これ何て呼びますか

昨夜のNHKスペシャル、<陸軍特攻隊の悲劇>を見ました。
学徒動員の真実は志願ではなく軍上層部をおもんばかって、全員意志に反しての決定だった事を知り、そこまで人間の心を誘導出来る何ものかがあると知りました。

学徒達はそれぞれ高等教育を受けており、誰の為に命を捨てるのかを自身に問う能力のある若者達でやみくもに、国の言いなりになる事無く日夜煩悶したとのことです。

生き残った83歳の特攻隊員のしわ深い顔が涙ながらに、亡き友が最後に(今度生まれて来るときは戦争の無い国に生まれて来たい)と言ったと聞いた時、思わずもらい泣きをしてしまいました。

片道の燃料しか積まず死地に向かった若者達の真の心も知らず、また辛くも生き残った特攻隊員が口を揃えて言う戦争の悲惨さ、理想とは違う戦争の姿にも関わらず、何故、一部に戦争賛美、軍隊賛美があるのでしょう?
良識ある方の意見をお聞かせ下さい。

A 回答 (16件中1~10件)

戦争賛美、軍隊賛美をしている人々の戦争とは、ほぼ先の日中戦争、太平洋戦争の事を指しています。


つまり日本が「悪」とされた戦争です。そして中国、朝鮮半島からその事を強く非難されている戦争です。同じ中国を相手とした日清戦争にはほとんど触れず、感情的になる事もありませんね。

結局、先の戦争を正当化しようとする人々は、「中国、朝鮮が文句を言っている」「それはけしからん、なんとか反論せねば」→「あの戦争は間違っていなかった」「中国、朝鮮は嘘をついている」→「過去の軍人は間違った事などしていない」→「日本軍はすばらしい」「潔く戦った」
というステレオタイプな思考回路により、それを証明する為の偏向した情報を集めるのに必死で、あとは「思考停止」です。
その基にあるのは排他的ナショナリズムであり、おもに社会からの疎外感をもつオタクやある種の団体に属する人々に多い様に思えます。
私の勝手な想像ですが、その疎外感故にアイデンティティを求める彼らはナショナリズムに陥るのではないでしょうか。
これは最早理論ではありません。感情の問題でしかなく理論は後づけではないでしょうか。つまりやはり「思考停止」なのです。何が何でもナショナリズムに結びつけば飛びつきます。

ナショナリズムとはポピュリズムの行き着く先で、それはナチスドイツにおいても、戦時中の日本においても同じ、今の北朝鮮もです。「思考停止」にならなければあの様に全員が同じ方向に洗脳される事は無い筈です。

ただ気をつけなければならないのはサヨクにおいても「思考停止」はいろんなところに見え隠れしています。それがポピュリズムに陥ればナショナリズムへと転化していく可能性をはらんでいます。
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この回答へのお礼

冷静な分析、大変参考になりました。
仰るとおり思考停止は恐ろしい事です。そこからは何も生まれません。

思考停止と信念を持つ事は違いますよね。
人間は年を重ねれば、各々自身の考えなり信念が出来て当然でまた出来なければ年を重ねる意味がありません。
しかし、その信念が破壊に繋がるようなものであれば思考停止と同じく危険だと思います。
私はそのような事にならないように、いろいろな事に疑問を持ちながら生きたいと思っております。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/23 10:10

メディアを利用した意識誘導と自己(過去)肯定、表現が悪ければ


お詫びしますが、過去への自慰行為ではないでしょうか?
これも偏った個人的な意見かもしれませんが、あくまでも
大義のない一部の無能な指導者による暴走で、数多の軍神?表現も
遺族への配慮で美化されただけで、単なる犬死に、無駄死にだった
としか思えません。国益でも、止むを得ない選択でもなく、
天皇という独裁者国家での、洗脳された、もしくは強制された
ものでしかなかったと。
それでなおかつ天皇制が存続していることが疑問ですが…。。
紛争でしか解決出来ないのであれば、動物と何ら変わりません。
いつの時代にも歪んだナチズムや国家主義者は存在します。
愛国を否定はしませんが、もっと違う形であるはず。
各人が、過去を真摯に見つめ反省するべきかと思います。
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この回答へのお礼

