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こんにちは。困っています。
ヨーロッパの建築物で「新ルネッサンス様式」と呼ばれる様式があるそうですが、それはいつの時代に起こり、どのような特徴や思想を有していたのでしょうか?
いくら調べてもさっぱり分かりません。ご存知の方がおられましたら、なるべく専門用語なしでご教授ください。お願いいたします。

A 回答 (6件)

No.1の回答を作成するにあたり使用した参考文献は『西洋建築様式


史』美術出版社(本体価格2,500円)です。
わたくしは数か月前より美術・建築に携わる仕事に就き始めたばか
りですので、正確さを第一と考え、ネット上の情報にあえて頼らず
にこちらの書籍を購入し、ふつつかながら多少の欧州滞在経験を思
い出し回答を作成・投稿させていただいた次第です。

さて、ご質問の「アセニアン・クラブ」の記述箇所に関して申し上
げます。
151頁のタイトル「ネオ・ルネサンスとスゴンタンピール(第二
帝政式)」14行目より以下引用抜粋させていただきます。

「イギリスでは、デシムス・バートン(1800-81)によるア
セニアン・クラブ(1829-30)が初期の例であり、チャール
ズ・バリーによるパラッツオ・ファルネーゼを参考にしたリフォー
ム・クラブ(1837-41)が続く。このようにイギリスにおい
ては、とくにクラブという建築タイプにルネサンスが採用されたの
が注目される。そして、1856年のロンドンのホワイト・ホール
地区の外務省と陸軍省のコンペにおいては、ネオ・ルネサンスは政
治的な様相を帯びることになる。
 世に「様式戦争」と呼ばれた同コンペにおいて、ジョージ・ギル
バート・スコットはゴシック式の案を押した。同案は、当時首相で
あったパーマストンの気に入るものではなく、最終的にイタリアン
・ルネサンス式の案に変更されたのだった。1873年、外務省の
建物が竣工した。ゴシック・リヴァイヴァルが席巻していたイギリ
スに、ネオ・ルネサンス様式が強引に割り込んだのだった。
 こうしたネオ・ルネサンスは、イタリア・ルネサンスのリヴァイ
ヴァルであったが、世紀も半ばを過ぎると、フランスでは、むしろ
自国の建築を拠り所にした。・・・」

この引用文献は1995年第1刷、わたくしが所有するものは20
08年第16刷です。
巻末に膨大な量の文献案内も載っている大変手頃な一般参考書です

また、外国語カテゴリーで拝見した質問内容からwikipediaや当該建
物のサイトをわたくしも承知しておりまして、ご指摘のサイトを拝
見した上で、この引用文献と「様式の相違」の矛盾に気づきました


ここからはわたくしの主観で恐縮ですが、「学究の対象」となり得
るものであれば複数の学説が当然成り立つものであり、このたびの
当該建物の様式の定義の矛盾も、まさにこの学説の相違に違いない
と思われます。

146頁「新古典主義の盛期」38行目からの「新古典主義の世
紀を飾る建築に博物(美術)館が多いことに気付かれるだろう。博
物館建設の理念はルネサンス時代に遡るが、公共に解放されたのは
18世紀になってからであり、19世紀には、いよいよ博物館に相
応しいスタイルが求められた。芸術の殿堂である博物館の様式には
、古典様式が採用されることになり、この世紀の新古典主義を先導
していった。」

この記述を鑑みて、おそらくこの文献の監修者並びに執筆者は、公
共を理念とする美術(博物)館の様式と対比させる目的において、
プライベートなクラブ建築の様式の初期モデルとして「The Atheneum
」を例に挙げたものと推測せざるを得ません。

但し、wikipediaの記述はともかく、「The Atheneum」当該サイトに
おいてネオ・ルネサンス様式を主張していないという事実は厳粛に
受け止めねばならないでしょうし、ネオ・ルネサンス様式の「代表
建築物」としては「The Atheneum」はともすると相応しくないのか
もしれません(アセニアン・クラブという和訳発音も疑問の余地が
あるとわたくしも感じました)。

質問者様におかれましては、このたびの私の回答における「The
Atheneum
」の列挙により大変ご迷惑をおかけいたしましたことを改めて深く
お詫び致すとともに、質問に対する適宜な回答とは何か、その責任
とは何か、と深く考えさせられました。
お礼ならびにご指摘に対し心より感謝申し上げます。
また、この補足回答により質問者様の疑問が晴れますことを切に願
ってやみません。
今後ともご指導、ご叱責をよろしくお願い申し上げます。
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No.4です。


