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私は今、生きているということ執着のようなものを感じません。
ものすごくどうでもいいのです。
たとえ明日世界が終わるとしても、「もっと生きていたい」とかそんな風には思わないんです。
周りの人が「死にたくない」とか「生きたい」とか思えることがとても不思議です。
それと同時に、その感情・思いがもてることが羨ましくも思います。

だけど、死にたいとは思いません。
死ぬと悲しむ人がいることは知っているからです。
悲しむ人とは、両親と妹。
自惚れているようですが友達も私がもし死ねば悲しんでくれるとは思います。
ただ、留め金になっているのは家族だけです。
そしてまた、正直自殺する勇気を持ち合わせていないこともあります。
もし私の存在を消して、私を知っている皆の記憶からも消えることができるなんて事が可能だったとしたら
私はそれを選択すると思います。

今私が生きている意味としているのは、両親より先には死んではいけないという考え一つです。
両親にはものすごく迷惑をかけました。
支えてくれて、愛してくれて、金銭的にも私はすごくお金のかかっている子だと思います。(学費や医療費など)
たぶん私は一般的に見てすごく恵まれた環境です。
それなのに、私は生きていたい、生まれてきてよかったなどと思うことができないんです。
そう思いたいとは思うんです。ただどうしてもその感情が湧いてきません。
生まれてこないほうが良かったとさえ思います。
両親と妹だけのほうが、家庭円満な幸せな家族だっただろうなと思います。
(私は数回不登校・引きこもり経験があり、家族の問題児には間違いありません)

そんな私が憎く、すごく嫌いです。

また、最近人と交流するのさえどうでもよくなってきました。
昔は皆に好かれよう、嫌われたくないという気持ちが強く、周りの目ばかりを気にして
一人でいると、まるで友達がいない子のように見えるだとかそんな風に思って
異常に一人になることを恐れていたように思います。
ただ、今は一人でいることが平気になりました。
それだけならきっと良いことにも思えると思いますが、
人から嫌われたくなければ関わらなければいいという考えからです。
中学や高校など、ある意味閉ざされた社会では「一人」が異様に浮くこともあると思います。
ただ大学となると話は変わってきます。一人でいてもさほど浮くことはありません。
(半年休学したので留年しました。そのため今の学年には友達はおらず、一人で行動というわけです)

もう誰とも関わりたくない。友達もとても面倒に思ってしまいます。
でも友達は私を引き込んでくれようとします。心配もしてくれます。
(休学前まで一緒に大学で行動してたグループの友達です)
それがまた、私にとってとても辛いのです。
そして人の親切がとてもイヤに思ってしまう自分が本当に薄情で嫌いです。

もちろん来る人を断固拒絶するわけではありません。
社会上のというか、場をもたせる表面上のコミュニケーション?というのでしょうか、そういうのはちゃんとできます。
(ちゃんと、と言うのもなにかおかしいですが)

もう気を配るのに疲れたのです。いい子でいるのに疲れた。
・・・引きこもったりしてるのにいい子も何もないのですが・・。
生きることに既に疲れています。でも生きねばなりません。
生きねばならないと書くと、なんだかとても強い意思から来るように見えますが
全くそんなわけではなく、むしろ死んではならないという縛りです。

将来生まれ変わったら何になりたい?という質問がよくありますが
何にも生まれ変わりたくありません。
強いて言うなら雲にでもなって世界を観察でもしてたいです。
その世界に介入はしたくありません。
その考えをソフトにさらっと高校の友達に話したことがあります。
(真剣に言うと変な心配されても困るので・・)
その時友達は「あんた病んでるよ。人間的におかしい」といわれました。
冗談混じりではありますが、私にとってはとても衝撃的でした。

この考え方ってやっぱり一般的には病んでるだとか、おかしい人の類なのでしょうか。
まぁ健康的な考えだとは思いませんが・・・やっぱりズレてるんでしょうか。

最後に、長々とした拙い文章を読んでいただきありがとうございました。

A 回答 (12件中1~10件)

殺されそうになったことありますか?