メディアが発達したおかげでほとんど総ての人が世界の出来事を知る事が出来るようになりましたが、只ここにその報道が絶対的という盲信があるような気がします。
疑わない事が良いのか悪いのかは分りませんがメディアというのは地球上に張り巡らされた陥穽のような気がします。それに嵌るか嵌らないかは個々人の資質によるとおもいますが。
しかし、何時の世にも大勢にはつかず、先を見通し、戦争反対を唱えた人々が居ます。
そのような人にはなれなくとも、また大勢からはじき出されようとも、犬のように盲目的に大勢につく事は避けたいと思っております。
また、戦争反対が戦死された方々を否定する事にはならないと思います。むしろその反対ではないかと思います。
愛国についてはご指摘のように強制するものではありません。
自ずから自分の国を誇れると思わなければ何の意味があるでしょう?
また、アメリカにシーズンごとに行って活躍している日本人スポーツマンが星条旗に向かって、胸に手をあてるのはどういう意味でしょう?
あの戦争が正しかったというのなら、日本人はもう一度戦後すぐの原点に帰ってみる必要があると思います。
ご回答いただいて安心しました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/24 09:58

同じ質問に一人が何回も回答する事は、あまりよくないと思いつつ、けれどどうしても、お礼に対して、回答しなければという思いから、投稿させていただきます。


私の従軍慰安婦に関する回答をご覧になられたとの事、過分なお褒めを頂き恥ずかしい限りです。ですが、あの回答を投稿した当時の私は、一つ過ちを犯していました。「陸軍の関与」についてです。戦時中、従軍慰安婦のような存在があった事は確かです。ですが、実態はその質問のNo.6の方が仰るような営業形態であったようです。確定的な証拠をあげることができませんが、詐欺や人買まがいの行為もあったでしょう。ただしそれは、軍ではなく、斡旋業者によるものです。
私が回答中で述べたように、軍が犯罪行為で慰安婦として徴用した例は、私の調べた限り見当たりませんでした。少なくとも私があったと信じるに足る信憑性のある(証言と当時の状況が概ね一致している。正式な書類があるなど)証拠が見当たらないのです。明言します「あの記述は間違いでした。この場で謝罪と訂正をいたします」
本来なら削除申請なのでしょうが、消し方が分からなくて。
nekomac様、あなたに転換点があったように、私にとりネットでこういう話題を取り扱う際の態度の転換点があの回答の間違いでした。No.5の方に指摘され、調べてみましたが今でも、なぜあの時回答する前に、もっと文献に当たらなかったかを後悔しています。
ご指摘の主体性の無さについては、それが尾を引いているのでしょう。後は、この場はそういった議論をする場でなく、質問と回答をやり取りする場だと、自重しているからです(それでも先の質問のようにミスをします)。
ただ、nekomac様に誤解を抱かれたままなのはいやなので、訂正。
まず私は当時も今も先の戦争は国家として誤った選択だったと理解しています。ここはブレてません。お礼のお言葉は意味が逆です。
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この回答へのお礼

私の場合は右から左、左から右というような思想の転換ではなく、ただ、お洒落と恋愛にしか興味のないノウテンキなバカ娘から少しものを考えられるマシな人間になったというだけですが、、、、。
何回もの回答に関してはかまわないと思います。
このQ&Aのルールはあくまでも質問と回答である事は子供でない限り皆さん承知の事ですが、カテゴリーが多岐に渡り、政治、経済、歴史を含んでいる以上、少しの脱線や複数回の回答は起こりうる結果でむしろ、コンピューターでのやり取りという冷たい無機質さの中で、唯一感じられる人間存在の証明だと、個人的には歓迎したい気持ちです。
少々注意されようと、削除されようと感情の感じられないお手本通りの回答よりは好きですね。
しかし、質問に関して言えば注意すべきものがあるのに最近気付きました。
補足などを使い、回答を引き出された後、質問者の意図に気付き後味の悪い思いをしたことがあります。
質問が狡猾で意図的なものを持たない限り少しの自己主張や、意見交換は赦されていると感じていますが。
以上、回答に対するお礼を兼ねましてありがとうございました。

