痔になりやすい生活習慣とは?

今自分のいる世界が夢でないことは、どうやって証明できるのでしょうか。お願いします。

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A 回答 (14件中1~10件)

こんにちは。


自分の世界が夢ではなく現実であることを客観的に証明することはどうやっても不可能です。
「夢」も「現実」も、これらはみな我々の意識として投影されるものですから、唯一それを判定する手段とは「主観的内省」しかありません。従いまして、「客観的な外省」というのは本質的に不可能であり、結果は「自覚」としてしか得ることができません。

夢といいますのは覚めてみれば分かります。これと同様に、現実も覚めるならばそれを夢と判定することが可能ということになります。ですが、現実から目覚めるということは、取りも直さず我々が知る「夢」と「現実」以外にもうひとつ別の「状態・世界」が存在し、そこへ移行しなければならないということです。ですが、そのような体験といいますのは未だかつてありませんし、仮に覚めてみたところで、そちらが現実であるかどうかはまた覚めてみなければ分からないのですから、これでは永遠に限がありませんよね。

さて、このご質問は、最終的にはそれが夢であるかどうかではなく、そこに現実というものが存在するか否かの「存在論」ということになります。
「夢」といいますのは「事実と一致しない」という特徴を持っています。仮にその夢が事実に基づく内容であったとしましても、少なくとも起きてみれば、自分はそのとき寝ていたという事実とは必然的に一致しなくなります。
夢が事実と一致しないのは、それは寝ている間は感覚器官からの情報入力が閉ざされており、そこに発生する意識は外部環境との関係を結んでいないからです。これに対しまして、起きているときに発生する意識といいますのは感覚器官から得られる外部情報に事実として対応します。我々はこれにより、それを現実と判定します。
しかしながら、最初に申し上げました通り、このような外界の知覚情報に基づく意識といいましても、本質的には飽くまで「内省による主観」でしかありませんから、その結果が事実であるかどうかを客観的に評価する手段というものは構造的に存在しません。これがどういうことかと申しますと、この世界には60億の人類がおり、我々はその中で家族や友人と共に暮らしている、それが事実であるかどうかを証明することができないということです。

このように、このご質問は最終的には「存在論」ということになります。
この世には自分以外にも60億の人間が存在し、海や川があり、様々な動物たちが暮らしている、我々にはそれを事実として証明することはどうしてもできません。ですが、このような意識が発生するということは、取りも直さずそこには「認識の主体としての自分」というものが何らかの形で存在するということです。ですから、60億の存在が果たして事実であるかを知ることはできませんが、これを認識することができるきる以上、それが現実であれ夢であれ、そこに自分が存在することだけは紛れもない事実であるということになります。このため、「我思う、故に我あり」という結論が導かれました。
夢も現実も、自分という主体がなければ存在しません。ですから、この世界が夢であるか現実であるかは分かりませんが、仮にそれがどちらであったとしましても、そこに自分が存在するということだけは事実であります。
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この回答へのお礼

ご丁寧な説明感謝します。

夢と現実を区別すること、あるいは現実の存在を証明することは不可能という結論ですね。一方でそれを考える主体だけは少なくとも存在すると。

一見すると、科学は発展し何もかも確かな印象を受ける今日ですが、その足元は依然として、また永遠に砂のように不安定と言えそうですね。重厚な歴史も、過去の偉人もそのような不安定な世界の同居人であると考えられます。何か大きなものに抱かれて生きる我々のか弱い存在が、どうしても強調されてきますが、一方でそのような存在ゆえの安心感もありますね。ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/28 09:56

>夢と現実世界が区別つかなくなるとしたら「現実が夢に」なっていく時なんでしょう



これは、現実逃避的、悲観的な前提です。

あはは。。
現実が夢になっていくことが現実逃避的、悲観的な前提。。。
貴方が現実を世を忍ぶ仮の姿と思って生きているにすぎない。

生の延長線上
理想とする社会の創造の延長線上
その線上にあるとき何故逃避的になりえるだろうか。
悲観的というのはありえるが。

荘子の胡蝶の夢的なことをテーマにするならもう少し思考を自分の興味とか思いにばかりに囚われないほうが世の中が見えてくるのではないでしょうか?学んで思わざれば即ち暗しというやつですな。実践の伴わない思考は。
今後の
御健闘を祈ります。
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 はい。


 それにしても、《しかし回答に知識は必要ありません》をまともに受け取るとすれば、『よくお見通しですね、』と河岸の彼方で背中しかありません。
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この回答へのお礼