 わたしは幸運にも生きてますが、ある事件に巻き込まれその瞬間は「死んでたまるか。生きて日本に帰って親に会うまで死ねるか!」と思いました。
 だから、実際に死に直面して初めて「生」に執着している自分に気がつきました。
 愉快な経験ではありませんが、それまでは「死んだら、自分はそれまでの運命ってことよ」心底信じてました。

 でも違ったんです。自分のことが、わかってるつもりで、でわかってなかったんですね。

文中何度も「生」と「死」が出てきます。「生きること」「死ぬこと」について考えることは大切なことです。
 
でも、どうしてもyuzuna_さんが「生きること」「死ぬこと」について結論付けるほどに理解しているのか疑問なんです。

「生」と「死」は何度も遭遇して、そのたび考えさせられそれでもつかみ所のない奥の深いものだと気づいてきました。

若いころ鼻で笑っていた「命の尊さ」。親になって初めて理解できるようになった気がします。

だからyuzuna_さんにはこれからいろいろ経験して「生きること」「死ぬこと」についてゆっくり考えてほしいと思います
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唐突ですが、それだけご自身の状況を理解し生活しているにならば大変立派です!あなたが生かされている・・・とゆう事を気づくべきですが!!!多分にとても大切な身近な人が死ななければ無理でしょう。

。。
皆みな、好きで生きて生活しているんじゃ絶対ないのです。親も選べなければ、生活環境も選べない。意味があるのではないでしょうか?、
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この回答へのお礼

わ・・私ってそんなに自己見つめてるのかな・・・。
他のご回答でも少しそんなことが書いてありましたが、
逆に言えば、自分自身のこと同じくらい考えたりする人って案外居ないものなんですかね・・・?
私が自分のこと変に考えすぎな面もあるでしょうけども。。。

生まれてきた意味・生きている意味・生かされている意味
それが最初から分かっていれば多少ラクなのに・・・!
それを探すのがいわゆる人生ってやつなんでしょうけどね。

身近な大切な人が亡くなる・・・そうですね、私はまだその経験はしたことがありません。
進んで体験したいと思う事柄でもありませんが、もしそういうことがあれば、確かに何か私の中で変わるきっかけにはなるかも知れません。

最後になってしまいましたが、ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2008/10/16 22:27

 わたしも同じようなことを考えていたときがありましたので、思い切って回答欄に記入させていただきました。


 わたしも生まれ変わりたくないですよ。
 いままでの人生に満足もしていませんが、「やりなおさせてくれる」といったら、ノーサンキューです。もういいです。
 なんのはげましも解決策もありませんが、いつのころからか「生きている」ということがすごいことだと思うようになったのです。やめることは簡単ですが、続けることは大変なことですよね。「生きている」とは「生き続ける」ということですよね。続けるのはすごいことなのです。
 ご質問者さまには家族がいて、それが死ぬということへの枷になっているということですが、それでいいじゃないですか。病んでても人間的におかしくてもいいじゃないですか。
 生きていればきっと生きていてよかったと思う時がくるはずです。
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまいすみませんでした。

同じ考えの方がっ!ノーサンキューですよねほんとに。
でも「生きている」ことが「すごい」・・かぁ。確かに。
投げ出したいと思うときさえある事を続けるわけですしね。

少し脱線しますが、昔だれかが
「おばけなんて怖くない!だって生きているほうがエネルギーが要るし強いんだから!」
とか言っていたような、テレビで見たような
・・・なんかほんと脱線してますけど、そんなことを思い出しました。

生きていて良かった、私にもそう思える日が来ると思いたいです。

お礼日時:2008/10/16 22:11

あなたはとてもかしこい人のようです。


年齢に不相応な苦しみによって与えられたのでしょうか。

あなたが雲になりたいと思うのは、あなたのアイデンティティの隠喩のようです。
じぶんという結晶が拡散していくのはとてもつらい経験です。

あなたが自分を愛せないのは、心理的に一度死んで生まれるための準備のように思えます。
今はさなぎの時期なのではないでしょうか。
しかしながら、じゅうぶんよりも多い痛みが続くことはよくありません。


