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30代独身男性です。子供の時から自分は死なないと思っていました。しかし、父親や身内が亡くなり、死を身近に感じ始めてからは自分もいつかは死ぬんだなあと思い始めました。最近では毎日「死」を意識する瞬間が多く、死ぬために生きているような感じです。日々の死への意識や考えで頭の中がいっぱいです。できることなら死を意識せず毎日を楽しく生活したいです。どうしたらいいのでしょうか?

A 回答 (19件中11~19件)

先日心筋梗塞を患い病院へ救急車で搬送中に心臓停止になりました。

死というものは何時襲ってくるかわかりません。救急隊の心臓マッサージを試みましたが心臓の鼓動は戻りませんでした。病院についてから電気ショックにより心臓が鼓動するようになりました。
心臓が止まるとき自分である程度分かります。死後のでかいも似てきました。きれいなお花畑がありました。でも私には生きたいという心を持っておりましたので、家族の呼びかけで必死の思い出死後の世界から戻ることが出来ました。死ぬことを考える前に、前向きにこれからどうやって生きていくかをまずさきに考えなくてはいけないのではないですか。死ぬのは簡単です。でも人生の中で生きていられることが一番幸せだと思います。
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「死」に恐れを抱くのは自然のことかもしれません。


でも、
突然に「死」が訪れても悔いのないような
「生」き方をしていれば恐れも少なくなるの
ではないかと思います。
「死」が怖いのではなく
悔いを残して「死」を迎えるのが怖いのだと思います。
残した「物」に「人」に「仕事」に、などなど
ならば、
「生」あるうちに、
手にしたい「物」を手にし・・・
接したい「人」にたくさん接して・・
出来うる「仕事」をして・・

悔いのない人生を送れば、
「死」の恐れも小さくなると思っています。
あれもしてやろう・・これもしてやろう・・
いつ死ぬかもわからないしと思うと
結構、毎日楽しいですよ。
したいこと全部しちゃったら、「死」なんて怖くないかな?
勝手な私見ですので、参考にならなかったらごめんなさい。
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私も時々死について考えます。


生きている限り、誰にでも「死」はやってきます。
だから、結構自分が死ぬことについて考えるのは嫌だと思う人も多いかもしれません。

でも誰にでも死がやってくることには変わりないので「死」を知ることも大切なことと思います。
死を身近に感じる体験をして、
死について考え込んでしまうというのはよくある事だし、
これは余談ですが…、
志賀 直哉の小説「城の崎にて」でも、
自分が電車に跳ね飛ばされたものの、助かったという体験を通して、
また、小動物や昆虫が自然に、あるいは人によって故意に・不意に殺されて死んでいく姿を通して「死」について考えています。

でも、考えすぎるのはよくないと思いますよ。
死に向かって生きているけれども、
生きているこの命は
ただ、死ぬためだけに与えられたものではないはずです。

「死」を意識していても、誰にでもあることだけども、
でも「死」はいつくるかなんて誰にもわからない。
もしかしたらもっともっと先のことかも知れないのに、
この大切な一瞬一瞬に、今しか出来ないことをせずに
いつくるかわからない「死」で頭をいっぱいにしてしまうのは
もったいないと思います。

いつかこの命も終わってしまうからこそ、
だったら楽しく生きたいです・・

だからkyoronさんには楽しく笑っていてほしいです!!

         * * *
趣味を見つけて気分転換にでも何か初めてみてはどうですか?
あと!映画をみることは私としてはスゴク、オススメです!!(^O^)/

人生は30代からです!!ここから楽しくなるんだと思います。
こんなこといってますが、
私とkyoronさんとは○○歳も(歳隠してるし…・笑)
歳の差があって、私は人生経験とか少ないから言える立場ではないのですが…(^O^;)ごめんなさいm(_ _)m
参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。今生きているこの瞬間を楽しく過ごしていきたいと思います。

お礼日時:2002/06/18 19:20

肉体が死んでも、生命は不滅です。


生命の辞書に「死」という言葉はありません。
「生きること」が、生命の本質であるからです。

>死を意識せず毎日を楽しく生活したいです。
>どうしたらいいのでしょうか?
死を意識せずにはいられませんね。
それならば、死を意識しつつ、楽しく有意義な生活を模索した方がいいでしょう。
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個人的な見解ですので、鵜のみにしないでいただきたいのですが・・



まず、「死ぬために生きている」のは然程間違いではないと僕も思います。
ただし、そうそう、死の瞬間はわかりませんし、
特に、「死ぬ」ことを能動的にする必要はないので、
「いつ死んでも良い様に生きる」事を目指すべきなのだと思います。

死後の事は良くわからないですが、皆さん同じように死後を迎えるので、
特に心配することもないとは思います。
というより、心配して、するだけ無駄でしょう。

といっても、「今、死んでしまえば不安を抱えつづけるよりマシだ」という
超短絡的な結論は浅はかな面もあり、
万が一、生きづらい状態で生き延びてしまった場合なんかを考えると
現状のもっとも、生きやすい状態で生活した場合の方が楽そうです。

ということで、一番考えて意味のあるのは、
情報が得やすい「現状」からの「将来予測」ですから、
自分が生き延びた時に、どうすれば、自分の目的に合致するかでしょう。


・・・・なんてことを「余命10年」とか「5年生存率50%」とかいう
タイムリミットを眼前に最近考えてます。
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この回答へのお礼

