性格いい人が優勝

イエスについて質問です。イエスはユダヤ教に対してどんな態度だったか・イエスが説いたことのなかで人の生き方に関わる重要なこととは?
イエスはなぜ十字架に架けられたのか?
1つでもご存じの方回答をお願いします。

A 回答 (6件)

No.2です。



偏見はなく、あくまで現在私が知りえている情報から考えた考察をNo.2で書きました。

今回の質問と同じような質問を、このサイトで何度か見たことがあります。

私は聖書を読んでいるので、キリスト教側、つまり一般的に言われている理由は知っています。

「ユダヤ人がイエスを殺した」というのがイエスが何故死んだのかの答え。

情勢としてはイスラエルは、独立国家ではなくローマの植民地のような情況で、王はおらずローマから派遣された統治者に治められていた。

イエスの時代はピラトが統治者だったと聖書ではなっている。
(ヘロデ大王の息子たちは誰も王位をローマから与えられいなかった。)

神の子と思われ、人々は彼がエルサレムに入るとき、熱烈歓迎したと聖書ではなっている(旧約に書いてある通りになったという下りがあり、その者は無残なことになると、やはり旧約聖書には書いてある)

旧約で予言されたことがことごとく実現したとならなければならないわけです。


で、律法学者のパリサイ派などは、イエス派をにがにがしく思っており、「神の子」と自分の事を言うなんて、神を愚弄している と怒ったわけです。

<議会では市民が彼の方に従うことをにがにがしく思っており、彼をなんとかしたかった。
ところが、ローマに統治されており、ユダヤ人で裁判をすることも、死刑にすることもできなかったので、ピラトに迫ってイエスを処刑させた というのがキリスト教の言い分だし、聖書にそう書いてある。>


これがあなたが望む答えだろうし、一般的な理解だと私は認識しています。

が、ユダヤ人に処刑する権限が無いとされているのに、どうしてイエスは石打の刑に処されそうになった女を助けた と聖書に書いてあるのか。

死刑する権限がなかったとされるのなら、女を死刑にする場面など出てこないはず。

政治的違反者はローマが裁くが、ユダヤ教関連はユダヤ人独自で裁いてよかったからですよね。

女は姦淫を犯したとされ、処刑されそうになり、通りがかったイエスが助けた と物語ではなっている。
つまり 律法に違反したので、律法により処刑されることろだった。

イエスも神の子だと言ったため、律法を愚弄したとされ、当然これも政治的なものじゃなく律法に背く態度だったので、ユダヤ人で裁いてよかったわけです。


私は何故人類史上最悪の惨殺、ホロコーストが起こったのかを知る一つとして、<ユダヤ人とローマ帝国>というものを読んだことがあるんですね。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83 …

<悲劇の源泉はここにある>と本に書いてあるように、人類史上最悪の惨事が何故起こったのか、わかると思える本です。


<ユダヤ人がイエスを殺した>とキリスト教が力技でやったから。

その本にはイエスのことに触れていません。
ローマ帝国支配の頃のユダヤ社会について書かれています。
どういう情況だったかが書かれています。

聖書ではユダヤ社会は不穏でピラトは過ぎ越しの祭りが近く、一発触発で独立意識が強いユダヤ人が今にも暴動を起こしかねない情況で、それを回避するため、ユダヤ人がイエスを処刑しろと迫ったとき同意したとなっている。

あの裁判無しに処刑する冷酷なピラトが、ユダヤ人の圧力に負け無実の者を殺さねばならない理由がどこにある???

キリスト教がローマを抱きこむために作った嘘話の可能性が高い。

後にあまりの悪政のためユダヤ人からローマに訴えられ、免職処分になったピラト。

何故ゼロテ党がローマにテロを起こしていたのか。
ピラトをはじめとする統治者の悪政が原因。

サンヘドリン(議会)はローマ帝国寄り。
サドカイ派もローマ寄りでローマと仲良し。

だから市民はローマと癒着した議会やサドカイ派に従わず、独立意識が高い というか 悪政に抗議するゼロテ党にひっぱられて、ローマと戦争をすることになったわけですよね。

そして最終的に負けた。
エルサレム市民は惨殺されるか、奴隷としてローマ帝国の支配地に売られていった。
土地を失い2千年近く流浪に民になった。

だが、離散する前からローマ帝国各地にユダヤ人は住み着いており、ならばユダヤ教とローマ宗教のハーフがあれば、ユダヤ人でありながら、ローマ社会で信仰していけるわけです。

それで同胞のユダヤ人を生贄にした。
<ユダヤ人がイエスを殺した>ということになる話を作った。
それによりローマ帝国に差別されることなく生きていけるようになり、ローマにハーフ宗教を受け入れてもらえれば、あわよくば権力を得られるかもしれないとなった。