お礼日時:2007/10/24 10:30

伯父ふたりが戦死しています。


今年の春、思いもかけず、小さな、戦争資料館で、元特攻隊員のかたのお話を生で、聞きました。
飾ることなく、賛美することなく、重いものを背負わされている気負いもなく、淡々と、事実を語ってくださいました。
2人の伯父は、写真でしか知りません。
澄んだ目をした青年です。
伯父たちも、死にたくは、なかったろうと、思います。
男の子、男性は、刀、ナイフに始まって、武器には、多少なりとも、興味があると思います。
戦うという本能は、持ち合わせているのでは、ないでしょうか。
だからといって、戦争を正当化していいことには、ならないと、私も思います。
決して、楽しいことを話すわけではなく、後世のために重い口を開いてくださる体験者のおっしゃることをないがしろにしては、ならないと思います。
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この回答へのお礼

お二人も亡くされたのですか。
写真でしか知らないとはいえ、私とはまた違ったお気持ちをお持ちだろうとお察しいたします。
本当に人間としての本能というか、男の子はよちよち歩きの頃から闘う事に興味を示しますね。
しかし、その闘争本能は戦争に向けられるべきでなくもっと生産的なものに向けて導いてやるのが親の努めと思います。

仰るように私の知っている元特攻隊員の方も非常に物静かな方でした。
それは死と向かい合う事によって身につけた人間性か、持って生まれたものかは分りませんが、テレビで見た方といい、共通しているという事は前者ではないかと思うのですが、、、
それはともあれ、特攻隊員に限らず、南方で屍となった二等兵に至るまで戦争は悲惨を極めたと聞いております。
銃弾ではなく飢えで死んだ兵隊もたくさん居たそうで、熱さと飢えと恐らくはマラリアとの苦しみは想像するにあまりあります。
戦争の真実の姿を知らずして、私たちがあれは必要だったという事は決して出来ないと思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/23 22:12

>何故、一部に戦争賛美、軍隊賛美があるのでしょう?



私は戦争賛美というより、ご先祖様を擁護、弁護する。という、この1点のみを持っています。

ご先祖様というのは、当時の日本国民すべてです。
したがって旧日本軍もその中に入るということです。

それが戦争賛美につながっているかどうかはわかりませんが、少なくとも私は平和主義です。

平和という尊さを教えてくださったご先祖様、現代の豊かさを与えてくださったご先祖様に感謝しています。

おそらくnekomac様と私とは考えかたが違うと思われますので、あまりながながと書き込みませんが、こういう質問には反論も多いと承知の中、ご自分の立場を明らかにし、質問を立てられたnekomac様の姿勢は立派だと思っています。
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この回答へのお礼

お褒めいただきありがとうございます。
しかし、私は仰られるような立派な姿勢を貫いているわけではなく、只あの番組を見た事がこの質問のきっかけになっただけです。
他の回答者からは一つの特集番組を見て戦争を悪と言うなとのご指摘もありましたが、決してこの番組一つによって私の戦争についての見解が出来上がったわけではありません。
現代の若者には見られなくなった(若い人に怒られるかな?)そして、miyabi15さんが言われたように<かっこいい>、清冽とも言える彼らの顔を見て考えずにはいられませんでした。
もし、戦争が無ければ彼らにはどんな人生があったろう?
二十歳前後の学徒であれば昔は大っぴらな女性との交際もなく、人として生まれて来た喜びも何一つ知らず、嫌も応も無く明日死ななければならないとしたら、どうでしょうか?
これが自分の息子であっても後の世のためにと受容出来るでしょうか?
人間てそんなに寛容でしょうか?
私には分りません。
そして、本当に戦争しか方法は無かったのかと考えたわけですが、、、。
百歩譲って戦争しか方法が無かったとしても、無念のうちに死んで行った人々があの戦争は仕方が無かったと叫ぶ私たちをなんと思うでしょうか?
最後に御理解、感謝します。

お礼日時:2007/10/23 16:27

 質問者さんにお聞きしたいのですが、戦争が始まる前の状況をご存知の上での発言でしょうか?



