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http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20060720 …

昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀
というのが昭和天皇のお言葉ですが、
終戦への過程とか、
戦争のなかで昭和天皇自分が自ら軍部を助ける面もあると思いますし、
それとも、旧日本軍は昭和天皇のみの為に戦うはずのでしたものの、
昭和天皇一人だけ「なんの責任ございません」ということはよく分かりません

A 回答 (16件中11~16件)

それで、質問の内容は何なのですか?


質問の内容が書かれていないようですけれど?
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そもそもリンクの記事のどこに昭和天皇の戦争責任


について書かれているのでしょうか?

ましてや、昭和天皇の戦争責任が全くない
との認識もどこから来たのでしょうか?

もう少し、記事を読み直して見た方が良いのではないでしょうか?
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天皇は軍の「統率者」でした。

しかし「開戦」時、NOとは言えない状況でした。下部から上がってきたものを「裁可」するだけでした。お飾りだったわけです。日露戦争に勝利したのはまだ「明治維新」を体験した世代が「実戦体験者」として役割を果たしたためです。しかし「陸軍大学」の成績優秀者が戦いを指導するようになり、敗戦の憂き目にあいました。「終戦の勅許」は昭和天皇の決断です。もしその決断がなければ「一億玉砕」日本は滅んでいたでしょう。まだまだ「戦意」を持つ軍人もいました。宮様達が軍部のある地方へ赴き「終戦」の説得工作をしたのです。さらに「天皇」がいなくなれば、ほとんど「無秩序状態」を招き、何が起こっていたかもわかりません。おそらく何年も「ゲリラ戦」を戦う軍人がいたでしょう。「早期終結」全軍の武装放棄が整然と行われたのも「天皇の決断」があったからで、現在の繁栄は「有用な人達」が残せたためです。世の中が落ち着けば「天皇」は退位して「責任」を取ればよかったのでしょう。
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昭和天皇は、昭和20年に3回ほど「敗戦責任」について述べています。

今回の「メモ」のような間接的・断片的なものではありません。

1回目:終戦直前の御前会議で「私はどうなっても良いから国民を救いたい」
2回目:ポツダム宣言受諾を決めた御前会議で、同様の発言。
3回目:マッカーサー元帥との会談の際に同様の発言。

私は、昭和天皇が、敗戦の最高責任者として処刑される覚悟を持っていたと考えます。
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戦争責任をどこまで考えるかです。


例えばご質問者のお祖父さまなどは、戦争に行きませんでしたか。
また、お祖母さまなどは軍に対して何か協力しませんでしたか。
うちの父親は船で物資を運んでいましたし、母親は勤労奉仕でゼロ戦の翼を作っていました。
素人の小娘が戦闘機の翼を作っていたので、何機かは空中分解して落ちたかも知れません。
戦争では国民等しく何らかの形で戦争に協力しており、軍部を助けていましたから、当然何らかの戦争責任は有りますが、権限の無い人間にそこまでの責任を取れというのは、妥当なことでしょうか。
国民の総意を受けて、天皇の名で開戦したのですから、国民全てに責任があり、結果が違えば、アメリカ人も中国人も責任があります。
天皇も旧帝国憲法を読めば判るように、単なる神輿であり、権限は何もありません。
内閣が決めたことを承認するだけのことで、戦争を始める権限もやめる権限も無い人間です。
そういう方に責任を取らせるのは筋が違うのではないかな。
現代社会で言えば「社主」といったもので、判りやすい例としては読売新聞の正力亨氏のようなものかな。
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実際に戦争を決断させたのは軍部と財政会に毒された政治家が天皇に讒言を呈したことがきっかけです。


その後の戦争の推移もすべて虚構で固めており天皇は事実は全く知らされていませんでした。
嘘に嘘を重ねられ現代のように情報は簡単に手に入らず現実を何にも知らされないまま戦争責任だけを問われてしまうのは疑問です。
本当のことを知っていたら戦争は始まっていませんし早々に終結していたと思われます。
昭和天皇は日清日露戦争についてかなり憂慮していた平和主義者でした。
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