精神科に通院したことがあるのですね。
統合失調症という診断はその時点での判断なのでしょう。

ご存じと思いますが、抗うつ薬は効いてくるまで期間が必要なので、あまり飲めてなかったのは残念ですね。
両親に迷惑をかけないために生活費をじぶんで作るのはよい考えですが、
せっかく休学したのですから、治療をしたり、休息したりする方がもっと大切です。

あなたの考えを後押ししている気分について、治療してみる価値があると思います。
今はひどくないので大丈夫と思っているようですが、他科の病気の場合、そんなにひどくなくても
痛いというだけで治療をするのですから、精神科の病気だけ特別にひどくないといけないということはありません。
また、肝臓の病気のように自覚症状が無くても実際には病状が重い場合もあります。
あなたが酷くないと感じているからといって、コンディションが良いといえるかわからないと思います。

以前に診断が付いているということなので、いちど継続的に治療してみてはいかがでしょうか。


自分自身のことについてと、気分の問題は区分して考えたほうがよいと思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてしまい申し訳ありません。
そして2度目の回答ありがとうございます。

隠喩・・・そう言われるとそういった面もあるかもしれませんね・・・。
流れるままに。風に裂かれて散るならそのままに。
それが辛いと思えないのは、自分自身どうでもいい、嫌い、とかだからなのかな・・?
さなぎの状態であるのならば、早く羽化してしまいたい・・・。
カラを破る試練真っ最中なのかもしれませんね。

実は最近またひどく沈んで意味も無く泣けたり、
全く眠れないことが続く、その反動で逆に死んだように眠る、という事が多くなってきました。
また病院にこの事で行くというのは少し勇気がいりますが、考えてみようと思います。

お礼日時:2008/10/16 22:01

>両親と妹だけのほうが、家庭円満な幸せな家族だっただろうなと思います。


(私は数回不登校・引きこもり経験があり、家族の問題児には間違いありません)

そんなこと決してありませんよ。
質問者さんを含めて、全員で家族の一つです。

理由は簡単。
貴方ご自身で答えられていらっしゃるじゃありませんか。

「悲しんでくれる人が居るんだって」
それは他の誰でもない、質問者さんご自身を、
妹さんと母親さんが大切にして下さっているからじゃありませんか。

そしてそれは他のだれでもない質問者さんご自身が
知っていらっしゃるじゃありませんか。

私も家族には沢山の迷惑を掛けました。
途中で「私は自分が感じた辛さの余り、私なんて産まなかったらよかったのに、どうして私を産んだんだよ」と八つ当たりをしてしまった事もあったんです。

毎日毎日、理不尽な目にあって、友達付き合いも「一体どれが本当の友達なんだかわからなくなって、億劫になって」。

最初は外の周りの人が信じられなくって、だんだんと家族も信じられなくなっていって、沢山八つ当たりをしてしましました。

私は辛さの余り、
私が死んだら悲しむかと親に聞いたことがあったような気がします、
そして「当たり前やないか、ふざけるなお前!」と怒鳴られた記憶があるような気がします。(父に)

何もできなくて、学校にもいけなくて、就職もできず、アルバイトもできなかった私でも、大切にしてくれていたんです。

きっと、質問さんの家族のところもそうなのだと思います。
それは、質問者さんご自身が「自分のことを悲しんでくれると感じられていることは当たっているのだから、その裏を返せば、それだけ家族さんが質問さんのことを大切に思ってくれているということ。」

