今の私は、「お経を唱える行為」「神様」「宇宙の軌道」「ノアの箱舟」
すべて胡散臭いと思っています。(←そこで足踏みしている状態です)
何で?と問い詰めていくことが怖い。

ちなみに、夫(無宗教)は、「科学だけを信じればいい」と言います。
が、正直私は、「すがるところ」「原動力」がほしいのです。信じられたら、どれだけ楽だろうと思うのです。

危険だろうと思われるところを教えてほしいのですが、それを回答して頂くのは気が引けるので、
ここなら大丈夫でしょう、と思われる宗教を教えてください。

また、私が必要としているのは宗教で合っているのでしょうか・・・。
ご意見をお聞かせください。

A 回答 (31件中1~10件)

http://www.shimo-yoshiko.com/
TVでおなじみの下ヨシ子さんです。オススメです^^!
下先生の本にオフダが入ってるのでそちらにすがられたほうがいいです。
効果絶大のオフダです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/07/09 13:42

 自分は福井県出身なのですが、永平寺なんかどうです。

禅宗の曹洞宗です。よくある和尚の世襲もないですし、程度の問題ですが、他の宗派よりは健全かなと。(他の宗派の方すいません、でも肉食・妻帯が認められた瞬間速攻で広まったと聞いたとき自分はやはり甘い宗派はいけないなと感じました。ちょうど最近トリビアで坊主が好きな肉は何かという種がありました。ふざけるなって感じでした)
 確かに座禅くんでも得られるものはないかもしれませんが、結構落ち着きますよ。神とか仏とか過去の人の考えを理解するより座禅で落ち着くことは気持ちがいいことだと思います。確か体験みたいなものもあったような。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/09 13:43

根拠を確かめて納得してから信じようとする人には無理かも知れません。



私も何年か前、質問者さんと同じようなことを考えた時期がありました。あのときは本当に心が弱っていたんだなあと思います。無理に何かを信じて紛らわしたかったんですね。

いろいろあたってみましたが、納得しうる宗教なんて見つかりませんでしたし、逆に、何の疑問もなく信じられる人は幸せで羨ましいと思っただけでした。

私の体験から思うのですが、宗教に向かう1つの原因として、心が弱っているときに、身近に精神的に依存できる人がいない、ということがあるかも知れません。

質問者さんの場合も、本当は旦那さんが「科学だけを信じれば」などと客観的に突き放すより、「オレが力になるよ、オレを信じろ」と言ってくれたほうがはるかに救われるだろうに、と思います。

でも、私もそうだったのですが、実際はいちばん頼りたい人にそれだけの余裕がなかったり無頓着だったり、理想通りには行きません。

私は幸いにも、入信や団体への加入を全く勧めない神父さんと、定期的個人的に話をすることができ、このことがしばらく心の拠り所となり、ずいぶん助けられました。

そのときに宗教的なものに対する疑問も率直にぶつけましたが、神父さんも、奇跡などを信じられないタイプの人の気持ちも十分分かっておられました。

結局今思うのは、宗教の教義や教団によってではなく、誰かの力になってあげようという純粋な善意を持った「人」に救われるのではないかということです。

イエスもマザーテレサも古今東西の宗教の開祖の人もそういう善意の持ち主だったんでしょうし、その神父さんも(有名でも地位が高いわけでもないんですが)そうだったんでしょうね。

質問者さんが、そんな人に出会えればいいなと思います。胡散臭いという感覚は大概あたっていると思うので、そこで妥協して急いで入信したりせず、「信じられる人」を探してみられたらどうでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

宗教という「組織」「団体」への信仰は危険だと認識しております。
そこに依存することによる安心感などでは、私は救われないだろうと思います。
(某宗教に入信している友人は、「そこに入らないと幸せになれない」という感覚です。
それでは私は自分には無意味だと思うのです。)

