プロが教えるわが家の防犯対策術!

先日は「見して」と「書かして」で返答していただいた方々、ありがとうございました!質問が削除されてしまいお礼を言うことができませんでしたので、この場をお借りしてお礼を申し上げたいと思います。

今回は「曲がった道」と「曲がっている道」についてなんですが、
同じような二つの言葉を検索エンジンでどちらがより使われているのか検索したところ、前者が1,080,000件で後者が841,000件という数字が出ました。どうして「曲がった道」の方が使われている頻度が高いのでしょうか?

皆さんの考えや感じたことを聞かせていただけると嬉しいです!

・自分の考え
「~た」完了の助動詞
「~ている」過去・完了の助動詞、状態を表している
1.短い(言いやすい)ので曲がった道と使っている人のほうが多い。
2.曲がっているという状態の説明ではなく、曲がっている「道」についての説明をしようする人が多いので、曲がった道と使っている人のほうが多い。

A 回答 (2件)

 まず、助動詞「た」ですが、『大辞泉』には



> 《助動詞「たり」の連体形「たる」の音変化》
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%8 …

とあります。文語(古語)の助動詞「たり」は、おなじく『大辞泉』によれば、

> 1 動作・作用の継続・進行を表す。…ている。…てある。
> 2 動作・作用が完了し、その結果が状態として存在する意を表す。…た。…ている。…てある。
> 3 動作・作用が完了する意を表す。…た。…てしまう。

と3つの用法があげてあり、
> ◆中世以降は、他の完了の助動詞「つ」「ぬ」「り」および過去の助動詞「き」「けり」などの用法をしだいに吸収し、「たる」を経て現代語の「た」に引き継がれる

との但し書きがあります。

 3つの用法のうち、1・2は、高校の古典の授業では「存続」として一つにまとめられる場合も多いと思います。

 現代語の「た」も、祖先に当たる「たり」のその用法(存続)を受け継いでいます。
 先にあげたURLの「た」の項には、

> 4 動作・作用の結果が存続している意を表す。…ている。…てある。「割れたガラス窓から風が吹き込む」

という用法があげてあります。

 ご質問の、「曲がった道」と「曲がっている道」は、どちらも文法的意味は「存続」です。

(もちろん「昨日の地震で曲がった道」(実際にこういう言い方はしないかもしれませんが、「道」でなく「線路」ならあり得ます。)という言い方なら「存続」でなく「過去」でしょうし、「あっ、線路が曲がった。」というように完了になる場合も当然あります。)

 細かなニュアンスが異なるとしても、「存続」の意味が変わらないなら、ニュアンスの違いにこだわらなければ、人は発音の楽な方を選ぶでしょう。

 たとえば「見ている → 見てる」のように語形が変化する場合、短縮される方向で変化するものが多いのです。
 そもそも「 てあり → たり(たる) → た 」という変化も短縮の方向で代わっています。
 また「 パーソナルコンピューター → パソコン 」のような略語の使用にもその傾向は顕著です。

 他の言語でも「 is not → isn't 」のように次第に短縮形が用いられるようになることが多いと思います。  

 「発音変化の経済化」とか言うのでしょうか?
 たとえば、次のURLのページには、

> どの言語でも長い歴史を欠(←原文のまま)けて発音し易いように変化してきましたので

という記述があります。

http://www.eikaiwanopl.jp/information/bestway/mi …


 検索結果に有意な差があるととらえて、

> 「曲がった道」の方が使われている頻度が高い

とするならば、人々が、いちいち特別に意識することがないにしても、発音の経済性に従った言い方を選んでいるということが言えるのではないでしょうか。それがキーをたたく際にも影響していると考えられるでしょう。

 したがって「1」のお考えに賛成ということになります。(「た」の用法は「存続」だと考えますが。)
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予めご了解を、答えにはなっておりません。

言葉に神経を配りその語感の違いさえも捉えようとするのはとても大切ですね。感心しております。しかし、怒らないで下さいね、ご質問を途中まで読んで、単に「曲がり道」でも良いし(曲がり道くねくね)、やそれを修飾する「くねくねと」「ジグザクに」「うねうねと」「大きく」「小さく」「幾度も」「高低を付けて」等を頭に付けて「曲がった道」「曲がっている道」を的確に表現した方が豊かな表現で、早い話手っ取り早いのではないかと感じました。文章とそれを構成する単語は吟味すべきは徹底的に、そして端折るべきはばっさり端折る,そして何よりも読者に自分の想いを伝える手段だと割り切れば余りにも細部に拘るのはある種の本末転倒ではないかと,感じました。参考になればと。
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