牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

インド、オランダ、フィリピンなど、第二次世界大戦終結後、数年以内に独立した国はいっぱいあります。

宗主国としては自国の権益はいつまでも持ち続けたいはずです。
しかし、数年以内に独立している国が多数あるところをみると、何か権益の持続を図り得ない大きな力が働いたのではないかと思うのです。

この理由の一つに日本と連合国との戦争は大きく寄与している・・・第二次世界大戦がなければ、当時の独立はあり得なかった・・・のではないかと思うのですが、如何でしょうか?

第二次世界大戦がなくても、すでにこの頃、これら植民地の独立の気運は熟していたのでしょうか?
仮にもし、第二次世界大戦が独立の一要因になったとすれば、これら独立国は日本に対し感謝の念を持っているのでしょうか?

あまりこういうことを言う人を見ないので、お尋ねします。

A 回答 (1件)

独立運動と言うものは民族意識、国家意識の存在が必要となりますが、近代における植民地は一般に民族・国家形成が遅れており、独立運動は余り盛んではありませんでした。



しかし19世紀も後半になると、鉄道や新聞など、近代国家を形成するのに必要な環境が整い、植民地においても次第に独立の気運が出てきます。(インドの鉄道は1853年開通)

その機運に拍車を掛けたのが第一次世界大戦後に出されたベルサイユ条約であり、そこでは民族自決の原則が盛り込まれました。この原則に影響されてインド(ガンジー)、朝鮮半島(3・1独立運動)、ベトナム(ホーチミン)、インドネシア(スカルノ)、ビルマ(タキン党)、フィリピン(ケソン)など、多くの植民地で独立運動が活発になります。

宗主国もそれに押されて独立の約束をする国(アメリカ、イギリスなど)もありましたが、経済状況の悪化(大恐慌)や、戦争への不安などから、実際には独立が許された国はわずかでした。

その状況が一変するのは第二次世界大戦です。欧米は対独戦争に忙殺され、アジアの植民地を省みる余裕がなく、また対日戦争を優位に進めるために、植民地運動の指導者たちを支援せざるをえませんでした。

一方でこの地に足を進めた日本も、民族解放をスローガンに対欧米戦を展開したため、植民地では「解放軍」として受け止めた人も少なくなかったようです。実際、フィリピンやビルマでは独立が達成されます。

しかし元々日本には民族解放という目標はなく、あくまで戦争遂行のための資源確保が東南アジア侵出の目的であったため、独立といっても実権の伴ったものではなく、軍による搾取や処刑が盛んに行われた結果、現地人も次第に反日的になり、抗日運動が激しくなっていきます。

さらに戦況が悪化していくと、状況を見越して欧米側に寝返る植民地人も続出し、軍当局は彼らを弾圧した結果、余計に反日感情を悪化させるケースも相次ぎました。

フィリピンでは親日政権とアメリカに支援された抗日ゲリラの戦闘が激しくなり、ビルマでもイギリスの援助を受けたアウンサンら(ノーベル平和賞受賞者アウンサンスーチーの父)が、一向に独立を認めない日本を見切り、独立運動を活発化させます。インドネシアや台湾では日本は大きく譲歩し、45年には独立を約束しますが、その前に戦争が終わってしまいます。

戦後、戻ってきた宗主国は統治を復活させようとしますが、戦争時にすっかり基盤が出来上がってしまった独立運動を押さえつけることはできず、戦争(ベトナムなど)などを経て、結局独立が達成されていきます。

こうして見ると、実際に第二次世界大戦が独立に大きな影響を与えたことが分かりますが、日本の位置づけは微妙です。と言うのは日本は確かに植民地解放を掲げたのですが、実際に独立させた国はわずかであり、しかも多くの地域で強制労働や強制徴収を行っていたからです。

戦時下ゆえ、そのような強制は不可避であり、戦争が日本の勝利で終わっていれば日本はそれらの国々を独立させていた、とする意見もありますが、当時の日本軍部の発想を考えると、そのような可能性は小さいものと思われます。

なぜなら皇民化運動に見られるように、軍部の考えは原理主義の日本版とでも言うべき日本中心主義で、全ての人民や資源は国体を守るために配置される、というものでした。この考えに沿って強制労働や沖縄捨て石戦が行われたのであり、仮に日本が勝利したとしても、植民地人の権利を尊重する発想は生まれなかったでしょう。植民地の自決は、日本中心主義から最も遠い点にあるものだからです。

実際、現地人聞いて見ますと、日本の占領に感謝する人はほとんどおらず、「犬が去って豚が来た」(台湾)、「ワニが去って別のワニが来た」(インドネシア)と、日本を単に別の宗主国と見る声がほとんどでした。

確かにチャンドラボースやインドネシア、台湾(注)の一部には感謝する声もありますが、これは特殊な事情が介在しているからであり、全体としてみると、「日本の統治は植民地独立の気運を高めはしたが、それは植民地解放を目的としたものではなかったため、一般に独立国は日本に感謝していない」、と言うことでしょう。

注)
ボースはイギリスの急進独立派であり、日本の力を借りてイギリス勢力を追い出そうとした。
インドネシアでは戦後、独立運動に身を投じた日本兵士もいた。
台湾では戦後、国民党による虐殺・圧制が横行したため、比較的緩やかであった日本時代を懐かしむ高齢者が存在する。
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この回答へのお礼

短い時間でよくまとめていただきました。

「近代国家」が出来上がりつつある時期に、第二次世界大戦が起きたのですね。
わたしは、「少しくらい日本に感謝してくれてもいいだろう」くらいの気持ちを
持っていたのですが、やはり、やりかたが拙かったですね。

しかし、かつての宗主国が残した傷跡は、今でも彼らを苦しめています。
旧宗主国はこのことに多少なりとも責任を感じているでしょうか。

有難うございました。
この程度で十分です。

お礼日時:2007/11/05 21:48

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