最近おくやみの欄など60歳で亡くなったとの記事を見ると自分の人生は残り30年なんだなーと他人に置き換えて考えてしまいます。

お礼日時:2002/06/18 19:18

死について考えるのは特別なことではないと思います。


毎日考えていますが、だから楽しい日々が送れないということはないです。
いままでに、ペットの死とか、親類以外の人の死は経験ありますか?
初めての経験が身近な人の死だとショックが大きいのかも知れません。

子どもの時に自分は死なないと思うのは、子ども特有の感覚です。万能感と
いうのでしょうか?大人になってそれが無くなるのも異常なことではないと
思います。
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この回答へのお礼

自分が大人になったという証ですね。

お礼日時:2002/06/18 19:14

 私も子供の頃は、あなたと同様に死というものとは自分とは無縁だと思い込んでいました。

そして、自分や愛する肉親がいずれは死ぬということを考えるだけで、胸が苦しくて、絶対に死にたくない、死んでほしくないと思っていたものでした。死んでしまうということは、この世の中から消えてなくなること、そんなことは想像するだけでも恐ろしかったことを憶えています。(確か幼稚園か小学生の頃)
 でもたった今あなたの質問を拝見して、前述のような死への恐れや意識が私自信の中で知らない間に薄らいでほとんど消えていたのを知りました。
 これはなぜなのか、なぜ恐ろしいと思わなくなっていたのか。私自身の勝手な分析なので一般的でないかもしれませんが、これは私がまだまだ短い人生経験の中において少しずつ身内や知人の死と直面するにつれて、それまで知識としてのみであった死が徐々に現実のものとして実感できるようになったためだと考えます。いずれは私も死にゆく運命なのだなあ、と自覚できるようになったのだと思います。そして、人は死んでもその人が確かに存在していたということ、つまりその人との思い出を残された人々の心の中にずっと大事にしまっておくことこそが大事なのだと考えられるようになりました。
 確かに死ぬのは嫌ですし、ずっとずっと生きていたいと思うのは殆どの人の永遠の願いなのでしょう。事実、歴史上に不老不死の薬を求めた暗君がどれほどいたことでしょう。でも、考えてみてください。もしもすべての人が死なないとしたら、世の中どうなるのか?きっと生きていることにうんざりしてしまうに違いありません。限られた時間があるからこそ、今を大切にしようだとか、もっと上を目指したいだとか、向上心が生まれるのではないのでしょうか。
 実はつい先日に、私の祖父が亡くなりました。92歳でした。悲しかったですが、お葬式のときは身内同士和気藹々と祖父の思い出話に花が咲きました。自分も死ぬときはこうありたいですね。最期までできるだけ迷惑をかけずに、そして惜しまれつつしかもお疲れ様、みたいな感じで。祖父も最期のほうは、早く死にたいと念仏ばかり唱えていたそうです。90まで生きるとそう思えるのでしょうか?
 話がそれてしまいましたが、結局言いたいことは、いつ死んでもいいといったら言い過ぎですが、仮に明日死んだとしても今日一日の自分の行いは後悔しないものだった、と考えて生きることが大切なのではないでしょうか。死への恐れは誰しも忘れることはできないものだと私は考えます。逆に、限りある人生だからこそ、もっと輝きたいと思えるのではないでしょうか。要は考え方の視点を変えてみることだと思います。
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この回答へのお礼

死を現実のものと認識できたことは自分が大人になったのだという証拠だと思います。毎日を有意義に過ごしていきたいと思います。

お礼日時:2002/06/18 19:12

だれでも生あるものは死にます。


それは仕方がないことです。
でも死は別に怖いことじゃあありません。
死は古くなった肉体を脱ぎ捨て、新しい世界に誕生するときに
だれでも経験する壁みたいなものです。

Kyoronさんは、「死ぬ為にいきてるみたいなものです・・」などと書かれて いましたが、それは違います。
生きるということは、死ぬその直前まで自分を磨き、内在する魂を向上させて、
あの世での幸せな生活を送る準備することなんです。

 肉体生命は長くてもぜいぜい100年、人生なんてあっという間です。
 そして、死を迎えた肉体は消滅しますが、その魂は何千年も生き続けます。


 その魂は生前、あの世や魂の存在を信じなかったり、悪想念を抱いて生活してい た人の魂は、残念ながらあの世でもどんどん下降して苦しむことになります。
逆に、生前あの世を信じ、日々魂の清浄化と向上に努めたひとの魂は、死など少しも怖くなく、現界生活も幸福で、死後も当然そのレベルに応じた幸せな生活をおくれます。
魂の存在やあの世を信じないひとにはまるで信じられないかもしれませんが・・
 

 


 
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この回答へのお礼

魂の存在については私は全く知識がありません。まず魂についてそれが存在するのかを含めて勉強したいと思います。

お礼日時:2002/06/18 19:05

今私自身も同じ状態ですね。


やっぱり親も死ぬんですよね、当たり前だけど。
死ぬために生きてるって文中にありますけど、
あながち間違ってもいないんじゃないのかなぁ。
死ぬためじゃあないけど、
死に向かって生きてることには違いないですよね。

毎日「死」を意識する瞬間を感じてるって、
具体的にどんな時なんでしょうね?
失礼かもしれませんがとても興味ありますね。

こういう状態なら、逆に「死」について
考える良い機会なのではないですか?
楽しく生活したい、という気持ちがあるのなら
とても前向きな状態だと思いますし。
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この回答へのお礼

死について考えることは決して悪いことではないですね。これを機会にもっと死について考えてみたいと思います。

お礼日時:2002/06/18 19:02

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