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大学のレポートで『日本の中世都市について知るところを800字以内で述べなさい』っていうのがあるんですが、
わかりません!!
お願いです。詳しい方がいらっしゃったら教えて下さい!
他にもテストとかレポートがたっくさんあって困ってるん
です・・・。
日本の中世都市について教えて下さい!!!
よろしくお願いします☆

A 回答 (2件)

 丁寧なお礼をどうも。

かえって痛み入ります。

 さて、「城下町」と来ましたか。…実はちょっと、「中世の都市に入れたのはまずかったかな…」と思っていたところなんです。というのは、城下町が「家臣領主の在地性の否定」を象徴する都市の形態である以上、これはやはり「近世の」都市形態と考えるべきなのではないか…と。
 でも、いちばん書きやすい素材であることは事実です。それに、事実、安土桃山時代より前に存在していますから、レポートの題意に背くことにはならないと思います。(提出する相手の先生が、どのくらい厳しく見るかにもよりますが)

 では、盛り込むのにお勧めの論点を。
【絶対外せない】領主でもある家臣の在地性を否定し、統制するための都市であること
 これは既に触れました。このことの実現に必要な前提は、
1.主君である大名の実力が個々の家臣を圧倒していること …つまり、在地小領主の連合体的な性格の勢力ではないこと、です。程度の差は様々ですが、こういう勢力は多数ありました。
2.豊かな生産力を背景に、兵農分離と常備軍の編成が可能になっていること …気候や広い平野、肥沃な土地に恵まれた土地が有利。ただし、それらに恵まれていても在地勢力や郷村一揆が力を蓄えすぎていると、これが障害となって困難になる場合もあり、一概には言えません。
…これら二点です。これらの条件をクリアして、家臣団をゴリゴリに統制するために形成されるのが「城下町」、ということ。
【できれば入れたい】字数的に無理なら省略してもよさそう…2つ
1.「強兵策」の前提となる「富国策」を兼ねていたこと …商工業者の誘致、楽市楽座の実施(信長オリジナルではありません。史料上は六角定頼が最初です)、領域内の関所廃止による流通の効率化・活発化(これも信長オリジナルではありません。発想自体は20年以上も遡る細川政元にすでに見られます)…などによる、領内の経済活性化策。
2.築城法の変化 …天然の要害を生かした「山城」から、都市部・農村部とのアクセス利便を見越した「平城」への移行。防衛も大事だけど、領地支配と経済発展の方がもっと大事、という発想ですね。
【具体例として】有名どころをいくつか。
大内氏の山口、今川氏の府中(駿府)、北条氏の小田原、上杉氏の春日山(直江津)、大友氏の府内(大分)…特に山口などは、応仁の乱以降京都から脱出した文化人を吸収し、文化的にも大変栄えました。

 で、資料ですが、はっきり言って楽勝でしょう。これが「城下町は書きやすい」最大の理由かも。
 まず、高校生向けの教科書や用語集・参考書でも十分です。基本的な「城下町」像は、もうそれだけ確立されているのです。で、ちょっとがんばろうとお思いなら、図書館でも行きましょう。「日本史用語辞典」とか、中央公論社の「日本の歴史」シリーズあたりで、関連するところをチェック! チェック! …これでもう、ばっちぐーでしょ。(死語)

 では、ご健闘をお祈りします。
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この回答へのお礼

☆ありがとうございました☆
本当に助かりました!!!
なんとか合格できてるのでは?と自分では思ってます♪
テストが終わって、カゼをひいてしまし寝込んでしまっていて
お礼を言うのが遅くなってごめんなさい・・・。
気になってはいたんですが、なかなかパソコンに向かえなかっ
たもんで・・・。
本当に助かりました☆感謝してます☆
ありがとうございました!!!

