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最近、勉強していて疑問に思いました。
今でも昔でも革命を起こすのは国家転覆罪ですよね。
自由を求めるといって、
国家に反逆した革命者たちは善いことをしたんでしょうか?
一応、歴史的な評価が知りたかったので
歴史カテゴリーに投稿させてもらいました。

A 回答 (9件)

革命を起こした側が勝利したから「善」であって負ければ当然フランス政府から見れば「悪」で


あったと思います。
我々の歴史観はすべて結果論で、結果だけを見て善悪を判断しています。つまり、ここで革命者
が負けていれば結果論では「悪」となってしまいます。
歴史は勝利した側の視点で描かれています。

ちょっと例を...
1600年に関ヶ原の戦いがありましたよね。今の理論からすると、負けた側である豊臣方は勝利
した徳川方から見れば「悪」であり、いわば革命的なことをした徳川方は「善」となります。
もし、豊臣方が勝っていたら....
当然いままで日本の中心だったのは豊臣家で、天下を握っていたのも豊臣家です。勝利した豊臣
方から見れば、徳川方は単なる反逆者、つまり謀反を起こしたとんでもない輩ということになり
ます。これでは徳川方は「悪」です。

つまり、視点によっては善悪が変わってくるのです。
当時、フランス政府から見れば、革命者は単なる反逆者でありとんでもない輩だったわけです。
今は、勝利した革命者の視点から見ているのでフランス政府は「悪」となるのです。

もう一度言います。歴史は勝利した側の視点で作られています。結果論で善悪をつけているので
す。
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フランス革命のように、君主制国家で起きた急激な政治改革(時の政権を暴力で転覆させる政治改革)は悪です。

そんなことをしなくても、イギリスで見られたように、君主制の下でありながら議会制民主主義が萌芽し、徐々に育っていったのです。何を血迷ったのか、フランスではギロチンが猛威を奮う殺戮が発生し、それがヨーロッパ全体に波及していったのです。フランス革命に限らず、革命は悪であり、革命者は悪人でした。

フランス革命の思想的指導者、ジャン・J・ルソーは狂人でした。狂人の頭から生れる思想が健全であるはずがない。狂気に満ちた思想でした。
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「歴史的な評価」という意味では、世界の潮流が共和制民主主義(立憲君主制含む)である限り、「善」という事になるかもしれません。


というのは、「歴史的評価」というのは、しばしばその時代や国の「価値観」で変るからです。
例えば、「悪」とされる「奴隷制」も古代では「当たり前」であり、「奴隷制が悪いこと」とは考えられていませんでした。
これと同じで、「絶対君主制」が「当たり前」であった場合は「フランス革命」とは許されざる「犯罪」であったでしょう。
それを示すように、フランス革命(バスティーユ襲撃)以後のヨーロッパ各国は、革命が自国に波及するのを恐れ、様々な政策をとっています。
一度は、ウィーン体制に代表されるように、「フランス革命以前」に戻そうという世界的な動きもありました。
しかし、一度勢いの付いた流れを変えることが出来ずに、現在の「民主主義至上観」とも言える「価値観」が生まれることとなります。

さて、「王家の浪費によって国民が困窮し、その不満が革命に繋がった」という「フランス革命観」があり、それが「善いこと」とする根拠となっています。
しかし、最近の研究ではそれは「革命側の主張」でしかなく、実際にはそれほどでも無かったようです。
むしろ、酷い困窮に陥ったのは「革命勃発後」であり、「革命の混乱による税収減」が大きな原因だと指摘する研究者もいます。

結局、「歴史の評価」というのは評価する側の「思想・価値観・歴史観」に拠るところが大きいと言えます。
「フランス革命=善いこと」と評価する人の多くは、マルクス主義者によるマルクス史観であり、それがソロシア革命後のボルシェビキ独裁や共産主義独裁国家を招いたとし、フランス革命に否定的な論が台頭しているようです。

※日本の教科書は、あまり「歴史観(歴史哲学)」に関心がなく、結果知らず知らずのウチにマルクス・ヘーゲル的進歩史観の記述が幅を効かしているとの指摘もあります。
「歴史学の基礎(或いは、歴史を見る目)」は学校では中々教えてくれませんので、自分で養うしかありません。

http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81 …
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「政府は人民の委託で機能すべきで、政府が人民の権利を侵害するとき新しい政府を作るのは人民の権利である。