計画は成功し、ローマ帝国は市民がどの宗教をしてもいいとなった。
やがて、ハーフ宗教は力を増し、ローマ帝国国教になるまで大きくなった。

そのために憎む相手が必要で、づっと<ユダヤ人が我々の神を殺した>と信者を洗脳することで、憎しみの意識を高めさせ団結を強めていった。

そして人類史上最悪の悲劇が起こった。

今、よほどのキリスト教原理主義者でなければ、ユダヤ人がイエスを殺したなど思っている者はいないでしょう。

では誰がイエスを殺したのか?
それに答えられる信者は果たしているのでしょうか?

ヨハネパウロ2世も キリスト教が2千年近く言い続けてきたこのことに対して心を痛めていたようで、ユダヤ教と和解したと思います。
(謝罪ではなく 言い続けたことに対する侘びだったと思います。)

何故イエスは殺されたのか?
これに答えらるキリスト教幹部はいるのでしょうか?

イエスは実在の人物だったか?
これに答えられるキリスト教幹部はいるのでしょうか?

いなくても信仰にゆらぎはない。
日本人も神の実在するかに関係なく、正月には神社に群れを成していくようにね。

キリスト教とはなにか?
いろいろな宗教のミックス。
万人に受け入れやすい宗教なわけです。

ただ、日本の神はそれよりはるかに多くの神と習合しているので、キリスト教が浸透することは無かった。

日本の宗教の場合、犠牲の宗教ではないので、憎しみの宗教ではない。
そこらがおき楽な日本人 つまり 12月のクリスマスを楽しみ、1月に神社のお参りをする他国からすると理解しがたい民族になったんじゃないかと。


ってことで、キリスト教側にそった解釈と、そうではない人の場合、イエスの死に関して違ってくるわけです。

イエスが解いた内容は、、、、
私が知る限り、イエス独自の解いたものは何一つない。
過去に既に言い尽くされていることばかり。

しいていえば、ユダヤ教に不熱心な人を、再度ユダヤ教に帰還させる運動がイエスの物語として書かれていると思えます。
新約聖書のイエスがやった解説は、旧約からもってきて説明しているので。

イエスという人物は純粋なユダヤ教徒という設定ですね。
じゃなきゃ 作者は旧約の内容をもって解説させたりしないので。
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ユダヤ教という事よりイエスが生まれた前の信仰が律法的で守る事によって救われるという教えがあった。

そこで彼らに愛すると言う事を教えられた

普通この社会の中で軽んじられている人(売春婦、収税人等)に積極的に声をかけていますね

「愛し合いなさい」と言う事

イエスはなぜ十字架に架けられたのか・・・・
これを書くと旧約聖書の予言 ヨハネの黙示録まで書かないといけないが映画パッションを見ればわかるかな~
http://www.hyuki.com/dig/passion.html

映画で怖いシーンがあります。気をつけてご覧ください
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 だいぶローマ帝国に対する偏見をお持ちの人がいるようですね。



 しかし、イエスの時代、つまりアウグストゥス~ティベリウスの時代のローマ帝国で、裁判なしで死刑になるようなことは、ありませんでした。ローマ帝国は、下手したら現代の民主主義国家よりも立派な法治国家です。ローマ市民であれば、最終的には皇帝にまで控訴する権利がありましたし。

 もっとも、イエスは属州シリアの民ですから属州民なので、裁かれる場合は現地法に基づきます。具体的には、イェルサレム一帯は旧ユダヤ王国でしたから、ユダヤの法ですね。つまり、ローマの都合でローマの総督がユダヤの民を裁くということは、基本的にありません。
 ただ、例外があって、ユダヤの法において死刑判決が出たときだけは、執行には総督の許可が要ります。ピラトが許可しなかったら、イエスは死刑にはならなかったわけで、ユダヤのラビ達に押されて死刑を許したピラトは、やや統治責任者としては難ありと言えるでしょう。
 実際、皇帝ティベリウスに彼はその後更迭されていますしね。

 まあ、いずれにせよ、ローマの都合でイエスが死刑になったわけではありません。イエスの死は、ユダヤの内ゲバです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。いやこれは学校の課題で調べても分らなかったのでお聞きしたんです。偏見なんてないですよ。

お礼日時:2007/10/04 15:57

 最先端の歴史学では、イエスなる人物がいたことはほぼ確定されています。

しかしそれが聖書通りだったか、あるいは人々が伝えたようなかたちであったかなど、いろいろな歴史的事実としてはまだ多くの論争があります。

 イエスは通常、ユダヤ教徒であると考えられることが多いです。正しくいえば、古いユダヤ教に反する新・ユダヤ教とでもいえる立場にあったとされ、その最大の理由は彼が旧約聖書を大いに用いていたということにあります。イエスが説いたことは多くありますが、その有名なものは