 当時、世界恐慌、関東大震災、昭和金融恐慌と連続し日本の経済は壊滅的な状況でした。

 東北では役所に「娘を売りたい方、斡旋します」という張り紙があった時代です。(私が若い頃に祖母に聞いた話ですと、季節の変わり目などの夜中に売られていく娘の「お父さん、お母さん」という泣き声を、布団を頭からかぶって必死に耐えたそうです。)

 さて欧米諸国がこの状況をみて何をしていたかといいますと、当時は、現在の様に他国を援助するという考えは有りませんでした。それよりも、自国に対する影響を最小に抑える為、ブロック経済といわれる、自国と自国の植民地以外からの輸出入を排除しました。

 とうぜん、この様な状況は国民が耐えられる限度を超えていました。515事件や226事件など青年将校のクーデターが発生していました。

 「自国経済は壊滅的、外国は満足に貿易に応じない」この様な状況で質問者さんは何をすべきだったとお思いですか?
 当時の人達は、苦渋の選択として欧米諸国と同じ、ブロック経済を築く、帝国主義への道を選びました。戦争を否定するのであれば、何か代案があるのでしょうか?
 それとも、戦争は悲惨だから娘を売った人(上記の状況が変わらない限り、半永久的に出没する事に)にしかたない、諦めろと説得するのですか?

 少なくとも当時の日本人は、世界からの孤立と戦争への道である国際連盟脱退を好意的に評価しました。(連盟脱退を宣言をした松岡洋右は『連盟よさらば!/連盟、報告書を採択 わが代表堂々退場す』と英雄扱いで帰国しました)

 私個人の考えですが、昨今の世相の変化は、当時の状況を実体験で知っている人がいなくなり「戦争は悪だ!!」との正に「思考停止」のみで事象を語る人が増えたことに対する反発ではないでしょうか?
(83歳の元特攻隊員のご意見は尊重しますが、同様にテレ朝の「朝まで生討論」という番組で安易に戦前非難する若者に、当時の戦争へ向かわざるを得なかった日本の置かれた状況を、もっと勉強して欲しいと訴えた元日本兵がいらっしゃいました。彼は、日本兵として終戦を迎えた後、インドネシア独立運動に参加された方です。)

 戦争を非難することは簡単です。ですが重ねて聞きますがますが、戦争をしないで済ませる代案があるのですか?

 少なくとも、代案が出せない私は、当時の日本が戦争をしたという点においてだけで非難することは出来ません。
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この回答へのお礼

戦争に向かわざるをえなかったのは事実でしょうね。結果が示していますから。
私は物事を決定する時、二者択一的な思考は道を誤る事が多いと考えています。
戦争に至った理由を代案が無いからと、一方の道を突っ走る事は多大な代価を支払う事に繋がるのではないでしょうか?

太平洋戦争にいたる経過については簡潔に私見を述べますと
日本の資本家と企業が軍事力を背景に領土拡大と市場を求めて、強引に進出した事が世界市場(特にアメリカ、イギリス、フランス)からボイコットされ、数々の制限と抑圧が加えられたため、仰るように耐えきれず戦争に向かわざるを得なかったと認識しています。
それを黙認したり、煽った国民にも責任はありますが、本質的な原因を見誤るべきではないと思います。
またそのツケを払う為に死んで行ったあの凛々しい若者達の顔を思うと感情論と言われてもあの戦争を正当化出来ないのです。

