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私はある大学の宗教学科に進学しようとしています。
そこの大学について調べていると、明らかに自分の信仰と学問を混同している教授が何人かいるようでした。
私は信仰は別物として、客観的に宗教を学びたいと考えています。なので、入学した際にその教授が、生徒に自分の学説を押し付け、絶対化させるのではないかと非常に心配です。これでは、自由に学問を行うことができません。
学部生の授業の段階でそのような事態は起こりうるのでしょうか。よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

恐らく宗教学科なので話がややっこしくなるんですね。


大学で自分の学説を学生に教えるのは当たり前だと思いますよ。
私は法律学科でしたが、教科書に自分の著書を使って一所懸命自分の学説を教える先生が沢山居ましたもん。
ただ、宗教の世界と違って妄信的にはならず、他の学説と並べて教えてくれましたけどね。それでも最後は自分の学説が正しいと思っている訳です。大学って研究機関も兼ねている訳だから本来がそういうもんだと思います。

そんな授業の中で、ノンポリ学生はその先生に合わせた解答をテストで書き込むと・・・。大学に残って勉強したいと思っている学生は自分の気に入った先生を見つけて弟子入りすると・・・。こんな感じでしたね。

なのであなたも、良い先生を見つけてその先生のゼミに入るなり弟子入りするなりすれば良いのではないでしょうか。
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宗教学sは本来宗派とかxxx教などの偏らず、宗教全般のことを研究するものと、私は考えております。

私の学校はカトリックの修道会系でしたが、信者でない学生も宗教学と言う講義がありましたが、特別
キリスト教の話ではなかった記憶があります。あなたの学校は何かの」宗派が経営しているもので、その宗教学科はその宗派の教えを研究する学科なのでしょうか? 神学部の場合は、その宗教/宗派の教えを学問的に研究し、教えを広める人員を養成するのが目的ですから、当然教える教師は自分が信仰する内容を学生に教えることになるのでは?
私は”教育原理”を落としたことがあります。それは、その担当教授が
参加している文部省(当時)の委員会が検討していた科目の内容に、全く反対のことを試験で書いたので、落とされたと今でも考えております。ですから、あなたの選ぼうとしている学科でも同じようなことがありうるかも知れませんね。自分の書いた本を学生に買わせそれをただ読むだけの授業をやる人もいるようですね。また、外国語ですと、翻訳を
授業で学生にやらせて、そえを纏めて、多少手直しをして自分の名前で出版することがあるって、昔聞いたことがありますよ。
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表立ったカリキュラムが問題なければ大学の授業って教授次第です。



そういう先生は授業で自分の学説を披露することで満足な人がいるので、そういう先生は単位簡単にくれるので、出席だけ代弁とか代筆頼めば、テストも簡単だし、ひょっとするとレポートだけかもしれません。必須でなく選択であれば選ばなければ良いことですし、沢山ある授業の1つと思って、あまり気にしないことですね。
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宗教に限らずそういう教授はいますし、そういうものです。



そもそも、教授などは各種研究や論文を多数発表しています。その中で様々な点から考慮して自分の学説が優れていると信じています。
最近ですと、ノーベル経済学賞を受賞したクルーグマン教授が世界中に向けて自説を披露しています。同じ事態に対して別の学説があるにもかかわらず、クルーグマン教授は自説の正しさを主張しています。
このように偏るのが普通です。

客観的に学びたいと思うならば、異なる思想感や学説を主張する複数の教授の講義を取るべきでしょう。
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宗教系の学科は、その宗派の宗教者の育成が目的の所が多いですから、質問者様のようなニーズとはマッチしないと思います。

史学科とかの人文系へ進むべきです。
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大学の教員というのは人格で採用されているわけじゃなく、


過去の実績や人脈で採用されてます。学者で教育も「片手間に」
やってますが、けっして全員が人格者じゃありません。
あなたが心配していることは十分あり得ます。
あなたが人を見る目と運が一番大事。変な教授を選択しないように
してください。

> 学部生の授業の段階でそのような事態は起こりうるのでしょうか。

一番の問題は、卒業研究のときでしょう。勝手な研究課題ではなく、
自説に沿った研究をするよう、あなたに課題をだすはずです。
指導できない未知の課題では、指導教官の負担が増すだけですから、当然といえば当然ですが。
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学説といわず、くだらないことでも、自分と違う意見を持つ学生を排除しようとする教授はいます。

少ないにしても、どこの大学にも一人は存在するんじゃないでしょうか?
実際は大した論文を書いてなくても、話がうまい、しかし、頭のいい人がきくと胡散臭いことを言う教授もいます。しかし、元々自分で考える能力の低い学生が先生を教祖のごとく崇めてしまい、他の学生や後輩にゼミを進めてしまうこともあります。これが原因で、ゼミに学生が沢山来るけど、たくさん辞めていく、あるいはトラブルが多発してしまうんです。
私の出身大学では、マスコミ出身で、こういう罪作りなタイプの教授が一人いました。

いずれにせよ、自分と意見の合う教授、あるいは自由な発想を許容してくれる教授を見るけるのは重要なことです。
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 宗教系大学の宗教学科であれば、そもそも客観的に宗教を学ぶ


ことはできないでしょう。東大文学部の宗教学科など、人文科学
系列の宗教学科なら客観性も求められますが、宗教系大学であれば
宗教を学ぶのではなく、宗教を深める方向性なのが普通です。

 また、宗教とは関係ないところで、教授が学説を押し付ける
ことはありますよ。たとえば法学部なら、死刑反対派の教授が
死刑容認派の学生に単位を出さないことがあります。学問の
自由と単位がもらえるかどうかは、けっこう微妙な関係です。
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