http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20060720 …
昭和天皇「私はあれ以来参拝していない」 A級戦犯合祀
というのが昭和天皇のお言葉ですが、
終戦への過程とか、
戦争のなかで昭和天皇自分が自ら軍部を助ける面もあると思いますし、
それとも、旧日本軍は昭和天皇のみの為に戦うはずのでしたものの、
昭和天皇一人だけ「なんの責任ございません」ということはよく分かりません
No.1
- 回答日時:
実際に戦争を決断させたのは軍部と財政会に毒された政治家が天皇に讒言を呈したことがきっかけです。
その後の戦争の推移もすべて虚構で固めており天皇は事実は全く知らされていませんでした。
嘘に嘘を重ねられ現代のように情報は簡単に手に入らず現実を何にも知らされないまま戦争責任だけを問われてしまうのは疑問です。
本当のことを知っていたら戦争は始まっていませんし早々に終結していたと思われます。
昭和天皇は日清日露戦争についてかなり憂慮していた平和主義者でした。
No.2
- 回答日時:
戦争責任をどこまで考えるかです。
例えばご質問者のお祖父さまなどは、戦争に行きませんでしたか。
また、お祖母さまなどは軍に対して何か協力しませんでしたか。
うちの父親は船で物資を運んでいましたし、母親は勤労奉仕でゼロ戦の翼を作っていました。
素人の小娘が戦闘機の翼を作っていたので、何機かは空中分解して落ちたかも知れません。
戦争では国民等しく何らかの形で戦争に協力しており、軍部を助けていましたから、当然何らかの戦争責任は有りますが、権限の無い人間にそこまでの責任を取れというのは、妥当なことでしょうか。
国民の総意を受けて、天皇の名で開戦したのですから、国民全てに責任があり、結果が違えば、アメリカ人も中国人も責任があります。
天皇も旧帝国憲法を読めば判るように、単なる神輿であり、権限は何もありません。
内閣が決めたことを承認するだけのことで、戦争を始める権限もやめる権限も無い人間です。
そういう方に責任を取らせるのは筋が違うのではないかな。
現代社会で言えば「社主」といったもので、判りやすい例としては読売新聞の正力亨氏のようなものかな。
No.3
- 回答日時:
昭和天皇は、昭和20年に3回ほど「敗戦責任」について述べています。
今回の「メモ」のような間接的・断片的なものではありません。1回目:終戦直前の御前会議で「私はどうなっても良いから国民を救いたい」
2回目:ポツダム宣言受諾を決めた御前会議で、同様の発言。
3回目:マッカーサー元帥との会談の際に同様の発言。
私は、昭和天皇が、敗戦の最高責任者として処刑される覚悟を持っていたと考えます。
No.4
- 回答日時:
天皇は軍の「統率者」でした。
しかし「開戦」時、NOとは言えない状況でした。下部から上がってきたものを「裁可」するだけでした。お飾りだったわけです。日露戦争に勝利したのはまだ「明治維新」を体験した世代が「実戦体験者」として役割を果たしたためです。しかし「陸軍大学」の成績優秀者が戦いを指導するようになり、敗戦の憂き目にあいました。「終戦の勅許」は昭和天皇の決断です。もしその決断がなければ「一億玉砕」日本は滅んでいたでしょう。まだまだ「戦意」を持つ軍人もいました。宮様達が軍部のある地方へ赴き「終戦」の説得工作をしたのです。さらに「天皇」がいなくなれば、ほとんど「無秩序状態」を招き、何が起こっていたかもわかりません。おそらく何年も「ゲリラ戦」を戦う軍人がいたでしょう。「早期終結」全軍の武装放棄が整然と行われたのも「天皇の決断」があったからで、現在の繁栄は「有用な人達」が残せたためです。世の中が落ち着けば「天皇」は退位して「責任」を取ればよかったのでしょう。No.5
- 回答日時:
そもそもリンクの記事のどこに昭和天皇の戦争責任
について書かれているのでしょうか?
