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中国近代史に登場する人物に、李済深(りさいしん、または、りせいしん。Li Jishen。1885-1959)という人物がいます。広東系統の地方軍閥出身で、中国国民党に加盟し、1927年の蒋介石いわゆる「4・12クーデター」に追随し、広州で白色テロ(中国共産党の弾圧)を行ったにもかかわらず、次第に反蒋化し、1929年には広西派(李宗仁ら)とともに反蒋戦争を戦い、その後は左傾化し、1933年10月または11月には、蔡廷かい(金偏に「皆」)、蒋光鼎、陳銘枢、黄琪翔、徐謙、陳友仁らと、福建人民政府(中華共和国人民革命政府。生産人民党を中心として、社会民主党も合流した??政府)をたて(福建事変、福建人民政府事件とも呼ばれる)、中国共産党とも連絡をとり、1935年7月には、中国民族革命同盟を、蔡廷かい(金偏に「皆」)、蒋光鼎、陳銘枢、何香凝、譚平山、馮玉祥らと結成し、1948年1月には、中国国民党革命委員会を結成し(主席に就任している)、とうとう1949年には、その一員として、宋慶齢(無党派)、張瀾(民主同盟)、朱徳(共産党)、劉少奇(共産党)、高崗(共産党)とともに、中華人民共和国建国の際の、副主席の1人までとなった、という、大きく右から左へと振れた人物の1人です。

まあ、このように、人物としても、その思想についても興味深い人ではあるのですが、ここではそれは置いておいて、その名前(の表記)について、お聞きしたいと思います。
この、「李済深」がときどき、「李済○(りさいちん、りせいちん)」と表記されるときがあります(このページでは文字を表示することができませんので、「○」で示していますが、最後の3文字目の偏が、「さんずい」ではなく「王」になっています。なお文字のコードは「&#29723」です)。例えば、
○中国近現代史(上・下)・東京大学出版会・1982年:李済深
○中国近現代史・岩波新書・1986年:李済深
の2冊は「李済深」ですが、
○中華民国・中公新書・1997年:李済○
○中国史5・山川出版社・世界歴史大系・2002年:李済○
の2冊では「李済○」です。

これについて、
1)この2つの名前は、同じ人物をさしているのでしょうか?
2)そうだとすれば、どちらの表記が正しいのでしょうか?
3)そして、こういう状況になっている理由は何でしょうか?
という3点についてお教えください。
例えば、「李済○」が正しいのだが、「○」という漢字が日本では一般的ではないので(常用漢字ではないので)、いわゆる「同音の漢字による書きかえ」に倣って、同音ではないが、しかも固有名詞でもあるが、あえて、誰かが「深」を使い、それが一部で定着してしまった、ということなのかもしれません。

余談ですが、中国近代史においては、このように左右に振れる人物が多く見られるわけですが、そういう人物を見るにつけ、中国近代史において、右だ左だ、という画一的な見方がいかにそぐわないものであるか、と強く思ってしまいます。

以上、ご回答をよろしくお願いいたします。

なお、このページでは「ちん」の字が表示されないので、「○」としてきましたが、環境によっては、次のページでこの字を確認することができます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF% …
(ただし、このページには「李済深」と記載されている部分もありますので、ご注意下さい。)

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A 回答 (1件)

http://www.xbmu.edu.cn/kjxz/NCourse/jxds/ke/ke06 …
↑のページにあるように、深も&#29723も同一人物を指してます。
原名が「済&#29723」とあるので、元の名前が「済&#29723」でのち「済深」と改名したようです。

理由は推測の域をでませんが、20世紀半ばから中国では漢字を簡略させる運動が数度実施され、簡略化しすぎて元の漢字に戻すというようなこともありました。そのゴタゴタに巻き込まれてに改名した可能性もあります(本当に想像ですが;;)
現在は分かりませんが、中国では改名は珍しいことではないです。もしかしたら単に縁起かつぎ程度の動機かも知れませんね。
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