>誰かの力になってあげようという純粋な善意を持った「人」に救われるのではないかということです。
イエスもマザーテレサも古今東西の宗教の開祖の人もそういう善意の持ち主だったんでしょう
そうですね、そういう考え方や、思想などに救われたいという気持ちがあります。自分の基を作りたいと思います。

お礼日時:2006/07/09 14:18

私は科学者です。



>何年も何年も悩んだ末、自分には宗教が必要だと気づきました。
同じでした。

心が弱っていた私は、愛を信じたかった。戸惑うわたしは、恋人を疑った。

私が死んでしまえば私が、何かを胡散臭いと思うことすらなくなる。”何で?と問い詰めていくこと”もなくなる。死ぬのは仕方ない。でも愛だけは失いたくなかった。

どこかの団体に入れば解決だったのかもしれないけれど、そうせずに、
私は、自分が、誠実に信仰することを誓った。

どこが”危険”かわからなかった。
いくつかのそういう場所や人は知っていた。
海外で経験したインドのクリシュナもいい教えだった。キリストも、イスラムも、信じる人々は暖かだった。私もそういう人々の一人になりたかった。

日本で”ここなら大丈夫”と思われるような穏健な場所をいくつか見た。でも、あまり、そこの”牧師”は聴いてくれなかったり、門前払いだった。でも、ある日、飛び込んだところで、私の魂は安らいだ。以来そこには、時々祈りに出かける。世界中のいろいろな話を聴き、生き方を論ずる。いつも、私は、自分の愛する人のために祈る。

あなたが必要としているのは宗教なのか、信仰なのかわからない。でも、私と同じように、科学では、到底埋めることのできないものを求めている。あなた自身が必要としているのは、愛を信じることかもしれない。あなたは、自分の心の中に問いかければいい。どなたが、絶対の愛を信じさせてくれるのでしょう、と。なにかにいきつくことを、急ぐ必要はない。自分の心の中にある、それを、いつか、握り締める。

これは、まったく、蛇足ですが、わたしも、いろいろな宗教を調べました。キリスト教のひとつに洗礼主義派、というのがあります。これは、家がそうだから、そこに生まれたのでというふうに、押し付けられた信仰でなく、自分が信仰していると気がついて初めて、本当の信仰だという教義を持ちます。信仰していることの告白をクレドといいます。また、別ですが、外国の宗教は、なんにせよ、行動的であったり、感情の表し方が、ストレートであったりします。リオでは先日100万人のプロテスタントのパレード(デモです)がありました。日本では、まず、考えられないですね。

ひとつ、大事なことは、入信の前に、その宗教の基本が、自分に一番あった教義かどうか、ゆっくり吟味することです。そして、できれば、仲間が、手の届くところに、いるということです。そういった仲間はすごく信用できる存在になるのです。たしかに、危ない、ところ、はあるかも知れません。私は、幸いに出会ったことがありません。

おやすみなさい。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/09 14:19

『すがるところ』『原動力』が欲しいのであれば、


ひとりで、いま本当に願っていることを、自分の部屋のなかで、神様にお祈りすればよいとおもいます。

宗教団体であれ、企業であれ、人間の集団である以上、あなたのためだけの心のよりどころになることは期待しないほうがいいでしょう。
宗教団体を選ぶ場合には、社会的な影響も十分に考慮しないと、自分だけではなく、身のまわりのひとにまで迷惑をかけてしまいます。
まあ、冠婚葬祭のお付き合いがしやすいところ、というのはひとつの目安ではないでしょうか?