それは質問者さんにはまだ分りづらいことなのかもしれませんが、
親や妹さんに取られては

「質問者さんが生きているだけで、それは幸せなことに他ならないこと」

ことなのではないでしょうか。


そんな暖かさが質問者さんの近くにあるんです。

人に普通の基準も何もないと思いますよ。
質問者さんは質問者さんです、個々で個性があってこそ「人」ですよ。
「可笑しい」と判断する基準なんて有って無いようなものです。


私は質問者さんを文という中で知ることができましたが、
とても可笑しい人には思えませんでした。
それどころか、相手の方を思って死さえ躊躇される素敵なお心の持ち主ではありませんか。


答えはその辺りにあるのではないでしょうか。
ご自身の身近にある大切なものをまず幸せにしていくことから始めていってみてください。


無理なんてする必要はないんです。
だけれども、質問者さんの精一杯の一歩一歩を、できるところまでを一日一日チャレンジしていってみてください。


>強いて言うなら雲にでもなって世界を観察でもしてたいです。
>その世界に介入はしたくありません。
人は固定概念の強い生き物なのかもしれません。
もっと言えば「自分の理解の範疇にどうしても世界をとどめてしまおうとする」生き物、なのかもしれません。(その辺りは良くわかりませんが、そんな気がしますという体感なお話で)

私は雲にでもなって、世界でも観察してみたいとも思いますし、植物になったらどんな気持ちなんだろう?なんて考えたこともあります。
どこも可笑しくないと思いますよ。

ただ、そういう話をしても「付いてこれない人」は沢山いますけれどね。不思議とそういう話ができるのはごく一部の人で、大抵の人はなんというかその「固定概念?」というのか何なのかに捕らわれて、想像の域に入れないと思います。



要するに「その人が思考や創造できる範疇外のことを質問者さんが口にしただけ」で、相手がその時点で、質問者さんの想像力を知ることをやめたから「あんた病んでるよ。人間的におかしい」といっただけです。
そう言った人は、理解力が乏しかっただけです。逆にいうと、質問者さんの想像力が豊かであっただけなので、どこも可笑しくないと思います。

まあ、この忙しいご時世で、そんなことを考えたり、思考したりできる人も早々いないでしょうから「余りそういう事が伝わらないと思う人にはなるべく公言しないこと」に限ると思います。


で、少し話しを戻してしまいますが、
質問者さんは周りに、一番近い位置に一番暖かいものをお持ちなんです。

今のままでもある意味良いのかもしれませんが、
質問者さんが動き、行動した上で、その暖かいものを幸せにしていくチャンスや希望が沸いてくるのではないでしょうか。

母からしてみれば
家事の一つでもして貰えたら本当に嬉しいでしょうし、
「産んでくれてありがとう」といわれていないのでしたら、その言葉を言われただけでもとても嬉しいものだと思います。
(私は言っていなかったので、最近いいました。 泣くほど嬉しかったそうです。 恥ずかしかったですが、恥ずかしさに勝つことで、身近な幸せを得ることだってできるんです。)

妹からしてみれば
例えば、私の家の話ではジャンプを読んでいますが、
妹より先にジャンプを買ってきて、妹の机の上に置いておいてあげる、
とかでもお互いに十二分な幸せが得れます。(他の人からみたら小さな幸せかもしれませんが、私からみたら大きな幸せです)


生きたい、死にたいはここではおいておくとして
逆に家族に幸せになって欲しいかどうかだと、質問者さんはどうでしょうか?


もし、幸せになって欲しい、という気持ちがほんの少しでも沸かれたら、幸せにできる術というのは、質問者さんは数を数を数え切れないほどの方法をお持ちですよ。


まずは身近なものから幸せにしていってください。
せっかくに天使みたいなお心をお持ちなのですから、それを使われて、ご自分の大切な人を、そしてご自身を幸せに、大切にしていかれなければ損ですよ。


私は質問者さんみたいなお考えの人大好きですよ。
きっと家族の方も質問者さんのこと、大好きだと思います。

そんな家族の方を、大切に、幸せにしていってあげてくださいな。
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この回答へのお礼