」アメリカは社会契約説を下敷きに、独立宣言を起草し、独立を勝ち取りました。そしてそれはフランス革命にも影響を与えました。

国家転覆罪といっても、「朕は国家なり」と主張して国民を抑圧する支配者の首を挿げ替えることは、支配者にとって犯罪になるかもしれませんが国民にとっては正義であると考えてよいのではないでしょうか。

現在の民主主義の基本は革命によって作られたものだと考えます。

参考URL:http://www.h4.dion.ne.jp/~room4me/america/declar …
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 原則的なことを言います。

フランス革命は戦後日本ではすごく高い評価を受けていました。なぜだか分かると思いますが、それは日本の国家動員体制にあり、国家による思想統制、弾圧・・・国家による「暴力」です。ですから戦後日本では国家が暴力装置となりうるという見方が強まり、そうならない政治システムを考えようとしてきた歴史があります。

 国家とは何かということをめぐって古代ギリシャからずっと議論が重ねられてきました。そしてこれは国家と社会という問題性としてとらえられる傾向があります。

 ちょうどフランス革命はルソーという人の思想を強烈に受けていると言われています。異論はあると思いますが、彼は政治思想上で明確な人民主権という問題を明らかにし、市民政府という国家像を示しました。つまり、国家は人々のために存在するという原則です。

 この時代の思想的巨人は、ルソーに加え、ロックとホッブズ(あとモンテスキューがいますがここでは省略)です。ロックとホッブズはいわゆる「社会契約」と見ました。簡単に国家と人々の契約書と考えていいです。ホッブズにとっては人間は人間同士で争う動物であるので、国家による統制が必要だと考えました。他方、ロックにとってそれは人間の私的所有(財産など)が脅かされないために国家による保護を必要とすることを主張します。

 この時期にはどちらかといえば、国家の存在は「必要悪」としてとらえる見方が強いのが分かります。しかし20世紀になると大変な国家の暴走が起こるのです。それは歴史上、最悪の3つの巨大国家形態の出現でした。

 時代順序からいうと、第1にファシズム国家。第2に社会主義国家、第3に自由民主主義国家(アメリカ、日本など)という順番にその国家の暴力(戦争など)が批判的に見られるようになりました。
 20世紀最大の国家転覆思想はマルクス主義です(そうではない思想家もいる、修正主義者といわれる人々のことです、これは今日のヨーロッパの社会民主主義へとつながっていきます)。これは国家および資本主義による経済的暴力の克服のためのものとして、その上での理想社会のことを言っていました。

 ここで何が分かったか。それは巨大国家の個人の抑圧という問題でした。本来、国家は個人の保護のために存在したのにもかかわらず、どうも怪しい側面もあるということです。たとえばその典型がアウシュヴィッツにおける大虐殺でした。

 90年代以降、社会主義の理想の瓦解により、国家転覆思想は終わりをむかえ、今は現存する国家をいかにコントロールする人々、国民、組織をうまく作り上げるかということが問題となっています。






 
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フランス革命は一度に起こった事件ではなく、長く複雑なプロセスを経て、恐怖政治の時期をはさみ、ナポレオンがヨーロッパ中を引っ掻き回し、最後は王政復古に終わる長い物語です。



フランス革命というと第3身分(庶民)の反乱というイメージがあるかもしれませんが、フランス革命の直接のきっかけは、もっと単純なものです。ブルボン家は商人から多量の借金をしていたのですが、財務大臣が、国家は事実上の破綻状態にあり返済能力はないと暴露してしまったことが騒ぎの始まりなのです(昨今の日本ににていますなあ)。金返せドロボーという騒ぎの中、貴族にも税負担を求めるために国会が開かれ、議論が泥沼化していきます。第3身分は何をしたかというと、バスチーユ襲撃が挙げられますが、これは象徴的事件に過ぎず、解放された囚人は7人(精神障害者2人、文書偽造犯4人、非行貴族1人)で政治犯はいなかったのが実情です。歴史的評価という点では、第3身分の行動は過剰評価されていると思います。一昔前にはマルクス主義者のように、この手の民衆活動と革命の話が好きな人が、たくさんいたんですよ。

国家に反逆した革命家というのは、大多数の庶民ではなく、数の限られた特殊な人たちだったと考えたほうが良いでしょう。恐怖政治の時代には、かなりラディカルな人々がいて本気で革命を進めていましたし、中には、後から見たら、気持ちの悪い政策を唱える人々もいました。特に不気味なのが、キリスト教を廃止して理性崇拝や「最高存在の祭典(何それ?)」をやったことです。なお、当時の数少ない成果として、メートル法の発明があります。恐怖政治は、普通の感覚の人間なら肯定的に評価することはできませんし、とくにキリスト教の廃止は、保守的な農民から反発を買いました。