私は悪意をこめて講評している訳ではありませんので、誤解なきようお願いします。現在、司法制度改革の一環として、知識を問わず、思考力のみを問う「適性試験」というものがあります。これは海外でも同様の試験が存在し、知識偏重の傾向を是正するものとして期待されています。「知識は必要ない」という事であって「知識がない」と言っているのではありません。

お礼日時:2007/08/29 15:14

 ともかくまじめなご提題ですね。


 デカルトは遠くうわさでしか知りません。
 以下、おことばを《》に引きます。

 《「夢と現実の区別は不可能」というもののようです。》
 それは、その限りでは、そのとおりですね。
 ただ、『我、思う』の、『我』と『思う』の両方が、夢だと申しあげております。

 《しかし回答に知識は必要ありません》
 『知識』が何かを理解することが、ご質問の次元を理解するポイントになるののでしょうね。
 私も知識をお伝えする資格もなく、そのつもりではありませんでした。どうかご収穫、研鑽かご研究が進みましたら、お教え下さい。
 邯鄲の夢、夢翁の鯉魚(魚服記)などや、ありの世界に入った人とか、人や創造者或は、その他の意識のだぐい(類)にもたいへん関心をもっておりますのもので。
 今は一応方向を決めて歩みをしてはおりますが、決して到達しているわけでは、もちろんないので、いろんなことにもアンテナで感知しようとしております。貴兄様のご質問、これからのご探求などでまとまりをえられそうでしたら、どうかご教示のほどを。
 
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 わたしも幼児からつくづく自分の身体や周りを見周わして、とても不思議に惟う、時間が現実生活でありました。


 ご回答がみな、たいへんまじめに、ご誠実なので、或は何か多少ともご参考になるかなと、自分の考えを書こうと致しましたが、言葉をたいへんきりつめて、ご質問の理由や事情などの説明もなく、どんな次元や性格のものかわからないの、自己のことばが出てこなくて困りました。
 経験のお話になりますが、・・・
 夢から醒めたとされる状態では、それが夢だったと思えますね。
 夢の中では、夢だという思いはないのでしょうね。
 それで人生や創造界が、唯一の意識の観念であるという説明があるのですが、それをよく理解して、夢中になりすぎないで生きていられればその夢を醒め状態で観劇しているのでしょうね。
 でも、つまるところは、所詮自分と対象が存在している世界にいるなら、それは夢の中なのでしょうね。そうはお思いになられませんか?

参考URL:http://www.yogananda-srf.org/
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございます。

この質問はそれほど切迫した性質のものではありません。しかし、我々の認識、考え方の根幹に関わる問題ですから、誰もが考えるに値するテーマだと思います。

ご回答による結論は、「夢と現実の区別は不可能」というもののようです。これはデカルトが400年以上前に考えて以来、今日まで変わらない認識と思われます。私はこのテーマが現代、新たな視点で捉えられ得るのか、知りたかったのです。しかし回答に知識は必要ありません、皆様の率直なご意見の中にも、論理的な展開が見出せれば良いと考えています。

お礼日時:2007/08/28 10:29

夢か現実どちらに認識している存在があるかのまえに、そもそもあなたはここにいるのですか?私はここに居るという認識は、私はここに居ると認識している「疑っている」認識に過ぎません。

認識している認識を認識している認識は認識に過ぎません。←これも認識に過ぎません。←認識。突き詰めれば認識する存在は在る!←これも認識です。意識や魂があるのか考える意識が存在する!という意識である以上、それが存在なのかわかりません。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/3216_ …

 まあ、形而上学的なことはともかく、よく成功哲学の本を見ていると、「成功をイメージせよ!」と書いていますよね。潜在意識にイメージを刷り込んで、成功している自分をイメージする。
 人間の認識は現実と夢を区別できないから、寝ている時の夢にしろ心に描いた夢にしろ現実を必死に生きているにしろ(これは夢?)、本当にイメージした世界に居る自分に近づくからこそ、"夢をイメージし続けろ!"と言うんすね。
 色々と考えましたが区別はつかない意識する意識みたいなものがあるようです。
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この回答へのお礼

有難うございます。
今回の問答で頻繁に見られますが、これは論点のずれやすい問題です。問題とする論点は「夢と現実の区別」であり、意識は存在するといった展開は関連項目ですが本旨ではありません。極端な純粋論理的には意識の存在・不存在に関わらず「夢と現実を区別」できる可能性はあります。私は単なる常識ではなく、哲学や論理的にどう説明できるかという点に興味を持っています。従いまして非常識な展開でも、論理的であれば参考と致します。

