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中国王朝は何度も異民族による統治が行われてきましたが、その統治下では漢民族と異民族は言葉が通じていたのでしょうか。たとえば元王朝だと漢民族がモンゴル語をしゃべっていたのでしょうか。モンゴル人が中国語をしゃべることは無いように思われます。漢民族は統治されるたびに言語を勉強していたのでしょうか。

A 回答 (2件)

君主は自分自身の側の固有の言葉しか使おうとしないかもしれませんが、


国境地帯に頻繁に出向かされる『現場』の官吏や特産物を売買(貿易)する
商人は覚えてしまった方が利が多いので互いに覚えます。

元王朝の場合は、フビライ自身はモンゴル語のみで公用文字もパスパ文字
でしたが、君主に見せる書類以外に漢人用に漢字の書類も並行して作られましたし、
大衆に対してはむしろ漢字で処理した方が手っ取り早いので中国語も存続
していました。ただ、出世するためには漢人がモンゴル語を覚える必要が
ありましたし、元の時代はモンゴル語を覚えても漢人はそれなり以下の
地位に留められました。

清朝では、官僚も満漢同数制を取るなど割とバランスが取れた状態に
なっていましたし、満州族は話し言葉はともかく、書き言葉は漢字の
方が便利なので、むしろ満人が中国語を積極的に使いました。清朝の
始祖のヌルハチ(太祖)と二代目のホンタイジ(太宗)は満州語で
育ちましたが、三代目の順治帝は教育を受ける頃には既に北京に
入っていて、中国語での教育の方が圧倒的に多く、その後の北京
生まれの皇帝は言葉に関しては完全に中国語です。
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この回答へのお礼

なるほど。歴史を教科書で学んでるとあまり何をしゃべってるのかをきにすることがなかったので、とても参考になりました。ありがとうございました!

お礼日時:2009/01/26 22:55

いきなり宇宙人がやってきて支配するわけでも、数年前から仲が悪くなって攻めてきた(第二次世界大戦後のアメリカと日本)というわけでもない。


異民族は、中国本土に侵攻する前に、数代にわたって中国人と交渉の歴史があります。
No1の方の情報に補足すれば
ヌルハチは「対明への交易権を支配することによって、満州における権力を握った」あるいは、交易のゴタゴタから明に対して対決姿勢を取るようになったわけです。
隋・唐も王朝自体は異民族系ですが、数代にわたって中国の支配階層にビルトインされていたので中国語を話していました。ただし、漢字の勉強で 漢音と唐音があると習ったと思いますが、これはつまり、遊牧民の訛りが中国語に導入されたということです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました!漢音や唐音は恥ずかしながら知らなかったので参考になりました。もっともっと勉強します!

お礼日時:2009/01/26 22:59

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