失礼しました、ご指摘のとおり、ネオルネッサンスの間違いです。


>もう様式についてはお腹一杯です。今、私が欲しいのは、建物の外観についての説明ではなく、アセニアン・クラブという聞き慣れない名前の建物が、一体どういう目的あるいはどういう用途の建物なのかという簡単な説明なのです。

それはあちらの(外国語カテゴリの)質問ですよね。
こちらのご質問は「それはいつの時代に起こり、どのような特徴や思想を有していたのでしょうか?」とのことでしたから、No.4のサイトをご紹介しました。

建築様式の説明はもう不要なのでしたら、こちらの質問はもう締め切られてはいかがでしょうか。
あちらに質問を新たに出してらっしゃるのですし。
こっちをあけたままにしておくと、また建築様式に対する説明が来ますよ。
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この回答へのお礼

書き込みありがとうございます。確かにおっしゃるとおりです。
外国語カテゴリのほうで解決しそうなので、こちらの質問は締め切らせていただきます。

お礼日時:2008/10/11 03:30

外国語カテゴリでトピックを拝見してGoogle検索していたらこちらのトピックを見つけました。


ここから派生した質問だったのですね。
No.2の方に端的に、「アセニアン・クラブの場所が知りたい。どこでその情報を見たのですか?」とお尋ねになってみたらよろしかったのでは。

写真入りの建築様式学入門というのがありました。
どんな感じか見た目がわかりやすいんじゃないでしょうか。
http://appleworld.com/goo/bbs/column/architectur …

クラシック・リバイバルというのが関係あるんだそうですが、
ネオクラシックに当たる有名な建築がないんだそうです(^^;
http://appleworld.com/goo/bbs/column/architectur …
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この回答へのお礼

書き込み下さりありがとうございます。
No.2の方には尋ねているのですがご返事がいただけない状態です。

>ネオクラシックに当たる有名な建築がないんだそうです(^^;
ネオルネサンスの間違いでしょうか?
もう様式についてはお腹一杯です。今、私が欲しいのは、建物の外観についての説明ではなく、アセニアン・クラブという聞き慣れない名前の建物が、一体どういう目的あるいはどういう用途の建物なのかという簡単な説明なのです。早くすっきりして終わらせたいですよ・・・

お礼日時:2008/10/08 21:21

19世紀の建築様式は基本的に「適当にいわくありげに作ってよ」という感じです。


その前までは、建築というのは「王様の仕事」でして、王様しか作る金もなければ意志もない。或いは国家プロジェクトである。
なので、歴史主義建築なんて一緒くたにされた中に、ルネッサンス風なのが新ルネッサンス風ということになります。
それだけ、ブルジョアが成長して、建築の発注者が増えたと言うことが言えます。音楽で言えば、古典派とその前の時代との大違いが、「楽譜を売って商売できるようになりました、ブルジョアが買ってくれるので」というのが、建築は高いので、ちょっと遅れ気味にやってきたという感じです。
ほんでもって、新ルネッサンス様式も含めて、歴史主義建築が、もうええんでないか?と言われたのは、ぶっちゃた話をすると「いい、建築素材ができたので、違う建築物作れますよ」という話。
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この回答へのお礼

書き込みありがとうございます。
私の必要としていたものとは違いましたが面白く拝見いたしました。

お礼日時:2008/10/11 03:22

>イギリスの「アセニアン・クラブ」と「フォーム・クラブ」とは一体何でしょうか?



申し訳ありません、「リフォーム・クラブ」の「リ」が欠落しており、大変ご迷惑をおかけいたしました。
「アセニアン・クラブ」も「リフォーム・クラブ」も共に建物の名称です。
No.1で列挙した建物群は専門用語を使わずということでしたので、実際に目で確かめるのが最適かと思い、
勝手ながら書き連ねさせていただいた次第です。 失礼致しました。

>もっともっと簡単にしていただける余地があったと思います。
>それはいつの時代に起こり、どのような特徴や思想を有していたのでしょうか?