最後に。心が弱っているときには、新しい決断や行動をしないことです。
とりあえずしばらくは、宗教団体に近づくのはやめにして、日々の生活を丁寧に生きてみてください。
心も体力の一部ですから、自然に回復していきます。
お大事に。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/09 14:20

メンタル面の病気で悩み続けて、つい最近、デールカーネギーの「道は開ける」を読んで、なやみ続けることから開放される助けとして、信仰を挙げていました。


この著者は、何度もキリスト教の聖書を抜粋しています。
わたしは日本人ですので、葬儀は仏教ですが、本を読みその教え(般若心経)を理解しようといましたが、なかなか難しいものでした。
その後、日本人の原点である神道の本を読み、自然崇拝的な観点であったため、自分にはこれがいいかなと思えて、家で神棚祭ってます。檀家ではないので、あくまで個人でやってます。信仰は気持ちの問題出もあると思うのですが、「1日1日を感謝の気持ちで過ごす」という考えが一番大切なのかもしれませんね。
今までの回答で、神道がなかったのが残念です。仏教者も神道を信仰する方も割といらっしゃると聞きます。伊勢神宮に行き、自然の多さ、大木と川の流れにすっかりリラックスしてきました。海外の方も伊勢神宮に行かれ、神宮内の自然に大きく心を動かされたと記事を読んで、自然の意味深さを感じ取りました。
伊勢参りは、おかげ参りとも言うことを知りました。江戸時代頃では一生に一度は行きたいと言われていたと伝えられています。「おかげ」に表現される、感謝の気持ちは大事であると思いました。
日本人はとかく祭神のことを語るそうですが、海外の方の感じた自然への評価は、神道のさらに原点の自然崇拝的なものの見方でもあるなと思いました。
自然を祭神として祭っている神道(中には人物もいますが)は、日々口にしている食事にも感謝する心。
檀家にまでなる必要はないと思いますが、日常生活で感謝を忘れないために昔からある宗教を信仰するのは悪くないと思います。
感謝することが近年薄れてきておりますので、気持ちを取り戻すことが出来ればいいですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
>日常生活で感謝を忘れないために昔からある宗教を信仰するのは悪くないと思います。
日頃不満ばかりを口にする体質で、どこまでいっても満足できない私は、
そのうちどこかで行き詰まるだろうと思っていました。感謝を忘れないために宗教を、と思ったことあります。
一番大切なことでしょうね。それが欠けていることは間違いありません。

お礼日時:2006/07/09 14:26

クリスチャンから書かしていただきます



教会にいくとか行かないとか関係ありません
またイエスを信じるとか、天国に行くとかも関係ありません。
まず聖書を読んでみてください。
スタートはそこからです。

まず気軽に読んでみてください
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/07/09 14:27

すいませんね、貼ったURLのまゆりのショックレポートという漫画です。

朝日ソノラマ文庫です。
画面がちょっと違う場所ですが、同じサイトに載ってます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/09 14:27

ごめんなさい。

また書きますね。

江原さんの本を見てどう思いました?
ちょっとわき道にそれた回等になりますが、オカルトティックなことに興味を持ってるだけではないでしょうか。いろんな霊能者さんの話とかあるんですけどね、宗教に入ってロクなことにはならない話ばかりで
すよ。

原則的に、江原さんと同じ宗派に入っても江原さんの能力になるわけではないですよ?
あの人はもう多分そういう能力を昔から持っていた特別な第3の目を最初から持っている人ですし、宗派も多分(?)前世から受け継いでる系列に入ってるだけだと思います。

暑いのを涼しくなんて無理ですよ。
結果的に無理って思いませんか?
暑いなら、より暑くて我慢するのが宗教ですよ。

いい話があります。
漫画ですけど読んでみませんか?
私も好きなんですよね、オカルトは。
いい話ばかり載ってますのでお奨めです。
実在の霊能者さんのお話なので、普通の漫画としてもとても楽しめるし、なんとなくそういう世界もあるのかな~と思いますよ。