第1の戒め 「心を尽くし、思いをつくし、魂をつくして、あなたがたの神を愛しなさい」
第2の戒め「またあなたがたの隣人を愛しなさい。」

 イエスは使徒たちに愛の必要性を訴えました。神を愛すること、そしてすべての隣人を愛すること(敵でさえ愛する)。これがイエスの1つの大きな教えです。

 イエスはユダヤ教徒に反する道をとりました。当時、イエスの名はたちまち広まり、いまのエルサレムのまわりにイエスの奇跡や大いなるわざが広がり、人気を集めました。ユダヤ教の中心的であった聖書学者やパリサイ人たちは、たびたびイエスを試みて、何とか彼を失敗させようと、彼を責めたてようと試みましたが、ことごとく失敗しました。

 イエスがなぜ反感を買うことになったかといえば、ユダヤ教の慣例をことごく批判するようなことをいったり、イエス自身を神の子として、人の子として宣言したからでもあります。なぜ人々がこれほどにまでイエスに人気を集めることになったかというと、それは旧約の預言に由来します。
そこでは、イスラエルの民を救うメシア(救世主)が登場するということが予言されていました。ですから人々は潜在的に熱望していたのです。

 しかし、熱心なユダヤ教徒たちはみずからの伝統を壊していくイエスを憎むようになり、彼を何とかして殺そうと企てました。もちろん彼らはみずからの律法のゆえに殺人はできませんでした。ですから、イエスを法的に死刑にすることを企て、使徒ユダを金で買い、イエスを十字架刑につけることに成功しました。

 でもこれは陰謀に近く、権力者であったピラトはイエスという存在に何も悪いものを見いだせないという困惑が聖書に記述されています。ましてや人々は十字架刑につけるように求めました。十字架刑は当時最も苦痛とされる死刑の方法で、よほどの大罪人に行使されるものでした。その手法は生きながらにして、じわじわと苦痛と苦悩で苦しめて、死ぬまでに相当な長時間をかけるというものです。もちろんこれにはユダヤ教徒の陰謀があって、人々をあらかじめ煽動していたことが聖書に書かれています。
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イエスは実在の人物だったのかはまだわかっていません。

 遺体が見つかっておらず、弟子達の遺体も同じく見つかっていません。
(仏陀の場合は見つかったようです。尚 仏陀はイエスが生きたとされたよりずっと前の人物)


イエスという人物のことはローマ史の歴史資料にも全く載っていません。
歴史家のヨセフの資料にちょっと載っているとされるが、キリスト教が真実実をもたせるために改ざんした可能性が高い。

弟子の遺体も見つかっていなければ、イエスの弟子だったとする人々すら、実は架空の人物である可能性が高い。


歴史の観点からみますと、イスラエルはローマの庇護の元 繁栄を遂げました。
それで隣国から妬まれていた。

イスラエル人はアフリカをはじめギリシャ方面などにも分散して住んでおり、ユダヤ教ということで、その集金力はすごかったようです。
そして今の日本のように高額の税をローマに納めることで、安全を守ってもらっていた。
ローマにとってイスラエルはお財布みたいなもので、それで軍力を高め、各地をローマの領土にしていった。

イスラエルには、一時的に王がいなくなり、派遣された提督がローマの植民地となったイスラエルを統治していた。
そしてその提督たちは、ローマに納めるといって、イスラエルの神殿から金をとっていた。
実はローマに送らず自分達のポケットに入れていた。

それがローマにバレては困ると、提督はなんとかイスラエル人を炊きつけ、ローマと戦をして欲しかった。
だから、随分嫌がらせをやってローマを憎むように仕向け、ゼロテ党ができ、テロを起こして市民をいたぶるローマ兵を殺していたようです
提督はテロを起こした者をつぎつぎ十字刑に処していた。

後任のピラトもイスラエル人がとても嫌いでした。
だからローマに逆らう疑いのある者は裁判なしに即処刑していた。

このピラトの時代が聖書によるとイエスが生きたとされた時代。

というわけで、ローマに反逆する疑いのあるものは処刑していたので、イエスはローマに反逆したから処刑されたとならなければならない。
しかも裁判無しに。
しかし、聖書ではピラトは良識ある人物でイエスに罪は無いと裁判で無罪放免にしようとしたとなっている。
史実とは違う描写なわけで、恐らくこの逸話はキリスト教の言い分で、事実ではないと思います。