皆様ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/28 10:17

夢って


rem睡眠中に見るのと
覚醒時に例えば自分の将来について抱く夢とは何か次元が違うような気がします。
レム睡眠中の夢は脳のバランスをとるために現実との反作用的なものを見るというのをきいたことがあります。でも、わらしべ長者に見られるような夢はrem睡眠中の夢であるにもかかわらず現実にかかわってきます。そしてそれに似た話は現代においてもよく耳にします。

自分の将来に対して抱く夢も実現可能なものと不可能なものがあると思います。不可能だよって思ってしまうことの中にも決して不可能でないものもある。一代では無理なものであってもそれを引き継ぐ者が現れれば夢は途絶えない。

夢と現実世界が区別つかなくなるとしたら夢が現実になっていく時なんでしょうね。個人の見る夢も。集団の価値の共有による夢も。

思うのは、例えば月や火星に人類が住めるようになる、住めるようにすることが人類共通の夢ではないということです。以前NHKの番組でやっていました。アメリカで月に住めるような環境を作る研究として地球上に巨大な閉回路のドームを作り、そこに循環する生命の生態系を作り上げるというものでした。その研究がどうなっていったかは今解りませんが、最後にそこの研究者が言っていました。

月に循環する生態系を創造することの研究は
結局は地球を循環可能な生態系にしていくことの考察であると。

宮崎駿の天空のラピュタの中でも言っています。
この生命を育む大地をなくして人は生きられない。
そのことを犠牲にしての人の文明の進歩は地球に生まれたものの共通の夢ではないと思うのです。
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この回答へのお礼

興味深い点のみ引用させて頂きます。
>夢と現実世界が区別つかなくなるとしたら夢が現実になっていく時なんでしょう

これは現実が理想に近づくことを前提としている点で、非常に良い意見だと思います。理想主義的、あるいは楽観的な態度として肯定されるべきです。しかし一方で、同じ前提もありえます。

>夢と現実世界が区別つかなくなるとしたら「現実が夢に」なっていく時なんでしょう

これは、現実逃避的、悲観的な前提です。このように考えなかった回答者様の性格に私は安心いたしました。世の中、前者のような「良い」世界であって欲しいと私も思います。

お礼日時:2007/08/28 10:06

ここに素晴らしい答えが載っています。



http://www2.tokai.or.jp/aja/mondai/15/ex_15.htm
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昨日までできなかったことが今はできるなら夢です。

ひとつでは不安なら10くらいについてすべてできるようになっていたら夢です。
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この回答へのお礼

独創的で面白いご指摘ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/28 09:45

妄想に囚われないことで、夢と現実を分別してきたもとのものを識ることができます。


それを(変わらない、もしくは変えられる)現実と思いなさず、夢であるとも思わず、何でもないとして虚無を思わず、何も思っていないのでもない、そのように思いを知って、妄想を離れます。
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Qデカルトが「すべては夢である可能性」を乗り越えた手法

こんにちは。お世話になります。

デカルトは方法的懐疑により「全ては夢である可能性」を疑ったとのことですが、デカルトは「全ては夢である可能性」を、どのような手法により乗り越えたのでしょうか。

「明晰かつ判明なものは確実に存在する」
「誠実な神が私を騙す訳がない」
「コギト・エルゴ・スム」
等までは理解できるのですが、これらの論拠から「夢説」を乗り越えるに至る過程が理解できません。

宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

デカルトは最初にあらゆるものを疑います。
「考えている自分」も疑ってみる。
夢のなかで考えているんじゃないか、と。
この部分、『省察』にはこんなふうに出てきます。

わたしたちが目覚めているときに持つ思考は、すべて夢のなかでも現れうる。その夢のなかの思考は真であるとはいえない。
けれども、夢のなかでの感覚が偽であるとしても、感覚をもたらすわたしたちの身体は確かに存在しているではないか。
画家が想像力にまかせて頭のなかに絵を描いたとする。
確かにその絵はほんとうには存在しない。それでも彼が使用した「色」だけは現実のものでなければならない。
それと同じように「考えているわたし」がたとえ夢のなかの存在であったとしても、「そう考えているわたし」は確かに存在している。
だからやはり「考える」ということにおいて、わたしは存在しているのだ。
と、デカルトの論理の流れはこうなっていきます。

『方法序説』ではこの部分、すっ飛んでるから、ちょっと「え?」という感じがすると思うのですが、『省察』には上記のようになっています。

ここはすごくおもしろいところです。
デカルトは最初、あきらかに存在論(わたしがある、ということは、どういうことなのか)として、もんだいを立てている。
けれども、いつのまにか認識論(わたしが考える、ということは、どういうことなのか)にもんだいは移ってるんです。
事実、デカルト以降、近世の哲学は存在論から認識論に移っていくんですね。