各国にまたがる建築様式ですので難しいところですが、おおまかには19世紀初頭に出現し中頃から後半にかけて盛んだった、と言えます。

思想としては「過去のルネッサンス様式の復興の試み」です。

特徴としては、ナポレオンの栄光と挫折といった当時の欧州の混沌と王政復古の時代のさなかに花開いた「過去の復興様式の中の一つ」であり、
純然たる過去の様式の復興のみならず、一つの建物に複数の様式が折衷合体するケースが多かったことが挙げられます。
実際に各々の国の伝統と復興様式が混ざり合い、大変個性豊かで独特の外観を持つ建物が誕生しました。

また何かわかりにくい部分がありましたら、お手数ですがこちらこそご教授いただきたく、
何とぞよろしくお願い申し上げます。

そして、どなたかより詳しくご説明いただける方に私も是非ご指導賜りたいと期待しております。

この回答への補足

 

補足日時:2008/10/05 23:32
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この回答へのお礼

早速のご返事ありがとうございます。
「リフォーム・クラブ」のことは分かりましたが、「アセニアン・クラブ」という建物について、いくら調べてもそれが何なのか全然分かりません。いろいろ検索してみても、それらしいものが全く見付からないのです。この建物は一体どういう目的で建てられたのでしょうか?最後にそれだけ教えて下さい。お願いいたします。

お礼日時:2008/10/06 20:42

18世紀後半に端をなす考古学上の新発見と調査研究に触発されて生み出された新古典主義は、それまでのバロック・ロココに代わる最有力な様式として時代を代表する世界的潮流となりました。



新古典主義(ギリシア様式の復興)の代表例:
ベルリン:ブランデンブルク門(アクロポリスのプロプライアがベース)
イギリス:ケンブリッジのダウニング・カレッジ
アメリカ:フィラデルフィアの商業取引所

新古典主義(ローマ様式の復興)の代表例
フランス:カルーゼル凱旋門、エトワール凱旋門(ナポレオンの戦勝記念)
フランス:マドレーヌ寺院(元はナポレオンの軍隊のための栄光の神殿)
イギリス:大英博物館(エレクテイオンを参考)
ドイツ:アルテス・ムゼウム( 〃     )、ベルリン王立劇場

またそれと同時に当時は、主流であった新古典主義とは別の多元的な様式の可能性を追求した時期でもあったのです。
例えばイギリスにおいては18世紀初頭から既に、自国の伝統美の中に新たな価値を見出す風潮が生まれており、後に本格的なゴシック様式の復興(ネオ・ゴシック様式)に繋がることになります。

イギリス:ロンドン国会議事堂
ドイツ:ケルン大聖堂の再建運動(1842-80)
オーストリア:ウィーン市庁舎

更に19世紀中頃からは、同様に既に存在していたネオ・ルネッサンス(新ルネッサンス)様式やネオ・バロック(新バロック)様式が「時代の流れ」と共に新古典主義にとって代わっていくことになります。
19世紀後半は諸様式の復興や個々の国の伝統との折衷案などが生み出されていった時期でもあり、
中でもネオ・ルネッサンスとは、主としてイタリア・ルネッサンスへの憧憬を内在した復興様式でした。

ドイツ:ミュンヘンのロイヒテンベルク宮、ドレスデンのオペラ劇場
イギリス:アセニアン・クラブ、フォーム・クラブ、イギリス外務省(ゴシック・リバイバルからネオ・ルネッサンスへ変更を余儀なくされた一例)

そののち、フランスにおいてはさらに世界的な潮流となりえる様式、つまり第二帝政様式(スゴンタンピール)が生まれ、後にアメリカをはじめとして世界的な広がりをみせるようになっていきます。
フランス:ルーヴル宮新館、パリ・オペラ座(シャルル・ガルニエによる)
イギリス:スカーバラのグランド・ホテル

このように19世紀中頃~後半の建築は様式の多元化や折衷が特徴的ですが、のみならず、新素材である「鉄とガラス」が大量生産が出来るという長所により、従来の橋梁や工場建築の垣根を越えて、駅舎などの建築等に用いられるようになっていきました。
中でもいち早く導入されたのがパリであり、例えばネオ・ルネッサンス様式であれば、パリ・東駅などが代表例として挙げられます。

質問者様のおっしゃる「ネオ・ルネッサンス様式」だけかいつまんで説明するのが困難でしたので、流れとして簡単にご説明申し上げた次第です。
出来ましたら建築の変遷と大いに関連していた「当時の世界各国の政治状況や文化の変遷」もご参考になられたら、よりご納得いただけるかと思います。

この回答への補足

 

補足日時:2008/10/02 10:24
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この回答へのお礼

お礼がずいぶん遅くなってしまい、申し訳ありません。
イギリスの「アセニアン・クラブ」と「フォーム・クラブ」とは一体何でしょうか?いくら調べてもさっぱり分かりません。

お礼日時:2008/10/05 16:47

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