今回の質問で私は皆さんが戦争を否定していないと言う事実に驚愕する思いですがこのコミュニティーが日本の縮図ではないと思いますので、また違う意見もあるのではないかと思い期待を捨ててはいません。
国際化の進む今、日本の美徳とされるどっちにもつかないという考えは人間として一人前と認められません。
正否とは別に自分の考えを持ち、それを表明出来る事はそれだけですばらしい事と思います。
そういう意味で私は自分と違う回答者の意見に敬意を表したいと思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/23 12:15

正直な話、各コメントを読んでいると質問者の戦争に対する知識の無さが目立ってしょうがありません。


テレビ番組だけで物事を決め付けるのはよくないとANo5の方が書いているのに、そのテレビ番組以外に他人の意見を聞かずに感情だけで物事を判断している時点で正当な判断もできていません。
なぜ戦争賛美・軍隊賛美があるのかということと、質問者がそれをどう考えているかはまったく関連の無いことであり、明らかに解なし状態になっています。

こういう内容は経済面・政治面・個々の面子など様々な観点でメリットデメリットを見極めないと相手の気持ちは分かりません。質問者がどう思うかなんて戦争賛美する人には関係ないのですから。

ひとまず戦争資料や兵士の手記などを50冊以上読んでください。ここに長文で回答している人たちはそれ以上読んでいますよ。
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この回答へのお礼

そうですね、私がどう考えているかは戦争賛美者には関係ありません。
ところであなたは何を言いたくて回答者の欄に出て来たのでしょうか?
私の質問に対する回答は何処を探しても見当たらないようですが、、、
只の誹謗中傷はお慎み下さるようお願い致します。

投稿ありがとうございます。

お礼日時:2007/10/23 11:00

No.2です。



先ほどの回答で述べたように、私は戦争に限らず、物事をなるべく多角的に見るよう、日頃から訓練しています。

確かに戦争はよろしくない。
しかし、非常時の備えなくして、民の生命と人権と安全と財産は守れないというのが、歴史の教える教訓です。
ベトナムは死に物狂いで戦ったから、アメリカを追い出すことができた。
一方チベットは、有事の際に抵抗する努力を怠ったから、中国の人民解放軍に国を占領されて、今なお民族が弾圧され人権が蹂躙されている。
これが現実なのです。

さて、話がそれました。
第二次世界大戦について私がどう考えているかというと、あれは戦ってはいけない戦争でした。
勝ち目のない戦争はやるべきではない。それに尽きます。
だから、先の大戦を無条件に賛美する人については、「反省してねーだろ、おまえら」という気持ちを正直持っています。

ですが、だからといってあの戦争は悪だったといって、全否定するわけでもありません。
様々な角度から分析すれば、歴史的に意味のある内容も一部あるのです。

例えば、当時の日本の大義名分は「東亜の解放」でした。
何から解放するのか。欧米の植民地支配から、アジア諸国を解放するという宣伝をしたのです。

そこには、当然いろいろな計算が付きまといます。
しかし、戦争に出かけた兵士の多くは、その文句を信じて戦いました。
そして戦争に負けたあとも、「東亜の解放」のために日本に復員せずに自主的に現地に残った日本兵もいたのです。

例えば、インドネシアでは約2000名の日本兵が残って、インドネシアを再度植民地化しようとしたオランダ軍と戦いました。
他にもベトナムに残ってフランス軍と戦ったり、中国で戦ったり、後の台湾に逃れた国民党軍の軍隊を、旧日本軍式で鍛えなおす手伝いをしたりなど、さまざまな活動をしたのです。

対極的に見て、勝ち目のない戦争を始めたのは愚かなことでした。
しかし、そういう中でも懸命に戦い抜いて、日本のために、そして大義のために戦った人たちの功績まで否定するのは、私は懸命な態度ではないと考えています。
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この回答へのお礼

