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訳があっているかどうか、教えて頂きたいです。

【発心集・序文】
仏の教へ給へる事あり。
「心の師とは成るとも、心を師とするなかれ」と。

【自分で訳したもの】
仏が教えておられる。
「ものの道理の教えとなっても、ものの道理を教えとしてはならない」と。

全訳の本が無いので、辞書を使って調べたのですが
なんだかよく分からなくなってしまいました。

A 回答 (3件)

専門家ではないので、あっているかどうか、いまいち自信はありませんが。



心(感情や欲望)を律する師となることはあっても、
心(感情や欲望)の方を師としてはならない。

つまり、
感情や欲望をコントロールするべきであって、
感情や欲望の方に振り回されるな。
というような意味ではないのでしょうか。

『発心集』自体、呼んだことがなくて、前後関係がよく分からないのですが、
仏教の教え、ということであれば、上記のような意味になると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
この訳によって、発心集のいいたい事が
分かりました!良かったです。

お礼日時:2007/06/05 23:02

はじめまして。



No.2の方が正解になります。

「師」とは、ここでは「先生」つまり、言うことを聞かなくてはならない人、従うべき先導者、支配者という意味で用いられています。

「心」とは、ここでは「頭=理性」に対比する語、つまり「感情」として使われています。「心=感情」は理性ではコントロールできないもののことです。

従って、ご質問の「心の師とは成るとも、心を師とするなかれ」は以下のように解釈されます。

感情の支配者となってもいいが、感情が支配者になってはいけない

感情を制御できる人になりなさい。感情に支配される人にはなってはいけない。

感情に翻弄されず、感情をコントロールしなさい

ということを言っているのです。

以上ご参考までに。
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この回答へのお礼

丁寧な回答をして下さり、
ありがとうございます!
師と心について、よく分かりました!

お礼日時:2007/06/05 22:58

これは、有名なことばですね。


つまり、「自分の考えが正しいとおごって、他の人の教えを相手に
ないようなことであってはいけない、ということです。
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この回答へのお礼

回答頂き、ありがとうございます!

お礼日時:2007/06/05 23:06

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