回答はここまで。あとはちょっと余談です。

ところで「夢」、なんでここで出てくるか、ちょっと不思議な気がしません?
わたしはしたんです。その昔、『方法序説』を初めて読んだときに、夢なんて話がいきなり出てくるのがすごく奇妙な気がした。
で、家にあったブリタニカを調べてみたんです(家にあったのはカナーリ昔の版なんで、いまのは変わってるかもしれない)。
そしたらこんなことが書いてあった(細かい記憶は全然なくて、日付や地名はこの文章を書くために確認をとってあります)。

デカルトは1619年、ドイツのウルムというところに宿泊してたんです。デカルトが23歳のときです。そのころデカルトは「自然を数量化すること」について、思索を重ねながら、数学の勉強をしていた。11月10日、昼間から霊感にとらわれていたデカルトは、夜、寝てから、三つの夢を見たという。
これで、自分が数学者・哲学者になる、という啓示を得た。

へえー、夢でお告げかぁ、と思って、このことはずっと記憶に残ってました。
ご質問をきっかけに、その夢の中味が気になって、ちょっと調べてみました。
原文は英語なんですが
http://www.urantiabook.org/archive/science/binion1.htm
ここのなかに夢の内容が詳しく出てきます。

ひとつは、突風に煽られて教会と、風にまったく影響を受けていないような人々のほうに押しやられる、という怖ろしい夢。
ふたつめは、落雷のような大きな音が聞こえて、たくさんの火花を部屋の中に見た夢。
みっつめは、非常に心地の良い夢で、自分が一冊の「辞書」と紙の束を持っている。そのひとつは詩で「人生ではどのような道に従ったら良いだろうか?」ということばで始まっていた。見知らぬ男が詩の断片を渡してくれる。それには「然りと否」と書いてあった。

デカルトはこの夢を解釈して、「辞書」というのは、雑多な知識を意味する。自分がその知識というものを改革し、科学のもとに統合するよう運命づけられている、と思うようになるんです。

ここらへんはデカルトの夢問題として、いろいろ研究されてるみたいですが、ともかく、デカルトはこの夢を「啓示」ととらえるんです。
啓示というのは、デカルトも学んだスコラ学にとっては、「神の直接の教え」として大変重く受けとめられるものだったようです。
デカルトにとって、夢というのは、自分の出発点をなす重要なものだったんですね。

ところでデカルトが始祖とされるこの合理主義によって、のちに宗教の根本原理はだれにとっても自明のものであるから「啓示」というものは必要ないと見なされるようになっていきます。

こんなところを見ても、みずからは前の時代に属しながら、新しい時代への転換の礎石を築いたデカルトという哲学者の存在のおもしろさがよくわかりますね。

参考URL:http://www.urantiabook.org/archive/science/binion1.htm

デカルトは最初にあらゆるものを疑います。
「考えている自分」も疑ってみる。
夢のなかで考えているんじゃないか、と。
この部分、『省察』にはこんなふうに出てきます。

わたしたちが目覚めているときに持つ思考は、すべて夢のなかでも現れうる。その夢のなかの思考は真であるとはいえない。
けれども、夢のなかでの感覚が偽であるとしても、感覚をもたらすわたしたちの身体は確かに存在しているではないか。
画家が想像力にまかせて頭のなかに絵を描いたとする。
確かにその絵はほんとうには存在しな...続きを読む

Q現実とは何か?

現実とは何ですか?また、現実とは何と言われているのでしょうか?この事に関して、読んだ方が良い本はありますか?

Aベストアンサー

こんにちは♪

現実:

(1)今、現に事実として存在している事柄・状態。
(2)現に事実として与えられていること。また、そのもの。
(ア)理想に対してその素材や障害となる日常的・
   物質的なもの。現状。
(イ)現に存在し活動するもの。想像・虚構や
   可能性ではなく、現に成り立っている状態。
   実際の存在。実在。
(3)実現すること。

だそうです。

人の主観が作り出す言葉ですので、
誰かによって「現実」という言葉の客観的な
存在証明があるわけではないと思います。


<「生きる」って事がないと「現実」は、無いものでしょうか?

とか

<脳の認識がないと「現実」は、無いものなのでしょうか?

というのは

「馬とはなんですか?」

という問いにそれぞれが馬の特徴を捉えて回答しても
その特徴がないと馬ではないのですか?とたずねているようなものです。
だとするとイデア論になります。
プラトンか・・・

ご参考までにどうぞヽ(´ー`)/

Qなぜ何もないのではなく、何かがあるのか?

『なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?』私はこの問いをWikipediaで知りました、この問いの詳細はWikipediaに載っています、まずWikipediaの記述の一部をほぼそのまま引用します。


『なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?』は哲学の一分野である形而上学の領域で議論される有名な問題の一つ、
神学や宗教哲学、また宇宙論の領域などでも議論される、

なぜ「無」ではなく、「何かが存在する」のか、その理由、根拠を問う問題である、

別の形では
「なぜ宇宙があるのか?」
「なぜ世界があるのか?」
「なぜ無ではないのか?」
などの形でも問われる。

もの事の根拠を「なぜ」と繰り返し問い続けることでやがて、現れる問いであることから、「究極のなぜの問い」またはより簡潔に「究極の問い」とも呼ばれる、解答することが著しく困難であることから「存在の謎」と言われる、
哲学者たちはこの問いを、あらゆる問いの中で最も根本的な問い、第一の問いであるとしばしば言う。


物理学の領域ではビックバンにより宇宙が始まったという説明がなされることがあるが、こうした説明も答えにならない、
なぜなら、問いの形が「なぜ何もなかったのではなく、ビックバンがあったのか」に置き換わるだけだからである。

ビックバンが真空の揺らぎから発生したといった説明もまた同様である、
「なぜ何もなかったのではなく、量子力学の法則にしたがって揺らぐ真空があったのか」もしくは「なぜ量子力学の法則などという自然法則があったのか」こうした形に問いが置き換わるだけである。

同じように何か超越的な存在、例えば神様を持ち出し、それが世界を作ったと説明しても話しは同じである、
「なぜ何もなかったのではなく、神様がいたのか」こう問いが置き換わるだけである。

こうした例を見てわかるように、この問いは因果連鎖を過去に遡ることによって答えようとしても、もっと過去へ、もっと過去へ、と無限後退が生じるだけでそから答えは得られないだろうと考えられている。

また、こうした時間の始まりの問題を避けるため永続する宇宙、永遠の時間を想定してみても、解答はえられない、
「なぜ何もないのではなく、永遠に続く宇宙があるのか」こうした形に問いが置き換わるだけで終わる。

この問いは歴史学や考古学のように過去の歴史を問う問題ではなく、あくまで「なぜ何かがあるのか」を問う問題である、
またしばしば同時に問われる関連した問いに「なぜ世界はこのようになっているのか」という、この世界の在り方の根拠を問う問題とは区別される。


Wikipediaには解答の候補などもいろいろ載っていますが、

上述のように、哲学や科学など、宇宙、世界、自然を観察、観測したり、そこから論理的に思考したりする手段でも、さらに宗教のように神様を全ての原因とする手段でも、解決できそうもないこの「究極の問い」を、一体どうすればいいのでしょうか?

つまり、それ(科学、哲学、宗教)以外に何か他にこの『究極の問い』にアプローチする手段があるのでしょうか?

それはもはや論理や言語や思考を超えて、人間の能力を超えた手段が必要なのでしょうか?

『なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?』私はこの問いをWikipediaで知りました、この問いの詳細はWikipediaに載っています、まずWikipediaの記述の一部をほぼそのまま引用します。


『なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?』は哲学の一分野である形而上学の領域で議論される有名な問題の一つ、
神学や宗教哲学、また宇宙論の領域などでも議論される、

なぜ「無」ではなく、「何かが存在する」のか、その理由、根拠を問う問題である、

別の形では
「なぜ宇宙があるのか?」
「なぜ世界があ...続きを読む

Aベストアンサー

何故あるのか、て命題は、理由の存在を前提に
しています。

従って、なぜ理由があるのか、がその問いの前提
にあると思います。

何故、宇宙があるのか。
  ↓
何故、宇宙が存在することに理由があると考えるのか。

てことです。

理由が無くても存在する、てことは充分にあるでしょう。
理由が必要だ、というのなら、なぜ必要なのかを
論証しなければその命題は成り立たないと思います。

Q夢と現実の区別

初めて質問させていただきます。よろしくお願いします。

私は度々、夢と現実の区別がつかなくなることがあります。

たとえば、朝起きて昨夜何をしたか考えるとはっきり思い出せず、
ぼんやりとイメージにある「自分がしたと思う」行動が現実に起きたことなのか、それとも夢なのか
いくら考えても分からなく混乱する…といったことがよくあります。
まるで記憶にもやがかかったようになります。
まさに今日、朝方起きたことが現実だったのか夢で見たことなのか分かりません。
それは現実離れしたことではないので余計判断がしにくいです。

まったく記憶に残っていないのですが、友人と電話をしたことがあります。(母と友人から教えられるまで気づきませんでした)

私は何かの病気でしょうか?
夢遊病?なのでしょうか?