私は自分が賢明でない事を良く知っております。
賢明であれば、このような質問はしませんから。

あなたのお説はよく解りました。
しかし、ベトナム戦争については少し見解の相違があるような気がします。
独立というか、冷戦時代に、共産主義の南下を防ごうとした、大国同士の犠牲になった戦争と思っておりました。
しかしこれはこの質問の本筋でありませんのでこの辺で。
有り難うございました。

お礼日時:2007/10/23 10:55

文意を読み取れず、的外れな回答、申し訳ありません。

再度、回答させて頂きます。
江畑氏の見解については、軍隊の役割という流れであったと記憶しますが、元本が手元にないので追求は控えます。私見として言うなら、100円の物を買うのに、110円を使わせるのが、軍隊という認識です。この10円が人命であり、国家予算です。買うには高いから手控えさせようとさせる抑止力というなら、確かに核も同類かもしれません。ただ歴史が古く(認知されている)、汎用性と対コスト効果が高いのが人間の軍隊ということでしょう(核兵器は使えば自分も報復と制裁で滅んでしまう危険性が高いく製造・運用するコストも高いから)。
反論は多々あると思いますが、結局戦争は、如何にに安く多くを手に入れるかであり、感情よりは論理に近い分野(人命すらも数字に置き換えるほど)だと私は理解しています。だから、私は将来起こる戦争は嫌いです。ただ、現実、戦争を防ぐ要素で機能するシステム(国連や地域共同体)がその機能を果たしえない時の備えを、国家は国民を守るため準備すべきと思います(必要悪として)。

以下本題ですが、私は質問者の仰るところの賛美者だったことのある者でしたので、当時の私の感じていた範囲で、お答えします。
まず特攻に関しては、彼らの犠牲が無駄でないと思いたいこと。今の平和は、特攻のみならず、多くの当時の日本人の犠牲の上に成り立つものであると、意識していたことがあります(これは今もそうです)。
後は、かっこよかったこと。陸地に屍を晒すより、同じ死ぬなら飛行機で散る方が映像的に美しく感じた事でしょうか。今では、それにも屍を晒すのとは別の苦しみがあることを想像できますが、当時はそれができず、多くの戦死の形態から特に航空特攻を際立たせて見せていたと思います。
次に戦争賛美に関しては、一時期は本当に大東亜戦争を聖戦と思っていた時期もありました。私の感性にあう体験記や、国粋主義的視点の小説を乱読した影響だと思います。戦場での立派な将兵の態度は尊敬できますし、想像すると胸躍りました。また、自分もそうありたいと憧れました。これもやはり、かっこよくて、同じ日本人として誇らしかったと感じていたように思います。
ただ、今その当時を振り返ってみると、私の場合は知識不足で偏った理解をしていたように思います。
なぜあんな戦争をせざる得なかったか、その結果何が起こり、何が失われたかを知るにつれ、私の先の戦争賛美は、歴史の流れとして仕方なかったという諦観に変わりました。
また戦場の厳しさや立派でない人々の行動を知るにつれ、少し離れた立ち位置で、それらを見ることができるようになった気がします。戦場にいるのはただの人で、完全無欠の英雄はいないと気付いた時点で。

私の体験から察するに、先の戦争を積極的に肯定する方々は、出来事を私たちが誇れる一面からしか見てないか、意図的に出来事の裏を見ないようにしているからではなでしょうか。
あるいは戦場に英雄をもとめているのか。
以上、私個人の体験から書かせていただきました。参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

少し横道にそれる事を赦してください。
私はあなたの過去の回答、<従軍慰安婦に関する教育>を非常な興味と感嘆の気持ちを持って読ませたものの一人でした。
このコミュニティーでは小数派に属する意見を正々堂々と述べ、また中で
「相手がどう思うという前に自分がどう考えるかが大切」と述べられているのに対し、最近の質問では質問者の立場をルールに忠実に守っているのかどうか、主体性の無さを感じました。このように論調が変化した過程には余程の原因が有ったと推察します。
人間は日々変わるものである事は否定しません。
私自身も昔々は飲み会などで男性と一緒になって軍歌などを歌っていい気になっていた時期もありました。
その頃、私がウヨク的な思想を持っていたかと言うとそんな大それた事ではなく、それが何を意味するか知らない、ひたすら無知な人間であったというだけです。
この私を決定的に帰るきっかけになったのは特攻隊くずれと自ら自重気味にいつも語っていた方の「あんな歌を君のような若い人が歌ってはいけないよ。我々戦争に行ったものは決してあんな歌は歌わない」との静かな叱責の言葉でした。今思えば自分の未熟さに赤面するしかありません。