お礼遅くなってしまってすいません。
そしてたくさんの言葉をありがとうございます。

よく「自分ばかり辛いと思うんじゃない」とかそんな言葉がありますが、
ここで頂いた回答で、本当にその通りだと思えました。
周りが楽しそうで幸せそうで、なんでそんなと羨ましがっていましたが、
そうでない人、似たような経験や考えを持ったことがある・持っている人も、多くは無いのかもしれませんが
全くいないわけではないんだなぁと感じています。

そして、自分はダメで本当に価値が無いとかそういう風に思っていましたが、
(そしてそれはまだまだ自分の中でこびり付いていて、まだ取れそうにありませんが)
小さな小さな幸せくらいなら、それこそ些細なことであっても
人に幸せとかうれしいだとか思わせられることはできるなぁと、そしてそれって結構いいことだと
IceCocoa31さんの例を見て思いました。

大切な人を大切に、自分の中で自分自身を良い方向に、そうなれるように
手探りながらそうしていってみようと思います。

お礼日時:2008/10/16 21:47

私なんぞは、小学生のころから、友人に「変人」と呼ばれていました。

中学では、先生からも「学校始まって以来の変人」等といわれました。

でも、卑屈にはなりませんよ。みんなと一緒である事には、価値を見出せません。奇人変人でも良いではありませんか?自分は自分です。他の誰にもなれません。

自分を紹介するときには、「奇人変人宇宙人です。他人と同じ事には興味がありません。悪事は働きませんが、変なことばかりします。」と自ら言ってますし、奇人変人であることに、誇りを持っています。

他人の評価なぞ気にする必要はありません。自分自身を認めてあげてください。
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この回答へのお礼

おおおお。なんだか凄い。
私は人の目ばかり気にする傾向があります。自覚しています。
でも本当は、そんなことには縛られることなく、どう思われようがいい、自分は自分だ。
というようにあっけらかんとしていたいとも思っています。
思ってはいるのですが、いざ実践・・なんてことはなかなかできなくて。
人と一緒というのが一番無難で問題も少ないということを知っているからだと思います。
荒波にもまれたくないという逃げも少しあると思います。

hororo07さんのような思い切りのいい方は尊敬します。
他人の評価を気にしない・・・私にとってはとても難しいですが、そうなろうと思ってみます。

刺激になる回答をありがとうございました。

お礼日時:2008/10/07 20:51

こんにちは。


うん。私はあなたととても似ていると思います。生きることに執着がありませんし、人生への期待もありません。人と関わるのも面倒です。心配されるのもイヤ。ただ生きねばならないから生きるだけ。私とあなたと違うのは、私は恵まれた家に生まれたわけでもないし、大事にされたとは言い難い中を生きてきたことと表面上のコミュニケーションも長時間だとうんざりしてしまうので関係を断ち切りたくなってしまうところだけですね。私に比べたらずっと「普通」だと思います。あなたを「人間的におかしい」とは私は思いませんよ。あなたはまだ若いのですよね?だからそんなものじゃないでしょうか。あと三年経ってから・・いや五年後も同じような感覚でいたなら考えてみれば良いと思います。一時的なもののように見えますよ。それにね・・・周りの人の方がおかしいってことも、ままあるんですよ。だって世の中見て御覧なさいよ。←おばさんっぽい口調ですね(笑
おかしな事件も多いし、人の痛みに鈍感な人もいーっぱいいる。一人の人間の人格を尊重できない大人なんて掃いて捨てるほどいる。何が「変」で、何が「変じゃない」のか、今は一人ひとりがじっくり考える時期なのだと思うの。社会全体として。だから、今、あなたも、何が「おかしい」のか、「おかしくない」のか、自分の心の中でじっくり吟味している時間なのだと捉えてはどうでしょうか?一歩社会から身を引いて、今、それを観察している時期なのだと思っては?
今のうちに先人の書いた素晴らしい本などをいっぱい読んでおくと良いと思います。あなたの人格形成にきっとプラスになります。あなたなりの目であなたなりの価値観でいろんな出来事をブレずに捉えることが出来るようになればまた、ものの見方も変わってくると思います。一回りもふた周りも大きくなって深みのある人間になるともっと楽に生きられるようになる・・と思います。今はあまり「自分はおかしいのか?」と追い込んで考えない方が良いと思いますよ。「そんな自分もアリ。そんな時期もアリ」と思うことが大事だと思います。放っておいても自然に自然な道を向かうように人間は出来ているのだから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。似たようなことを思っている方がいらっしゃって、すこしほっとしました。