今ちょうど暑いし、オカルト読むにはちょうどいいです。
どうぞ入信なさる前にお読みになってください。
哲学考えてるより面白いですよ。

ちなみにこのサイトの質問に答えてる方も霊能者さんです。質問コーナーも面白いですよ。

参考URL:http://www.asahisonorama.co.jp/hp/kowai.html

この回答への補足

私の買った江原さんの本は、困った時に読むようなもので、
お姑さんとの関係に悩んだ時は、とかそんな感じでした。
あまり参考にならなかったので、悩んでいた友人にあげました。
winngu11様が宗教に対して、(少なくとも私が宗教に興味を持つことに対して)不快感を感じていたのは、今までの回答から見て取れます。
>宗教に入ってロクなことにはならない話ばかりですよ。

また、私の例えを、全て「私がそのように思っている」と誤解されているようです。
暑いのが、宗教で涼しくなるなんて、常識的にありえないでしょう。
ただ、信仰心で涼しくなるのなら、それでいいんじゃないかということです。

あいにく私はオカルトに興味は全くありません。

補足日時:2006/07/07 19:04
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No.14です。


質問者さんは、どちらかと言うと科学者的な目をお持ちのようですね。
ただ、その判断するための自分の物差しがはっきりとしていないので、何をどう判断したら良いか迷うのでしょう。
トコトン疑問を追及される事をお勧めします。
また、今持たれている色々な知らないモノが怖いという気持ち(無知に対する恐怖感)は忘れないで欲しいと思います。
物事は全て色々な面を持っています。
一つの物の見方では、正しい形は見えないという事を忘れないで下さい。
>仮に、「神様がくれた石」だったら。
と、「人」は信じられないけれど「神様」なら信じられるというのは危険ですよ。その神様に名前を付けたら○○教になるでしょう。
実際に自分の目で見たとしても、まずは分析しましょう。

何から調べていいものか、また初めは分からないことばかりだと思いますが、調べるうちに知識がついていきます。
旦那さんも「科学だけ」という割りにはカトリックの教えに浸かっているようです(まぁそれだけ旦那さんの育った所は、宗教と意識しないほど生活に溶け込んでいるのですね)が、とりあえずはキリスト教(カトリック)から見てみてはいかがでしょうか。
聖書は翻訳されるときに少しずつ変化はしてきていますが、本質は変わらないと思います。なので、言葉をそのままとらえるだけでなく、その言葉の背景を考えてみて下さい。歴史を学ぶ必要も出てきます。いい所だけ見るのではなく、悪い所も見て考えて下さい。
また、石や偶像、シンボルなどの由来や繋がりを調べるのも良いですよ。

そうやって得た知識が質問者さんの「芯」になるはずです。
自分の心の中に、物事を測る物差しや支えにする「何か」を作るんです。
そうしなければ、ご自身でも納得できないのではないかと思います。
回り道のように見えますが、それが一番の近道だと思います。
急がば回れです。

この回答への補足

>「人」は信じられないけれど「神様」なら信じられるというのは危険

例えば、私は祖母が亡くなっているのですが、生きている間に「いつも見ていてくれる」
という安心感は、物理的にあり得ないと思うのに、亡くなった後は、きっと見ていてくれている、
と思えてしまうんですよね。相手が人間だと、自分の全てを受け入れてくれるとは思えず、
人と人は意見がぶつかって、考え方の違いで事が片付いてしまう。
それが、見えない何かであることで、一方的な気持ち、不安などが全て受け入れられる
と思えてしまう。だから、自分の信じたい物が人間ではないと思いました。

補足日時:2006/07/09 13:33
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この回答へのお礼

>そうやって得た知識が質問者さんの「芯」になるはずです。
自分の心の中に、物事を測る物差しや支えにする「何か」を作るんです。
そうしなければ、ご自身でも納得できないのではないかと思います。

まさにそうだと思いました。
他の回答にありました、マザーテレサの生涯についての本を読んでみようと思っております。
だからキリスト教に!ではなく、彼女の生き方や考え方から、何かしら自分に影響するものがあるのではないかと。
宗教を信仰しなくても、そういうことを繰り返すことで、自分を確立できるのではないかと思いました。

ありがとうございました。

お礼日時:2006/07/09 14:32
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