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事前の宣戦布告なしの奇襲攻撃で戦争がはじまる例は戦史上いくらでもあるのに、なぜ真珠湾攻撃だけが「だまし討ち」として批難されるのでしょうか。

A 回答 (14件中11~14件)

相手国との外交交渉中に奇襲攻撃をかましたのは、戦史上、日本が最初で最後です。


これは、まさに「だまし討ち」といえるでしょう。

ご存知だとは思いますが、おさらいのため当時の流れを記しておきますと、
当時の日本は、アメリカの経済制裁で屑鉄や石油が入らなくなり、ヒイヒイ言っておりました。このままではジリ貧の為、1941年初頭からアメリカと経済制裁解除のための交渉を始めます、日本側のぎりぎりまで妥協した提案(乙案、11月20日)に対する米側の対案(ハルノート、11月27日)が提示され、アメリカ側としてはその返答を待っているところでした。
本来であれば、日本は最低でも攻撃前に交渉決裂を通告しなければなりませんでしたが、それすら行なってません。真珠湾攻撃が問題視されるのは「宣戦布告が無かったこと」ではなく「交渉打ち切りの通告が無かったこと」が大きな理由です。

例えるならば、笑顔で握手をしようと手を差し延べながら、いきなり顔面パンチを喰らわすようなもので、こんなことをされればどんな相手でもブチ切れるのは当たり前な事です。
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この回答へのお礼

なるほど。長年の疑問が晴れました。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/27 23:16

そ~いえば, アメリカ海軍上層部は「真珠湾への戦艦の移動」に反対してたらしいです. 「なんであんな (防御がほとんど不可能に近い)

ところに戦艦をわざわざ動かすのか」ってことですね. でも, 最高司令官がそう命令しちゃったんです.
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/27 23:14

確かどこかの本で書いてあったのをうろ覚えで書かせてもらいますが…。



☆日本が出した宣戦布告文(最後通牒)をアメリカ駐在大使陣が翻訳に手間取り、提出が遅れてしまったため、日本の機動艦隊が真珠湾に奇襲をかけた時間と宣戦布告受諾の時間差が生まれてしまったので、「宣戦布告前のだまし討ち」となった。
☆アジアの権益を欲しがっていたアメリカが「正義は我にあり」という大義名分を欲した為、難癖をつけた。

この2点が真珠湾攻撃がだまし討ちと言われた原因だったと思います。

まぁ…「歴史は勝者が作る」という言葉もありますし、何処までが真実かわからないですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/27 23:13

当時 太平洋への侵略の足掛かりの欲しかったアメリカは


反戦ムードでいっぱいの世論を変える為に 真珠湾攻撃を騙まし討ちと称しました
アメリカは最初から 和平交渉などする気は無く 
経済封鎖、排日移民法など 日本と日本人を痛めつけ
最後まで譲歩案を出し続けた日本に対し
ハルノート(日本の外地における利権を全て放棄)を突きつけました
当然 そんな要求は飲めるはずも無く 日米開戦となりましたが
日本軍の暗号は筒抜けで 米軍はその主力を移動させていました
さらに 宣戦布告が手続きのミスのため 真珠湾攻撃の後となってしまい
戦意抑揚の為に まんまと利用されたわけです
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/27 23:15

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