ましてや、昭和天皇の戦争責任が全くない
との認識もどこから来たのでしょうか?
もう少し、記事を読み直して見た方が良いのではないでしょうか?
No.7
- 回答日時:
日本で育ち、日本で教育を受けると自然とわかるのですが、日本はトップの位置にいる人が責任を負わない(代わりに実権も制限される)、ちょっと不思議な国なのです。
建前で述べると、日本は戦前から立憲君主主義の国であり、政治は全て内閣が決めていました。
昭和天皇は、2.26事件と終戦の決定のみ、直接政治的決断を下していますが、これは非常時の対処であり、それ以外は全て内閣の決定に従っています。
よって、戦争責任も政治家が負うことになり、東条英機をはじめ首相や大臣経験者が、何人もA級戦犯として有罪となりました。
江戸時代の日本でも、同じような現象が起きました。
江戸時代、藩の組織上のトップは大名ですが、実際の政治に大名が直接関わることは少なく、その下の家老が政治を行いました。
また藩が何か失敗をした場合は、その責任は家老が切腹して責任を取ったのです。
幕末でも、最後の将軍である徳川慶喜は、蟄居のあと隠居しましたが、それ以上の責任は負わされませんでした。
その代わり、幕府に最も忠実であった会津藩が責任を取らされる形となり、官軍に城を攻め落とされたり、降伏後は藩士全員が北の僻地に移住させられるなど、さんざんな目に会いました。
他の方の回答にあるように、昭和天皇自身にはいかなる責任をとる覚悟がありました。
しかし、当時の政治的事情(日本の戦後統治を円滑に進めるために、マッカーサーが他国の反対を押し切った)により、昭和天皇は戦犯から外されます。
日本でも左翼主義者はこの内容に強く反発していますが(まるでソ連の代理人のように)、多くの日本人がそれを受け入れているのは、日本では組織のトップが実権もない代わりに責任も少ないという、日本的な事情をよくわかっていたからでしょう。
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
既に他の方も述べているように、今回の報道から、「昭和天皇が一切自分に責任がない」と考えていたと読み取る事は困難ですが、それはさておき、日本側にも、退位という形で責任をとってもらう考え方はありました。
↓http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup …
↑には、高松宮が「昭和天皇は戦争を止める事ができた」と発言した事が載っていますが、高松宮は、戦争中も、天皇に対してもっと自らの権威を使って戦争を終わらせるよう、要求しています。↓
http://nekotamago.exblog.jp/1683949/
そんな訳で、それなりに責任は自覚していたようで、最初に入れたURLにもあるように、ポツダム宣言受諾後間もない段階では、「自分が退位する事で、(戦犯が裁かれる事がないように)うまく納める事はできないか」と、まぁ後の展開を知っている我々からすれば、けっこう呑気な事も言ったりしています。
参考URLに入れたのは、天皇が終始戦争を止めようとしていたかどうかに関する、他の方への回答です。宜しければ、ご覧になってください。
それから、日本では個人(特にトップ)の責任を追及しない傾向があるとはいっても、敗戦のような大事件があったら、普通は責任はとらされると思いますよ。例えば、会社が、経営方針が結果的に間違いで、ほとんど潰れそうなぐらいな損失を出してしまったら、実権がなかった役員も含めて、経営陣総退陣ぐらいあるでしょう。
まして、天皇は、敗戦直前の、早期降伏派と一撃講和派の対立のなかで、はっきりと一撃講和派を支持していたのだから、「ただ言われたとおりに判子をついていただけです」とは、普通の常識では言えないでしょう。そこらへんは本人も理解していたと思いますよ。
参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1946860
No.9
- 回答日時:
No.7の補足です。