一時的・・・質問に書いた事の多くは、最近のことであったりしますが
根本的な「生きるのに疲れた・生まれ変わっても生き物になりたくない」というような考えは小学生の不登校だった頃から抱いています。

とは言っても、ajoyjoyさんのお話に一理あるとは思います。
今は私にとって迷うべき時期なのかもしれませんね。
社会全体で見れば、私はまだ全然普通の域なのかもしれません。ただ、本当に枠が小さいようですが、自分の生活圏内の社会で見ると
どうも何か・・・なんていえばいいのかわかりませんが、何か不安なんです。
皆と同じように楽しめない、何かと疲れている、面倒。それが「普通でない」ような気がして。
「普通」とやらに自分はなりたいんでしょうかね。自分でもわかりません。

本・・・小説などは結構読んだりします。でも最近はちょっと遠ざかってたかな・・。
でもココで皆さんのような意見を聞くことも、結構な刺激になっていたりします。
「そんな自分もアリ。そんな時期もアリ」ですか。そうですね・・。
そうやって認めていければいいと思いました。

お礼日時:2008/10/07 20:41

少し変わっていると思いますが、おかしいという印象はありませんよ。


むしろとてもまじめに人生に取り組んでいると思います。

生まれてきて良かった、なんて真顔で言う人がいたら、きっと笑ってしまいます。


皆がおなじ役割を持っているわけではありません。
あなたにはあなたの生き方があります。
病んでておかしいと言う友達に悪気は無いとおもいますよ。
あなたは自分に素直でいることがいいのです。


あなたがあなた自身を嫌ってはいけません。
あなたの家族は、あなたを愛しているんですよ。
それは、あなたがどういう生き方をしたか、どういう考えをしているか、ということとは無関係です。
そして、できたら自分たちがあなたを愛するように、あなたがあなたを愛してほしいと願っています。
じぶんを許してあげてください。


あなたのこころが平板だったり、喜びを感じなかったりしても、
その気分自体が間違っていることだってあります。

わたしはひどいうつ状態になったとき、あなたが経験しているような感覚をたぶん経験しました。
感情がだんだんなくなってしまって、少しずつ灯りを消していくようにこころの働きがなくなっていきました。

考える力は少し残っていて、過去の記憶とか、自分の状態は理解できるのですが、
意欲がなくなってしまって、どうしたいと思うことが無くなりました。
まるで意識があるまま全身麻酔をかけられて生かされているような、奇妙なこころで何十ヶ月も過ごしました。

それから、少しずつよくなり、今はずいぶんよくなりました。


不登校や引きこもりをしたことがあって、今の気分と行動を考えると、
精神科の病気の可能性があるかもしれません。薬で問題を解決することは出来ませんが、気分は
正しくはたらくようになります。今後苦しいときに一度、心療内科か精神科を受診すると
よいと思います。こころは脳のはたらきでできています。そういう点では、他科の病気とそれほど
違うものではありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。私と似たような経験をされたのですね。

私も家族が願うところは私自身が自分を好くことなのだろうと思います。
わかってはいるのですが・・・とても難しいことです。
頭で思い込むことはいくらでもできると思います。ただ、一緒に心が伴うかとなると別です。
最近本当に心や感情といったものは、自分とは別の生き物のように勝手に動き回る厄介なものだと感じてます。