分かりづらい文章で申し訳ありません。

分かる方がいらっしゃいましたら、教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

はじめまして。

私は先日、2日間程、夢と現実の区別がつかなくなった事がある者です。

私の場合は、今が夢か現実か区別が付かず、周りの人に「今は現実か?」と聞いていました。

まるで詳細な長い夢を見ているようでしたが、話を聞くとどうやら現実の事だったようです。

私の場合は、心療内科の医師に相談し、「よくある事だから心配要らない。普通の人でも風邪を引いて熱があったりすると、夢と現実の区別が付かなくなる時があるよ。」と言われ、その後すぐ治ったのですが、もし質問者様が心配でしたら、精神科または心療内科で相談された方が良いと思います。

私は医師に病名は聞いていないのですが、私がインターネットで調べて知っている限り(他にもまだあるかもしれません。)、2つのページを見付けましたので、何かの参考になればと思い、貼り付けておきます。この中からご自分に近い物を探してみて下さい。

お大事に。


・離人症性障害
http://dissociation.xrea.jp/disorder/dissociation/disorder_dissociation_rijin.html

・解離性障害
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A3%E9%9B%A2%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3

はじめまして。

私は先日、2日間程、夢と現実の区別がつかなくなった事がある者です。

私の場合は、今が夢か現実か区別が付かず、周りの人に「今は現実か?」と聞いていました。

まるで詳細な長い夢を見ているようでしたが、話を聞くとどうやら現実の事だったようです。

私の場合は、心療内科の医師に相談し、「よくある事だから心配要らない。普通の人でも風邪を引いて熱があったりすると、夢と現実の区別が付かなくなる時があるよ。」と言われ、その後すぐ治ったのですが、もし質問者様が心配でしたら、精...続きを読む

Q夢と現実の区別

いつもお世話になっております。

脳では想像したことと現実に体験したことの
区別がないという話しを聞きました。それ故に
イメージトレーニングが成立すると。

では、私たちはどのように夢と現実の区別をつけているのでしょう?

Aベストアンサー

 
>では、私たちはどのように夢と現実の区別をつけているのでしょう?

その問いに対する回答は、極めて単純で明快だとも、複雑で、いまだ未知だとも答えられます。主観の自覚意識の明晰性については、デカルトの懐疑を通過しても、なお哲学的にはアポリアがあり、この部分から言うと、夢と現実の境界は「分からない」ということになります。

しかし、経験や経験に準拠する実証科学では、発達心理学における「自我意識」の発達構造化や、外的世界の恒常的構造図式の成立でもって、現実と夢の区別のクライティリアは明確だとも言えます。

外的世界現実の恒常的な構造図式の成立とは、子供が筋肉の操作による運動と、知覚と認知による外的世界からの感覚情報を、シェーマ(図式)として構造化して統合均衡させるとき、外的世界は、子供のあるアクションに対し、「ある秩序」を持った構造的なリアクションを返してくるのです。この「秩序構造図式」の成立が、「現実確認」の参照構造クライティリアになります。

外的世界の恒常的構造図式が、子供の意識内に構成される過程は、同時的に、子供の「身体構造図式」が構成される過程でもあり、また、もっと重要な「統覚意識自我」が構造的に構成される、または均衡において出現=覚醒する過程でもあるのです。

ある現象が夢か現実かは、意識内部に構成されている「外的世界の構造図式」と、その現象との作用・反作用行動の結果を比較することで、判断され吟味されます。例えば、現実世界で「走る」と、身体の筋肉が、運動に応じて、妥当な活動を構造的に行い、風が肌に当たり、慣性の存在が全身・身体各部で分かり、更に、走ると共に変化する周囲の情景が、まさに、子供の頃に造られ、その後も修正され構築されて行った、「外的世界の構造図式」と調和する形で、変化し展開するのです。このような運動を行っているとき、意識が「覚醒」水準にあって、知覚や運動の情報を、内的な構造図式と比較して、確かにこれは、「現実の外的世界での反応形式」だと確認できれば、それは夢ではなく、現実なのです。

