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日本は、一か八かの覚悟で戦争に突入しましたが、アメリカは、ミッドウエイの海戦で勝利し、
この戦争の主導権を握ることができたと、思ったはずです。
主導権を握ったとした場合、その後のアメリカの戦略は変わったのでしょうか。
つまり、この海戦までは「やられたからやり返す」という作戦でよいわけですが、この後は、当面の敵は日本であっても、真の敵は、共産主義国家・ソ連ではなかったのでしょうか。
共産主義と戦う戦略があったのでしょうか。

アメリカの太平洋戦争の成果を1951年サンフランシスコ講和会議の時点で見てみると、
アメリカは、日本と台湾に親米政権を誕生させましたが、1948年に北朝鮮が、1949年には中華人民共和国が建国しています。
多大な犠牲を払ったアメリカの収支はマイナスのような気がします。
ということは、穿った見方をすれば、アメリカに徹底抗戦した日本軍は、なんのことはない共産主義国家を作り出す手助けをしたのではないでしょうか。
日本は、日独伊三国防共協定を結んでいましたね。

そこで、質問ですが、アメリカから見た太平洋戦争の目的は何か、
またその成果をどう評価されますか。

A 回答 (4件)

アメリカの基本戦略



OPEN CHINA
OPEN PASIFIC

19世紀にイギリスが自由貿易を推進したのは、自由貿易が世界にとっていい選択だからではなく(というような説明を他国に対してはしましたが)世界最大・最良の工場生産力を持つ国が、勝利できるのが自由貿易体制だからです。

20世紀には、19世紀のイギリスが取った政策をアメリカがとることになります。中国に対しては、門戸開放というやつです。門戸さえ開放されれば、日本やイギリスなどが持っている中国利権は、アメリカの国力で吹き飛ばせるという自信です。

真の敵ソ連。
ポツダム会談の前、つまりルーズベルトが大統領の時代までは、基本的には容共、容ソです。警鐘を鳴らしていたのはチャーチルですが、ルーズベルトとしては、潜在敵国は イギリス>ソ連 です。

中国が共産党政権になるのは、アメリカとしては想定外です。蒋介石では、中国をまとめられないという予想報告は、中国に赴任していた現場からはワシントンに伝えられていますが、ワシントンはそれを理解できなかった。

まとめ
アメリカの太平洋戦争の目的は、OPEN CHINA OPEN PASIFICの実現。
成果としては、OPEN PASIFICは実現(日本市場の、アメリカ市場への従属化)は成功したが、OPEN CHINAは失敗。
すくなくとも1960年代くらいまでは。
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この回答へのお礼

「ルーズベルトが大統領の時代までは、基本的には容共、容ソです」
「目的は、OPEN CHINA OPEN PASIFICの実現」

明快ですね。
ルーズベルトは、なぜあんなにスターリンに協力的だったのでしょう。
ルーズベルトは共産主義思想は嫌いだった、でも、
当時のスターリンには、指導者としてずば抜けた魅力があったのかもしれません。
いつも疑問に思っています。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/05 10:28

世界で一番共産主義を恐れて警戒していた国は日本だけかもしれません


ナチスドイツも恐れていなかったでしょう。アメリカのルーズベルト大統領などは共産主義者は単なる民族主義者だと言って全く警戒するどころか彼の周りにはソ連の協力者が多数侵入して、彼等がアメリカと日本を戦争させるように活動していたことは確かです。アメリカ以上に共産主義者に利用されたのがシナの蒋介石です。孫文の弟子でありながら汪兆銘と考えが違い、汪兆銘の日本と争うべきでないと言ふ考えに反対して共産主義者に同調して国民党と共産党が協力して日本軍に対向する政策を採用してアメリカに軍事援助の要請を彼の妻の宋美麗に活動させてアメリカから援助を受け日米開戦前からアメリカは日本と敵対していました。日本は蒋介石と戦争を止めるため調停者を派遣して交渉しようとするがそのつど妨害にあい蒋介石との交渉は成功しなかった。日本がシナで国民党軍や八露軍と」戦っている時アメリカに石油を止められあの有名なハルノートが提示され開戦を決意するわけですが、実はそのハルノートはハルが知らない間に日本に提示されたらしく、戦後になってハル自身があのような文章を私が書いたと思われていることに怒りを覚えるといったそうです。実はルーズベルトの側近で共産主義者が作成した文章がハルノートとして日本に提示されたようだ。日本は昔から外交は
下手であったようだ、明治時代は若者が日本を代表して責任をもって活動してそれなりに成果を上げていたようだが昭和の時代になると官僚主義がはびこり軍人が権力を行使して過ってな行動をするようになり、政府も国民も抑えきれなくなていたのはたしかです。アメリカの共産主義者の活動により日米が開戦して日本はアメリカにより国内設備も精神も
ずたずたに破壊された。ルーズベルトは日本の降伏を早めるためにスターリンに日本に攻め込むように要請しその代償として千島列島をソ連の領土とすることを約束したそうだ。日本敗戦後中国では蒋介石が共産党軍に敗れて台湾に逃避してもアメリカは傍観している時朝鮮半島では北朝鮮軍が韓国に攻め込みそこでやっとアメリカは共産主義の脅威を始めて認識して、日本は戦後は農業国として重工業をやらせない方針を転換して工業国として復活することを認めた。朝鮮戦争があったおかげで日本が復活できたのは確かで、その後も共産主義は勢力を伸ばしつずけて
ベトナム、カンボジアが共産主義に侵食されていく。ケネデイ大統領の時代にソ連はキュウバにミサイルを持ち込みそれを阻止するため米軍がキュウバを封鎖して米ソ戦争の危機があった。その後アフガニスタンにもソ連軍が侵攻してモスクワオリンピックボイコットへと進みアメリカは世界で一番の共産主義に反対する強国の日本を叩き潰したためにアメリカ一国で四苦八苦している。日本は早くアメリカから押し付けられた
憲法を破棄して独自に憲法を作成してアメリカに日本の防衛を頼むのでなく自主独立の精神で自国の防衛を考えるべきです。最後にアメリカから見た太平洋戦争の目的は始めは真珠湾攻撃に対する復讐で始まり最後は日本民族を殲滅することが目的となったのではないかと勘ぐるようになっていた。都市への爆撃の仕方はまず都市からの郊外への出口近辺を爆撃して郊外へ避難できなくしてから都市の中心部を攻撃して一般市民
の殺傷をしていた事や子供までを標的にして機銃掃射をしていた事実は
日本民族絶滅を画策していたのではないかと想像します。日本人はアメリカに対して甘い考えを持っている人が多いですがアメリカはアメリカインデアンを虐殺して白人国家を作り上げた民族です。もともと有色人種の日本人など人間と見ていなかったかもしれません。
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この回答へのお礼