人間は変わりうるものです。
しかし私はこれからも戦争を正当かする人間に変わる事は決して無いと思っています。
重ねての回答有り難うございます。また、何か私の未熟さに気付いた時はご意見お願い致します。

お礼日時:2007/10/23 10:43

こんばんわ。

興味深い質問だったので、回答させていただきます。
生憎私はその番組を見ていないのですが、生き残った特攻隊の方の言葉はとても重いものだと思います。ですが、それは先の戦争に対する気持ちであり、本来は我が国の軍隊賛美に対する批判とは、深く関係しないのではと、愚考します。
軍隊とは戦争を抑止するために存在する組織で、戦争を仕掛けれられた時点で存在意義の半分を失ってしまうと、軍事評論家として定評の高い江畑謙介氏の著作(タイトル失念)にもありますし、特に自衛隊は外征能力が小さい軍隊ですから、旧軍のようには使えない、防衛に特化した軍隊です。こと、中国のように毎年軍事費を増額している大国や、北のような危険国家が存在する現在、自衛隊や、自衛隊員はもっと高い評価を得てよいと思います。
彼らは、もし他国が攻めてきたとき(その日が来ない事を祈りつつ、日々鍛錬ししつつ)に、私たちが銃を持たなくてもよいように、備えてくれている人たちなのですから。

また、戦争賛美については、nekomac様の基準には、私も賛美者に入るかも知れません(戦史も海軍も大好きです)が、慎重に取り扱うべきでしょう。フィンランド対ソ連の冬戦争のように、多大な犠牲と領土を奪われても、戦争した結果、独立と戦死者より多くの人命を守った戦争もあれば、朝鮮戦争のように領土拡大に失敗し、自国を苦しめる戦争もあります。どんな内容の戦争に、どのようなスタンスで向き合っている人かで、評価をかえる事をオススメする、では回答にならないでしょうか。
もちろん、先の大戦時の我が国を無条件に高評価する人や、将来我が国が他国に、侵略意図の武力侵攻をすべきという人は、警戒すべきですが。
質問者様の戦争賛美者の定義を教えていただければ、もう少し突っ込んだ回答が出てくるかもしれません。
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この回答へのお礼

こんばんは
私は別に戦争賛美者に定義などもってはいません。
しかし現実の戦争を考える時、これは良い戦争だったと思えるようなものを思い浮かべる事はできません。
結果が良かったからと言ってその為に払った犠牲と相殺してしまう事は私には出来ないのです。
また、江畑謙介氏の言われたという<<軍隊とは戦争を抑止する為に存在する組織で、戦争を仕掛けられた時点で存在意義の半分を失う>>という言葉、前後の文が分らず軽々に言う事は勿論、軍事専門家の氏に私のようなものが意義を言う事は僭越ですが、これはいわば、核抑止力の論理と同じではないかと思います。
攻め込まれる可能性のある国には、軍隊や核を持つ事を認める事にはなりませんか?
私は力の論理では紛争は解決しないと信じています。

なお拙文のため誤解させてしまいましたが、私の質問は戦争を生き残った方本人が涙ながらに戦争は嫌だと訴えたにもかかわらず、何故先の戦争、及び特攻隊などの軍隊を賛美するのかと問いかけたつもりでしたが。
自衛隊などの要不要論は不毛の議論と思っていますのでここでは遠慮したいと思います

お礼日時:2007/10/22 21:36

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