感覚の強度の問題などではなく、知覚や運動の構造出力が、「世界の構造図式」の現象様式と調和する場合、この経験は、夢ではなく現実経験なのです。

夢のなかでは、実は、現実か夢かを判断し吟味する「意識機能」の覚醒度が眠っており、夢を見ているときには、実は、夢を見ているのでも何でもないのです。夢は、REM睡眠のときに見るのが普通であり、REM睡眠期とは、熟睡状態の場合、無意識水準で行われる、知覚や記憶などの諸経験情報などの処理過程が、意識にもアクセスできる水準まで上昇している状態なのです。それは逆に言えば、知覚や記憶などの脳内処理過程を、意識が部分覚醒状態で、感知している程度の覚醒状態だとも言えるのです。

夢は見るが、しかし、夢と現実を判定する意識機能は覚醒していない状態がREM睡眠です。夢のなかで、これは夢だとはっきり分かる明晰夢は、判断機能も覚醒した状態だが、なお、通常の意識統覚は機能していない半覚醒状態なのです。これが更に覚醒して、意識はほぼ覚醒するが、しかし、筋肉などを随意的に動かす意識機能部分が、なお眠っている場合が、「金縛り」状態です。

夢では、臭覚や味覚の夢が少なく思えるのは、人間にとって外的世界の把握情報源は、その膨大な量が、運動視覚像だからです。形が重要で、色は二次的になります。犬などは、外的世界を、臭覚の空間で枠付けた構造体として把握しているはずで、犬は複雑な臭いの空間の夢を見ている可能性があります(人間の場合、臭覚などは、大脳辺縁系に中枢があり、それは高次精神の座である大脳や前頭葉とは、かなり距離があるので、夢のような高次精神が関わる情報処理過程では、出て来にくいし、意識されにくいのです)。

(発達心理学、認知心理学、異常心理学、無意識心理学、また大脳生理学や精神病理学・精神医学、さらには、哲学の基本的な知識なしに、こういう問題を語ろうというのは、無謀というものでしょう)。
 

 
>では、私たちはどのように夢と現実の区別をつけているのでしょう?

その問いに対する回答は、極めて単純で明快だとも、複雑で、いまだ未知だとも答えられます。主観の自覚意識の明晰性については、デカルトの懐疑を通過しても、なお哲学的にはアポリアがあり、この部分から言うと、夢と現実の境界は「分からない」ということになります。

しかし、経験や経験に準拠する実証科学では、発達心理学における「自我意識」の発達構造化や、外的世界の恒常的構造図式の成立でもって、現実と夢の区別のクライ...続きを読む

Qこの世界はすべて自分の脳が作り出した 世界?

私が神ですか?創造主ですか?この私にとっての、現実。自分だけの現実?

それならば、「空を飛んだり」「スレイヤーズの魔法」を使ったりできますか?

私が女性になったり、何でもかんでも叶う世界になるのですか?

ただ、今は、最適な現実が、今の現実なので、そうなっているようです。

そもそも、人間の姿・形が・・・・・非常によくできてないでしょうか?

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
気が付きましたか

そう、、、この世界はすべて自分の脳が作り出した
世界<プログラム>に過ぎないのです。

人に会っているとき、あなたは話す事ができるでしょう。
しかし、他人が曲がり角を過ぎて見えなくなった時、
存在はしていないのです。

その人に連絡をしてみますか?
あなたは確認できるでしょう。
しかし、それは連絡自体を確認しているのであって
存在はしているのでしょうか?

街も物理法則も時間や運命さえも
脳が作った世界なのです。

全部たいや公園が作った世界なのです。
http://taiyap.hatenablog.com/entry/2013/10/24/184923

私が神ですか?創造主ですか?この私にとっての、現実。自分だけの現実?

それならば、「空を飛んだり」「スレイヤーズの魔法」を使ったりできますか?

私が女性になったり、何でもかんでも叶う世界になるのですか?

ただ、今は、最適な現実が、今の現実なので、そうなっているようです。

そもそも、人間の姿・形が・・・・・非常によくできてないでしょうか?

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気が付きましたか

そう、、、この世界はすべて自分の脳が作り出した
世界<...続きを読む

Aベストアンサー

作り出した世界というわけではなく、自分が
感じ取った感覚的データを基に、再構築された
仮想空間です。しかし、データの半分程度しか
再構築できないので、低いピクセル数のデータを
拡大して見るようなもので、脆弱な世界です。
もともとある世界からデータをとり、半分程度
を再構築して、もともとある世界に重ね合わせ
ているのだから、私たちは半分しか知らないこ
とになります。

だから、すべてを自分が作り出したと考える
ことは、半分しか知らない人(無明)の、
たわごとです。
より深い真実を知りたければ、
脳が認識できないものを、身体で感じられる
ように鍛えることが必要です。
何事も、経験がものをいう、とはまさにそれ。