日本語で「お目が高い」という意味は、目の位置が高いという意味ではなく、価値があるものを見抜ける人 という意味。

ヘブライ語のイデオムだと「目がいい」という言葉になる。
逆だと「目が悪い、盲目」という言葉によって表現される。

「イエスが盲目の人の目を治した」という表現は誤訳だと思います。

イエスは「律法を消すためにやってきたのではなく むしろ完成させるためにやってきたのだ」と言ったとなっている。

イエスは「この世の終わりまで律法の一字も消えることはない」と言ったとなっている。

イエスは「つながれていなさい」と言ったとなっている。

つなぐ と ほどく とはなにか。
イエスにつながれ、イエスのようにどんな罪人も許しなさいと言ったという意味なのか。

「律法につながれていなさい。」

律法は罰するためのみの法律だけではない。
律法には罪を問われた人に、罪が無いとする規定も盛り込まれている。
だから 律法につながれたものは、律法のほどきによって罪はないとされ、無罪放免になったりもするわけです。

だから、どんなときでも律法につながれてさえいえれば、罪を問われても罪を犯していなければ、律法により罪はないとなりえるわけです。

だからイエスはつながれていなさい とユダヤ教から離れてしまった人たちに再度喚起させたという話なら 筋が通る。


そういうことをヘブル語で作者は言っていたのだと思いますが、コイネー(古代ギリシャ語)に翻訳されたとき、直訳してしまった もしくは それをあらわす適切な語がコイネーになかったため、別な意味を伝える語彙による翻訳になってしまった。


ギリシャ方面には本国の何倍ものイスラエル人が住んでおり、彼らはもうヘブル語を話せないので、コイネーに翻訳され、ユダヤ教の内容が伝えられていた時代。

彼らがヘブル語 アラム語を理解できていたら、誤訳による誤った解釈を受け継ぐことはなかったと思います。

「シラの子イエス」の頃にはもうだいぶヘレニズム文化の影響を受けていたと思います。

本国の何倍ものイスラエル人が住んでいたヘレニズム地域には、王が民の代表として、天と地に間に吊るされ、紫の衣を着せられはぎとられ、鞭打たれ槍でさされるという神への贖罪という概念があった。

つまりヘレニズム文化で生まれ育ったユダヤ人の新しい両方を統合したというか、ミックスした文化。
これがキリスト教なのだと思います。

割礼などは、ヘレニズム文化で生まれ育ったユダヤ人にしてみれば、理解が時代とともに困難になり、しなくていいと言われたほうが助かるので、ユダヤ教ではなくユダヤ教の色もあるキリスト教側につくことになった。

モーセは恐らくエジプト王家の王子で、(モスは息子という意味だったと思います) 王家の息子のみが割礼をするという風習があった。
それが何故か王家の血筋だけではなく、信者も割礼するようになった。

そしてキリスト教ではその因習を撤廃した。

エジプトの王族は神の子で、だから割礼をしなければならなかったでしょうが、キリスト教だとエジプトの王家の血筋とは関係ないので、確かに割礼をする権限は無い。
神の子じゃないので。


イエスという人物が本当にいたのかはわかりません。
が、イエスの系図を遡るとアブラハムまでいきつき、アブラハムがエジプトの王家の血筋である可能性もあることから、だとすればイエスも神の子になるわけです。

神の子は民のために神の贖罪をしなければならない。
そのためにイエスは贖罪をした となるのであれば、何故処刑されたかというと、神への贖罪のため ということになります。
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 イエスは、主観的には死ぬまでユダヤ教徒でしたよ。


 ラビたちの組織に反感は抱いていましたが、自分の解釈した教義には忠実でした。
 もっとも、個々人の解釈権を認めないところが、教団というものですから、その点教団側からは許しがたい増上慢に見えるものですが。

 人に行き方に関わるこっとおしては、いろいろあるので聖書を読んでください。というか、聖書に描かれているイエスの言行は、全て生き方を示すものです。
 どれが重要かは、教派に依存します。
 なお、ユダヤ教との比較で言えは、戒律軽視です。共通点で言えば、予定説です。

 十字架に架けられた理由は、聖書によればユダヤ教徒の策謀です。大雑把に言えば、神の子を名乗ることで、神や教団の権限を侵したことが教義上許せない罪だという理由です。
 もっとも、当時のシリアはローマ帝国の属州だったので、民族自治が認められていはいたものの、死刑まではユダヤ人の権限外でしたから、ローマ総督に訴えて死刑にさせた、という段取りになっています。
 妙な宗教紛争に巻き込まれた総督としては、えらい迷惑ですが、それも総督の仕事ですからしかた無いですね。
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