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源義経が牛若丸という名前がつけられたのはなぜでしょうか?変わった名前ではありませんか?

A 回答 (5件)

こんにちは。


#2さんが「牛」がついた理由をご紹介されていますが、昔は名前に生まれた時の十二支を用いるようなことは結構ありました。
昔といっても今のお年寄りくらいであればまだ「寅」とか「辰」とかつくような名前はよく見るんじゃないでしょうか(女性の名前でも「ウシ」や「トラ」「タツ」などはよく用いられていました)。
明治以降は十二支を生まれ年にしか当てはめなくなりましたが、それ以前は「日」「時刻」などもそれぞれ十二支を当てはめていましたので、まるでスロットか何かで数字やマークが揃うように、それらが皆「丑(牛)」の時に子供が生まれるようなことがあった訳です。
全部がぴったり合うようなことはしょっちゅうある訳ではないですから、親としては何かそこに因縁めいたものを感じることもあったでしょう。
義経と同じように「寅年」「寅の日」「寅の刻」に生まれた鎌倉四代将軍九条頼経は、三つ「寅」が並んだということで「三寅(みとら)」と名付けられています。
勿論多くは十二支と言っても「印象のいいもの」を用いたようですから、そこには「丈夫に育って欲しい」とか「長じて立派な人間になって欲しい」などそういった素朴な願いも込められていたものと思います。
ですから今の感覚でいうと「動物の名前なんて」と思われるかもしれませんが、昔は(特に幼名には)十二支に限らず動物などの力強さや縁起のよさにあやかろうと、そのような名前がつけられることは決して珍しくはなかったのです(「鶴」「亀」や「鬼」、仙人の「仙」なども用いられました)。
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とてもいい名前だと思います。


今若、乙若のお兄ちゃんともセットになってますし。
違和感を感じたことはありません。
お店、船の名などに付けている人もけっこう、います。
私は、きのう、花屋の店先で、「富貴蘭」の「牛若丸」を見かけました。
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下記のサイトに由来が書いてありました。


http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/yoshitsune.htm
「丁丑(ひのとうし)の年、丑(うし)の日、丑(うし)の刻」に生まれたことからだそうです。
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ちなみに兄頼朝公の幼名は「鬼武者」だそうですが・・・。

こちらの方がよほど変わった名前ではないかと思います。

織田信長は「吉法師」。武蔵坊弁慶は「鬼若」。木曽次郎義仲は「駒王」。いかがですか?
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源義経が牛若丸という名前がつけられた…?


牛若丸は幼名ですが…。子供の死亡率が高かった時代、力強く元気にとでも考えたのではないでしょうか。
 大丈夫ですよね…、大人になって「義経」に名前を変えたんですよ…。
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