>何でもかんでも叶う世界になるのですか?
◆この世界はもともと何でも叶う世界です。
しかし、半分しか知らないので、叶いません。

突然ですが、ここで祝電を披露します。
「汝と隣人の間に、私は介在する。」(神より)
「求めよ、されば与えられん。」(使徒より)
「そうか、パイロットじゃない僕だってありえるんだ」
(?より)

Q睡眠中に見る夢が、現実と区別出来ずに困っています

お世話になります。
私は30代の既婚者女性です(子供は一人)。
昔から眠っている時はとにかくよく夢を見るタイプで、目が覚めても夢の内容をしっかり覚えていて、途中で起きてしまっても夢の続きを見ようと思えばいくらでも見られます。

夢の中では、これは夢を見ているという意識と、ドラマや映画を見る様に夢にどっぷりつかって見ている意識の二つを認識しています。
うまく言えないのですが、もう一人の自分が夢を見ている自分を客観的に外野から見ている様な感覚です。

しかし、夢を見ている時は”これは夢”という感覚がしっかりしているのですが、目が覚めた途端にその意識が時間を追うごとに消えていってしまいます。
それだけなら夢をよく見る人で済むのですが、半年ほど前から現実の記憶に夢の内容が上書きされてしまうようになり、周囲とトラブルになったりしています。
これが今回ご相談させていただきたい内容です。

トラブルといっても未だ大したものは無いのですが、
 ・未婚の友人が結婚したと思っていたが、予定も無かった
 ・口座引落しがかかる料金の入金に銀行に行ったと思っていたら、やっていなかった
 ・贈り物を何軒もお店を回ってやって購入したと思っていたら、購入していなかった
 ・スーパーへ食品の買い出しに行ったと思っていたら、買い物へ行っていなかった
こんな感じで記憶違いみたいな事を度々してしまいます。

初めは記憶障害など脳の病気を疑って、主治医(内科と心療内科を兼務)に相談し脳のMRIも撮りましたが全く問題は有りませんでした。
現在は夢を見るという事は睡眠が浅く質があまり良くないという事で、漢方薬を処方して頂き継続して飲んでいます。
そのおかげか、いくら夢を見ても目が覚めて疲れが残っていたり、日中に眠くて仕方ないという事は全くないのですが、夢に見た内容が記憶に上書きされていく頻度が増えて来ています。

家族には妄想と現実の境が分からなくなっているのでは?と言われ気味悪がられていますし、家族以外と話すのが辛くなってきてしまい、自分でもどうしていいか分からなくなってきてしまいました。

幸い仕事や車の運転といった重要な所には未だ影響が無いのですが、いつ影響が出るかと思うと本当に気が重いです。

また、間違った記憶で話をして「そうじゃない」と言われても、間違って覚えていた上書きされた夢の内容の方が印象が強く、訂正された実際の内容をよく覚えられない事にも困っています。
なるべく手帳に訂正された正しい内容を書きとめる様にしているのですが、書きとめる頻度が増えて来て怖くなってきました。

似たような症状の方がいらっしゃれば是非お話を伺いたいですし、考えられるような病気などが有るようでしたらお教え頂ければと思い質問いたしました。
おかしな質問で恐縮ですが、よろしくお願いいたします。

お世話になります。
私は30代の既婚者女性です(子供は一人)。
昔から眠っている時はとにかくよく夢を見るタイプで、目が覚めても夢の内容をしっかり覚えていて、途中で起きてしまっても夢の続きを見ようと思えばいくらでも見られます。

夢の中では、これは夢を見ているという意識と、ドラマや映画を見る様に夢にどっぷりつかって見ている意識の二つを認識しています。
うまく言えないのですが、もう一人の自分が夢を見ている自分を客観的に外野から見ている様な感覚です。

しかし、夢を見ている時は”これは夢”...続きを読む

Aベストアンサー

確か、それって明晰夢だったと思います。

夢日記をつけていくうちに夢で自由に動けるようになって、夢と現実がわからなくなっていくといったものです。ネットにも明晰夢が見たくて夢日記をつけた人が結構いるらしいんですが、その先の夢と現実がわからなくなることは望んでないし、結果精神に異常がみられることが多いようです。

人を殺したり殺されそうになったり、そういった感覚がリアルに感じたら頭もおかしくなっちゃいますよね・・・。最初の目的は夢で自由に飛んだり魔法が使えたりしたら面白いっていう興味本位からのようです。

明晰夢について検索してみてください。
何か解決策があるかもしれません。