お礼日時:2001/01/15 00:05

 ども、はじめまして。


 えー、800字という字数ですと、日本の中世における都市を総論するのは無理ですね。だいたい「中世」という時代は、日本全国の地域ごとに、事情がモノすごく違うんです。とうてい一言では言えない。的を絞ったほうがいいでしょう。
 とりあえず室町時代に限っていきましょう。都市の種類です。
  1 古代からある政治の中心地
  2 寺社周辺に成立した、いわゆる「門前町」
  3 地方領主(戦国大名を含む)が形成した「城下町」
  4 物流の集散地に形成された都市(流通拠点)
といったあたりが挙げられると思います。
 レポートの題は「中世都市について知るところを…」ですので、1では題意に答えたことにならないでしょうね。2,3,4を狙いましょう。
 まず、2。
 中世の寺社勢力は、江戸時代の、完全に幕府の統制下に置かれた寺社のイメージでははかれません。ビンボーな所も多かったのですが、中には相当の寺社領を有し、一大勢力として自立し、室町幕府や朝廷に影響を与える場合すらありました。
そういう、ある程度実力のある寺社の周辺で形成されたのが「門前町」です。中には商人のスポンサーになる寺社もあって、寺社の保護を受けた商人たちのグループが「座」です。後に六角定頼や織田信長が解体することになる、アレです。これの場合、寺社は商人に寺社領内における独占的営業権を認め、そのかわりにうわまえをハネる、という関係になります。
 これが一般的な姿ですが、少々ユニークなものに、浄土真宗系の「寺内町」があります。初期のものは、戦国時代初期の宗教家・蓮如による布教の足跡に、門徒たちが形成しました。といっても、多くはまだ「都市」と呼べるほどの規模ではありません。が、後に、一向一揆は大きな勢力に成長します。国人・地侍など、「戦国大名未満」の連中は、あるいは自ら浄土真宗門徒となったりしてこれと結び、領地の安泰を図ります。こうした小領主が意図的に形成したのが、戦国時代後期の寺内町です。寺を中心に、運送業・商業・各種製造業の業者ごとに居住地を割り振り、なんだか江戸のミニチュア版みたいな町を作っていたわけです。
大阪の今井・貝塚・富田林・下市・久宝寺などがこれにあたります。
 次に、3。
 これは戦国時代後期から安土・桃山時代(時代区分では近世)にかけて形成されたものでしょう。というのは、中世の封建制度と近世の封建制度の大きな違いは、「領主の在地性の有無」だったりします。つまり、家臣が自ら一定の土地を支配する領主である場合、その土地を守る都合から主君を裏切ることだってあるわけで、そうさせないために人質をとったりしたわけです。でも実際、預けた人質を見捨てて主君に逆らった武将の例は、それこそ数え切れないほどあります。そういう家臣を押さえつける究極の手段が「領地と切り離すこと」だったわけです。支配地と離れた、主君自身の住まう城近くに、妻子ともども住まわせる。ついでに、互いに監視もさせられる。これでもうばっちり。
 ただし、これには主君の力が圧倒的であることが必要条件になります。つまり、いわゆる「天下人」が現れてくる頃に、ぼちぼちできはじめた都市のあり方です。やはりこれは、生産力に富み、兵農分離が進んだ地域で初めて可能になることでしょう。例えば、甲斐・信濃の武田家なんかは家臣の独立性が強かったようです。それぞれの力を合わせればメチャメチャ強かったけど、信玄が死んで、家臣たちがそれぞれの判断をするようになると、もうボロボロになっちゃった。……要するに、こうならないようにするための方策が、「城下町」でした。
 で、4。
 何と言っても、代表は「自治都市・堺」でしょう。最後には信長の軍門に降ったとはいえ、彼も力攻めで踏み潰そうとはせず、一目置かざるを得なかった存在です。これはもう、淀川水系と瀬戸内海が交差する地域にある町だからこそ、そこまで成長できたわけです。いま、「水系」と「海」と言いましたが、江戸時代までの「物流」の主役は「水」だったのです。大きな川が海に流れ込む地点といえば、もうそれだけで都市形成の条件は満たしていると言ってもいいくらい。こういう形の都市葉、全国あちこちにあります。利根川水系とか、和歌山県の紀川流域とか、愛知県の長良川流域とか…。

 さて…どうでしょう? 的が絞れたら、もう少し細かい話や資料の紹介も多少はできると思います。
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この回答へのお礼

本当にどうもありがとうございましたm(_ _)m
感謝感激です☆
こんなに素晴らしい解答が頂けるとは思ってもみなかった
です・・・。
的は3の地方領主が形成した「城下町」に絞らせて頂こう
と思うのですが、本当にまだ細かい話しを教えてくださる
んですか???
またお時間がありましたら、よろしくお願いします☆
本当にこんなにいっぱいありがとうございました!!!

お礼日時:2001/01/06 02:45

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