下のお礼でも少し書きましたが、休学していた期間、私は統合失調症かうつだか(それに差異があるのかもよくわかってないのですが)と診断され
少しの間だけ精神科に行ったことがあります。
(大学に提出したのは統合失調症と書かれた診断書でした)
当時の状況としては、ncoさんの時と似たようなものです。ただ感情は残っていたように思います。
でも喜怒哀楽ではなく、「哀」だけがぽつんと、それでいてずっしりと存在していました。

薬も処方されましたが、睡眠薬だけ適量のみ、パキシルなどの抗うつ剤はあまりまじめには飲んでませんでした・・。
その後休学中は奨学金が出ないという事もあり
とりあえず自分の生活費は自分で稼がないと迷惑をかけると思い(一人暮らしなので)
大丈夫だと言い聞かせてアルバイター生活をし、この秋から復学という流れでした。
バイトを始めた頃に精神科に行くのをやめました。
マシになっているとはいえ、やはりまだ引きずっているのでしょうか・・。治ったと思ったのに・・。
でもその酷かったときを思うと、医者にかかるほどのことでも無いと自分では思っています。

お礼日時:2008/10/07 20:20

 人間的におかしいとは思いませんが


多分、普通の人と「物の見方や感じ方」が違うんじゃないでしょうか?
私は幼稚園の頃から、そのことを意識しており
「マンガ」や「ロック」「ジャズ」「精神分析」「哲学」「外国語」「フライ・フィッシンング」「バードウォッチング」「ビリヤード」「料理」「ワイン」等色んな事に手を出して来ました。
で、55才の今、非常に充実した人生を送れています。
 あなたも何か「楽しい」と思える事に出会えることを切に願います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。たくさんの方から意見がもらえてとてもうれしいです。

幼稚園のころから!すごいですね・・・。
またたくさんのことを体験なさっているようで、とても羨ましく思います。
きっと行動に移せば私もできることなのかもしれませんが、その一歩がとても怖く勇気もでません。
でも薄っぺらな感情の起伏しかもたない私が「楽しい」と本当に思える事に出会えたら
それは人生が大きくかわるほどの出来事だと思います。見つけられたらいいなぁ・・・。

大学の友人達や知らない周囲の学生達も、日々が楽しそうに送れているように見えて、本当に不思議です。
楽しいという感情がなぜあんなに簡単に思い、表現できるのかがとても不思議。そして羨ましいです。

お礼日時:2008/10/07 19:42

かなり、自己分析をされてるので、おかしいとは思いません。


でも、話しの内容は、読んでて悲しくなります。
好きな事、好きな人、そんな事があれば、また、違う感覚になると
思います。

もしかしたら、軽いうつ状態かもしれません。
心配性の一部と思います。

(医師ではありませんので、気にしないで)
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この回答へのお礼

またまた投稿して早々のお返事でしたね。ありがとうございます。

そうですね・・・好きな事、好きな人、確かになにかに熱中したときはとても充実した気分になることは知っていますし、体験もしたことがあります。
それは「好きな事」の体験なんですけどね。
でも今ではもう、そんなものは何もなくて・・・。
新しいことに取り組むということもなんだかとても怖く思ってしまいます。

また、人を好きになるという感情は、最近はなくなってしまいました。
こんな私を好きになってくれる人など居ないと思っているからです。
自慢のように聞こえたら申し訳ないのですが、こんな私でも好きだといってくれる男性も数人いました。
ただ、それはきっと私がよく見えるように取り繕った元気で良い人な私を好きだといってくれているのです。
私のような人間ではなく、もっと他に良い人がいるのだから、そういう人と幸せになってほしいと
本当に、断るためのこじつけの理由なんかではなく、そう思ってしまいます。

またうつについてですが、休学していたのは実は統合失調症のためです。
その時は本当に廃人のようになにもしたくなく、ただボーっと消えたい逃げたいと思っていました。
やっぱりマシになっただけで治ってないのかな・・。

お礼日時:2008/10/07 19:33

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