日本では不思議なことに、大きな事件が起こった際に、最高責任者に対して生命を要求するほどの責任追求が少ないということを、伝えたかったのです。
この伝統は、かなり大昔までさかのぼります。
例えば、関が原の戦いですが、名目上の西軍の総大将であった毛利輝元は、石田三成のように死罪にはならず、領土の削減と移転だけで許されます。その代わりに、家老格であった吉川広家が、家康に内通した自らの戦功を帳消しにする形で、責任を取っています。
また幕末の毛利家では、長州征伐の際に、藩主ではなく家老が切腹して幕府に謝罪しています。他の国であれば藩主の毛利敬親が死罪になっているはずです。
また、徳川慶喜については、No.7の回答で述べたとおり、隠居させられましたが、生命を奪われることもなく、後には赦免されて公爵にまでなっています。
最近では部下の不始末を会社のトップが引責辞任するケースが定着していますが、歴史的に見ればそうではないことが多かったわけです。
最も、壬申の乱で敗戦した大友皇子や、大阪の陣で豊臣秀頼が死に追い込まれたように、そうでないケースもありますが、どちらかというと少数です。
昭和天皇について言えば、昭和天皇を戦犯から外したのは、間違いなくマッカーサーでした。
ですがその結論は、不思議なことに名目的な最高責任者に、過度の責任を取らせないという日本の伝統とぴったり一致したわけです。
それに不満をもつ人は、他の回答にあるように少なからずありますが、日本全体では、おそらく多数派ではないでしょう。
もし多数派であれば、極東軍事裁判の判決とは別に、戦犯追及の政治的判断が出てくるはずですが、戦後数十年経っても、未だにそれは実現されていません。
No.10
- 回答日時:
確かにあのメモの内容を見ると、「終戦直後にはあれだけ自分の戦争責任について考えていた昭和天皇が、晩年に至ってからはA級戦犯を嫌っていたらしい」というのは非常に不思議だなと思いました。
しかし、あのメモの内容をよく見ると、必ずしも「A級が祀られていることは、日本を戦争に導いた極悪人を祀っていることになるから良くない」などと短絡的な考えを持っていたわけではない、ということがわかります。
昭和天皇の死後に発表された「昭和天皇独白録」ではいろいろ人物評が載っています。その中でA級に指名された人物も何人かおり、褒めていたりけなしていたり、さまざまです。
東條英機・嶋田繁太郎は褒めています。
広田弘毅はややけなし気味。
小磯国昭は決断力に乏しいとの厳しいご意見。
松岡洋右に至ってはケチョンケチョンにけなしています。
また独白録以外の記録では、
木戸幸一はかなり信頼していた様子。
荒木貞夫はケチョンケチョン。
梅津美治郎と重光葵は割と信頼していた。
といった感じで、特にA級戦犯筆頭格の東条さんを褒めているところがミソなのです。
今回の富田長官の記録では、「松岡・白鳥までもが」と具体的に名前を挙げて不快感をあらわにしています。
ということは、このメモは「合祀されているA級戦犯の中の、具体的に何人かが好かない」というレベルで話されていたのであって、A級戦犯が合祀されること自体を、「国としてそれはどうなんだ」と批判的に考えていたわけではない、という可能性もあるわけです。
GHQによるA級戦犯の指名の仕方はずいぶんテキトウだということは有名ですね。
終戦の時点ではとっくに死んでいた人間(中野正剛)が入ってたりとか。死去してたことがわかって慌てて訂正したそうですが。
つまり、天皇は自分自身の中で、「道義上戦争を始めた責任のある者」「責任のない者」という区別を持っていたのでしょう。「責任のある者」が松岡であり、白鳥であるわけです。
また軍人ではなく、あえて松岡・白鳥という2人の外交官を挙げているところが気になりますね。(A級戦犯の大部分は陸軍軍人なのに)
もしかすると、「軍人を祀るのなら靖国神社の目的に叶っているが、外交官を祀るのはどういう意味だ。しかも自分が戦争責任者だと考えている2人が、他のとばっちりを受けた可哀相な人たちをさしおいて」といった不満もあったのかもしれません。
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