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時代劇などでよく柳生家は徳川家康の剣術指南役として出てきますが、柳生家が徳川家康に仕えるようになったのは西暦何年くらいで何がきっかけだったのでしょうか。

A 回答 (2件)

文禄3年、西暦で言うと、1594年5月3日。


黒田長政の仲介により、徳川家康と出会った柳生宗厳が、家康の前で「無刀取り」を披露したことによって、兵法指南役に迎えたいと家康より申し出を受けました。
しかし、宗厳はその当時で、すでに66歳。
代わりに、五男の柳生宗矩を指南役として押しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/02/21 07:02

きっかけは、


文禄三年(1594)、柳生宗矩の父・石舟斎宗厳が家康の召しに応じて、自得の剣法を示して賞せられた。家康は宗巌に誓詞を差し出し、兵法師範として直ちに仕えるようにいった。しかし、宗巌は老齢の故をもって辞退し、従えていった又右衛門宗矩を出仕させるとみずからは柳生に帰った。これが、柳生氏が剣をもって世に出るきっかけとなった。

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/yagyu_k.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%94%9F% …
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この回答へのお礼

URLまで紹介していただきありがとうございます。

お礼日時:2009/02/21 07:00

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