電子書籍の厳選無料作品が豊富!

2009年5月21日から始まる裁判員制度については、ほとんどの方にご承知されているようですが。

2ちゃんねるの裁判員制度反対をネタにしたスレを何気なく覗いていたら、「裁判員制度は憲法違反」の記事をコピペしている人がいたので、そこをたどってみると、livedoorのニュースサイトでそのような旨の記事が見つかりました。

ttp://news.livedoor.com/article/detail/3616184/

それは2008年の5月2日とつい最近のことで、
「一般国民が裁判官と同等の評決権を持つことは、憲法上許されない」
「思想信条を理由とする辞退を認めず、市民の基本的人権を否定する制度」
と言うコメントが記載されて、思わず共感してしまいました。

確かに、裁判員制度を紹介するサイトを、Q&Aを中心にあさっていたのですが、どうも「国民に裁判の本当の仕組みを伝える」と言う利益しかなくて、本裁判にプラスとなる影響があるのかと言う実感がなく、それに一般人にプロの裁判官と同じ重みの責任を背負わせるのは酷ではないかと思いますし、プロが何故わざわざ一般人に頼るのも、正直認められない節もあります。

そのうえ、精神的傷害を負った裁判員のために、カウンセリングを備えておくと聞いたとき、軽々しくそうされても、危害が加えられる可能性が0ではないと言うことに、多くの人がまた怖さを覚えるのではと思うのです。

断りの自由もなしに裁判所にかり出され、精神的ダメージなどで人生に影を落とされでもしたら、それこそ言葉で言えば陳腐に思えてしまうほどの重罪にだってなりえかねませんからね。

規模は違えど、形としては戦争にかり出された兵隊のようなんじゃないかとも思う人が少なからずいるのではないかとも考えてしまいますし。

かなりの長文で申し訳ありませんが、違憲判決は、その言葉のイメージからは、かなり重そうなので、これは見過ごせないと思って、この質問をさせていただくことになりました。

A 回答 (3件)

これは自治とはなにかということに由来する問題です。


自治というのは文字通り、自分たちで治めるということで、逆は王様に治めてもらったりすることです。

自治のひとつの手段に民主主義があります。自治組織(町・村・市~県・国まで)の人口が少なければ、国の単位でも直接参政とか直接選挙などの形で運営できますが、日本のような大きな国では選挙をして間接的に自治組織の運営者を決めなければ、やっていけません。
これがいわゆる国民による行政の監視・運営ということになり、自治(自分たちで治める)を実現するひとつの方法ということになります。

では自治組織での裁判(犯罪を裁くこと)はどうすればよいでしょうか。
小さな自治組織では、寄り合いで村八分にしたり長老が犯罪者を追放処分にしたりしていました。
しかしそれでは、公正な裁判を行うことが難しいので段々に専門的な役割を担う者が出てきました。
もちろん警察の役割もあります。江戸時代の奉行は、警察であり検察であり裁判官の役目も果たしました。
アメリカでよく出てくる保安官は、町などの自治組織から委託もしくは選任された人がなるもので、日本の役人による警察とは違い、自治組織の範囲とされます。

さて現在では裁判官になるにも司法試験を受けて専門的な教育を受けなければなりません。
しかし、専門的な教育を受けたからといって、正しい判断ができるかは疑問です。

問題は「正しい」とか「公正・公平」とは誰の視点に立つのかということです。もちろん自治である以上、構成員の大多数が納得するものでなければなりません。

現在でも裁判官は一度成立した法律に対して、違憲判決を下したり、前例のない重罰を下すこともできます。
つまりそれは不公平であるから間違っているとか、社会に対して悪影響があるから重罰にしたほうがよいという判断をするのです。
これは裁判官に与えられた権利で、裁判官は個人の良心にしたがって判断をくだすことになっています。

しかし裁判官の良心は必ずしも一般市民の感覚とは同じではありません。プロからみえる問題の本質という視点のズレはありますが、本来、自治という観点からみれば、このズレは極力小さくする必要がありますし、「正しい」とか「公正・公平」という視点自体も、自治組織の構成員(国なら国民)の大多数が支持するものでなくてはなりません。
なぜなら、自治組織の構成員によって「正しい」とか「公正・公平」とかの感覚自体が変化するからです。
(イスラム教国家で強姦された少女が姦淫罪で死刑になった事例をご存知ですか)

このようなことから、アメリカなどの民主主義=自治主義国家は、陪審員制度などで、国民の意見や感覚を取り入れることに努力を払っているのです。

私は裁判員制度に賛成です。
なぜならこの国の構成員として、この国をよりよく正しく公正させていくことに参加できるからです。
そのような権利を奪うほうが、よっぽど憲法違反だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

国民の全てが、国の構成員と言うことでしょうか。
それだとしたら、立派な裁判員制度賛成の意見として成り立つのも十分分かるでしょう。

今、国民のニーズに、政治家が沿って物事をしっかりと決められているのかが問われているような感じもしますが、裁判もそれに対して十分な要素を持っているのは分かります。

ただ、そこで気になったのは、ならば何のための専門教育なのか、と言うことでしょう。
「それならなくていい」と言えば簡単に済むかもしれませんが・・・。

裁判などの重い任務のときこそ、人の強みや弱みが出る、それが人の悲しい性なのかもしれません。
イスラム教国家の少女が死刑になった件は、その象徴の一例かもしれませんね。
最も私は、全く知らなかったですが。

プロがわざわざ法律の素人の国民に頼らずして、「公正・公平」の感覚を取りまとめることは出来ないでしょうか?
もはや、プロのプライドに頼ってはならない実情が、そこにあるのでしょうか?

お礼日時:2008/05/10 12:25

最初に、私個人は少なくとも今の裁判員制度にはあまり賛成していないことを言明しておきます。


以下は、そういう個人的意見を排してなるべくリベラルに書いているつもりです。

まず、裁判員制度と憲法との関係については
過去によく似た趣旨の質問に回答したことがありますのでご参考に…
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3257880.html
私はNo.4で回答しています。

結論からいえば、双方の主張があるところではありますが、
今のところは憲法には違反しないという意見のほうが優勢だと思います。

で、憲法に違反しないとなれば、あとは法的問題ではなく、
このような制度が必要か?という政策的問題となりますし、
「裁判員制度はこんなデメリットがある!」という主張もまた
政策議論における主張の1つにすぎない、ということになります。

政策的論争であれば、たぶん法律カテゴリーよりも政治や社会問題カテゴリーの守備範囲となると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
法律の知識には疎い身でありますが、今の所は、憲法に反する証拠は見つからないと言うことですね。

しかし、あの2つの例を挙げて、憲法違反じゃないと言えば、私が挙げた記事の中の人たちはどう言った反応を示すか興味深い、と言うことには変わりありません。

あまり過剰な粗探しも道徳的によろしくないでしょうから、行く末を慎重に見守って行こうかと思います。

お礼日時:2008/05/10 12:17

確かに、違憲の要素も少なくないようですね。



そう主張する本や運動もあるようです。

つぶせ!裁判員制度 (新潮新書 254) (新書)井上 薫 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A4%E3%81%B6%E3%81 …

裁判員制度はいらない (単行本)高山 俊吉 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%93 …

裁判員制度は違憲のデパート・東京高裁元判事が警鐘@週刊現代3月17日号184頁

裁判員制度はいらない! 大運動
http://no-saiban-in.org/
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

わざわざ参考文献を列挙していただいて、幸いに思っております。
そのうち、表沙汰になりそうな話題と言うことなので。

お礼日時:2008/05/07 12:56

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!