ナポレオンが絶対的な支持を受けたのは、キリスト教を再興し、農民たちの心をつかんだのも要因のひとつです。ただし、土地を得た農民は保守化し、それ以上の革命の進展を望まなくなります。GHQが農地解放を行い小作人制度を廃止したところ、自民党の支持基盤である小作農民を多量に作り出してしまったのと同じ現象です。

結局、ナポレオンはヨーロッパ中を引っかき回し、戦争に敗れて失脚、ブルボン家の王政復古が行われ、革命の歴史はいったんここで終わります。しかし、ナポレオンには改革者としての側面もあったことは忘れてはなりません。近代法を作ったのはナポレオンの功績で、彼は戦争における勝利より、法典を作ったほうが重要な仕事だったと言っています(事実を隠蔽する自己陶酔だと思いますが)。

旧体制への反逆をどう評価するかは、これだけ取り上げても一冊の本がかけてしまうほどの複雑な問題です。教えて!gooの、回答は800字以内、分割連続投稿禁止ルールでは、説明し切れません。ちなみに革命を強引に推し進めた人物として、ナポレオンが最も恐れたタレランという外交官がいて、この人は貴族でありながら、革命を進めていくための仕組みを作った点で評価できます。具体的には、かつての貴族の財産を没収するという計画を立て、それを信用力としたアッシニアという債権(実質は紙幣)を発行したのが天才的なひらめきです。つまり、革命を前に進め、貴族の財産を没収し続けないと、国が金を払えなくなるという制度を作ったのです。第3身分の行動より、アッシニアの発明のほうが、よほどフランス革命を前に進める力になったような気がします。
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「善か悪か?」という問いかけは、自分の行動に対して用いる物差しで、他人がとやかく言うのはよくない、という立場から。



反逆したフランスの民衆にとっては、善だったと考えます。ていうか、飢え死にするかどうかって時に、善悪なんぞ気にしてられないわけで。
状況としては
イギリスに負け続けでは面白くないという理由で、民衆にとって何もメリットのない遠隔地の戦争(アメリカ独立戦争)へ大軍を派兵した結果、すでに重税で潰れそうな民衆に対し、「金がねえんだ、よこせ」と増税を準備する政府に、「うるせー! パンよこせ!」と返事したのですが。

飢え死にか殺されるか、という選択なら、誰でも反逆に参加するんでないかと。実際には、そのように宣伝されたという面が強いみたいですが。
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歴史的評価に善悪は余り関係ありません。


二元論的な白黒つける考え方は
立場によってどうとでも変わるので、
あまり意味が無いからです。

さて、革命についてですが
ジョン・ロックが定義した抵抗権というのが
あなたの疑問の回答になるでしょうね。
簡単にいえば
国家の不正なる圧制に対して、
人民は抵抗する権利を有するという考えです。
国家が人民のために尽くさず、
人民を苦しめ、搾取し、平和的方法によって政権を
後退する手段が無い場合は、
暴力革命は不可避となるので
正当化されるというわけです。

フランス革命については、細かい経緯についていろいろあるわけですが
封建制度の廃止と近代化、民主化という点で、歴史的必然性がありました。
ちなみに現在の国家転覆罪なるものは当時のフランスにはそぐいません。
というのも、当時のフランスはブルボン王家の所有物だったからです。
君主制という形で、私有されていたあらゆる公共資産は、搾取そのもの。
国家に反逆ではなくて、君主に対する個人的忠誠が問題になったわけで、
王家の利益や、個人的な忠誠心よりも、
国家、フランスに対する忠誠・義務が優先された結果が
王権の停止であり、王制の廃止です。
だから革命家達は国家に反逆したことにはならないのです。
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一握りの王族と貴族と僧侶が贅沢ざんまいしていて戦争費用が足りないと国民にだけ税金かければたいていの国で革命起きますね。


フランス革命時のブルボン王朝と同じく「絶対王制」の国は地球に1つ残っていたがネパール共産党と他の政党が合意したので王制廃止確実です。

善いことには違いない。

革命後のフランス議会には王政復古目指す王党派もいたんですよ。ナポレオンが最終的に王党派を解体した(王党派のクーデターを鎮圧した) のちに彼は皇帝になり追放される。
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