日本と違って余裕のあるアメリカは、大局的な見地から太平洋戦争を戦ったと思っていたのですが、日本を壊滅させることのみに、ただひたすら戦争を遂行したということですか。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/06 12:56

大義名分は世界の秩序維持


実際は、経済大国の確立。
アメリカの脅威や不利益になる国や政権を徹底的に潰すため。また、戦争をすることで、経済が潤うとういことをそのとき既に知っていたから。

>真の敵は、共産主義国家・ソ連ではなかったのでしょうか。

その通りです。なので、対ソ連戦になった時にそなえ、重要拠点となる「日本」を先に潰しておきたかったのです。

>多大な犠牲を払ったアメリカの収支はマイナスのような気がします。

いえ。違います。むしろ莫大な富を得ました。今でも、アメリカに対してかなりの「思いやり予算」を付けています。経済大国日本という大きなバックアップを得ることができました。(結果論ですが)
中国でも今、「モンゴル自治区」に対して同じ様なことが行なわれています。

>アメリカに徹底抗戦した日本軍は、なんのことはない共産主義国家を
作り出す手助けをしたのではないでしょうか。

日本は、満州国を事実保護していました。大日本帝国の関東軍が暴走(これは日本政府の言い分であるが)により満州全域を占領して、満洲国を建国した。この時期の満州は一時的に大日本帝国の支配下となりますが、これは、中国から満州民族を守るため。なので、満州国は清朝最後の皇帝であった愛新覚羅溥儀を元首(執政、のち皇帝)とした。大日本帝国は満州鉄道や満州重工業開発を通じて多額の産業投資を行い、農地や荒野に工場を建設しました。しかし、敗戦により中国政府はその満州国を基礎・土台に共産主義国家を見事に作り上げてしまいました…
なので、日本は共産国を潰す努力をしていたが、アメリカによって阻止された。(アメリカから見れば、弱者を救ったことになるのかも)
なので、共産主義大国を作ったのは日本ではなく、むしろ「アメリカ」である。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ミッドウエイ後、ソ連を見据えた戦略はなかったのかという疑問がありました。
戦争が長引き、ついにソ連に参戦する口実を与え、千島列島と南カラフトをソ連に与える羽目になってしまうのですね。

お礼日時:2008/07/05 15:48

この場合の太平洋戦争とは、開戦日(昭和16年12月8日、日本時間)から、サンフランシスコ講和条約発効日(昭和27年4月28日、日本時間)までの戦争状態を言います。



>アメリカから見た太平洋戦争の目的は何か、

「太平洋の向こう側にJAPANという島国があって、そこの黄色いサル達は欧米人をマネて1870年頃から海外に領土や植民地を広げ始めた。1894年の日清戦争では台湾を領有し、1904年の日露戦争では南樺太を領有した。同時に南満州の鉄道権益も手に入れた。1910年には朝鮮半島を併合した。1914年の第一次世界大戦ではドイツから、サイパンやパラオなど太平洋の島々を割取した。白人様のマネをする生意気なサルを、ここらあたりでコテンコテンに叩いておとなしくさせよう。これがアメリカのF・ルーズベルト大統領の戦争目的でした。

>またその成果をどう評価されますか。

アメリカは戦争目的を達したと思います。ただし、武力による戦闘で目的を達したのではなく、占領政策で目的を達したのです。
(1)明治憲法を廃し、新憲法で「戦争放棄」を唱えたこと。
(2)マッカーサー総司令官が昭和天皇に”人間宣言”を発出させたこと。
(3)マ総司令官が神道指令を発布したこと。
(4)教育勅語を廃したこと。
(5)東京裁判で日本人に贖罪感を刷り込んだこと。(日本人は間違っていたから戦争に負けたのだと思い込ませた。日本人が戦争に負けたのは、アメリカよりも武力が劣っていたからであり、正しいか間違っているかは戦争の勝敗には関係ないのに。)

このようにして日本人は骨抜きにされ、おとなしくなったのです。
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この回答へのお礼

なるほど、とにかく日本を「コテンコテンに叩いておとなしくさせたい」という戦争だったということですね。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/05 10:26

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