プロが教えるわが家の防犯対策術!

こんにちは。
私の周りには宗教はインチキだという人たちが多いのです。そういう私も無宗教です。
ですが家には仏壇があり神棚があり庭にはお稲荷さんがいます。
お正月には神社に初詣にいきますし、法事はお寺で行います。結婚式は教会で挙げました。
本題に入ります。
その宗教がインチキだという人たちに意味のあるものだと思っていただけるようなお話を聞かせてください。
学がないもので難しい話はよく分からないと思いますがよろしくお願いします。

紛らわしい用語がありましたら区別ができるようにお願いします。
例)西洋の神(GOD)、中国の神(シン)、日本の神(カミ、迦微) 

A 回答 (14件中1~10件)

宗教の意義は心の安定。


その昔人間には恐怖が多かった。だから恐怖を神にして、心の安定を求めたんですよ。
はっきり言って、いんちきと言えばいんちきで、のめり込むような価値のあるものではないです。神に祈って、誰が助けてくれるんですか??
心の安定を宗教に求めたんだと教えてあげて下さい。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
>神に祈って、誰が助けてくれるんですか??
このように仰られる方も多くいます。
そう言われてしまいますと返答に窮してしまいます。

お礼日時:2009/08/09 12:58

質問者様の周囲の方がおっしゃる「インチキ宗教」がどんなものなのか、


具体的に判らないと何とも言えませんね。

端的に言えば日本のカミを祀るのは祖霊崇拝や御霊鎮魂の類ですね。
仏教は日本のカミに対する裏付けとすべく当時の先進国・隋などから輸入した思想だと私は考えています。
御霊鎮魂は即ち災厄の原因が荒御霊であるのでこれに鎮まってもらうこと、つまり現代のように防災の科学が無い時代の「最先端防災技術」でした。
鎮魂された御霊は荒魂から和魂となり、我々に力を授けてくれます。
憤死して雷神と化した菅原道真が鎮魂されて天神様となったのが代表でしょうか。

これに対し祖霊崇拝は自らの祖先を祀り、現代を生きる我々を見守ってくださるようお願いする行為です。
これは現実的に考えると「自分達が死んでも後の者が自分を葬って祀り、家を継いでくれる」という安心感を生者にもたらすということではないでしょうか。

例えば日常の生活や言葉にも宗教の影響は無数に存在します。
例えば「ありがとう」という言葉でさえ「有難い(仏の御利益が滅多にないさま)」から転じています。
また何か事件が起きたときに「くわばら、くわばら」などと言う人がいますが、
これは先出の菅原道真の家が京都の桑原にあり、その地域だけは天神様の雷が落ちなかったことにあやかり
「ここは桑原ですよ、ここに雷は落とさないでください」という雷除けのまじないが起源です。

西洋的に「心のより所として積極的に崇める宗教」ではなく「日本の土着宗教としての『日本教』」ならば
我々は常にその宗教の影響を受けて生活しています。
妙に偏った思想のカルト宗教に引っかかる前にそういった日本人が受け継いでいる宗教を理解し、
仏壇に手を合わせるなりたまには墓参りに行くなりすれば良いんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
とても滋味豊かなお話が心に落ちてまいりました。
一度近しい方にお話してみます。

お礼日時:2009/08/09 12:54

良く分からない事を棚上げにしておくためには便利な装置ではありますね。


人の運、不運ですとか、生まれながらに容姿や才能に差があるのは何故か?とか。
死んだ後はどうなるの?なんて、どんなに科学が発達しても人間が生の側にしか存在できない以上、分かりようの無い事ですからね。
中には死後の世界を見てきたなどと確かめようの無い話を仰る方もいらっしゃいますが。
そういう分からない問題や確かめようのない話を棚上げにしておくためには必要と言えば必要なんでしょう。
それ無しでやれる人には無用なものでしょうけれどね。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
棚上げするだけでしたらいいのでしょうけど棚上げしたものを利用していることの納得がいかないようなのです。

お礼日時:2009/08/09 13:06

一つは教義を広めるということですね。


キリスト教だと愛の精神ですよね。


もう一つ。私はこちらが大きいんですが。
法事を行ったり、初詣にいったりですね。
つまりもともと神を祭る精神とか、死者の冥福を祈る精神があり、その場合は必要か不要かを語るまでもなく、自然にそこにあるものだと思います。
死体なんて意味のないただの物体だと言うなら葬式などは不要でしょうね。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
故人を偲ぶことや祈ることに宗教が介入する。そのことに抵抗感があると仰っていました。
死体なんて意味のないただの物体だという考え方ではないようです。

お礼日時:2009/08/09 13:19

宗教というものは個人的なものだと思いますが、容易に集団のものへ変わってしまうのではないでしょうか。

その人が納得しているものが宗教ではないかと思います。納得の基盤になっているものと言えるかもしれません。基盤はほかの人と共通の方がなん試飲できるということもあります。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
どのような呼称になるかというお話になってしまいますと戸惑ってしまいます。
第三者との間に金品などの受け渡しがあるものを宗教とさせてください。
個人が故人を偲ぶことや祈ることにお金はかかりません。

お礼日時:2009/08/09 13:30

 イエスも釈迦も、生きていた時は宗教ではなかったはずです。



 要は組織化、システム化されると宗教という名前に変貌する。

 ある人の思想を残したい、残さなければならないと思ったとき、組織化、システム化するしかないわけです。

 そして、組織化システム化した分欺瞞誤謬が多くなるのは当然。

 なぜなら、あらゆる場面で、元々の真理よりも組織の維持存続のほうが優先されるからです。当初の目的から外れて、それに属している人たちの都合により組織の維持存続が第一命題となるのは、当然の成り行きと言えます。

 そういうわけで、インチキだとかそうじゃないとかではなく、ある種意味のないもの どころか、世の中を悪くしている根源だと考えられます。

 従って、「意味のあるものだと思っていただけるようなお話」をすることは、人間には不可能でしょう。

 しかし、日常生活に根付いた 初詣などの宗教とは言えないのではないかと。組織や宗教に属し、それに従っているという自覚によって行われているのではないから。
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この回答へのお礼

最近お見かけしませんね。

お礼日時:2010/01/17 14:56

誤字訂正



 初詣などの宗教とは言えないのではないかと。

⇒初詣などの行事は宗教とは言えないのではないかと。
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この回答へのお礼

最近お見かけしませんね。

お礼日時:2010/01/17 14:55

様々な宗教が存在するが地球の人々がみんな幸せだと思いますか?人を幸せにできない宗教に意義など無い。

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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
そのように仰る方がほとんどです。
このことを覆すようなお話をお伺いしたくてこの質問を立てました。

お礼日時:2009/08/09 13:34

>その宗教がインチキだという人たちに意味のあるものだと思っていただけるようなお話を聞かせてください。



 宗教は、「インチキである。」という意味とか意義があるのもだと
 説けばいいんじゃないの。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
その説明のしかたが分らずに困っています。

お礼日時:2009/08/09 13:37

宗教は人間を本気にさせる力があります。

そのことを柳多留の次の一句は見事に凝縮して表現しております:

たいこもち宗旨(しゅうし)ばかりはまけて居ず

(注)宗旨:ある宗教の教えの中心教義

客のご機嫌うかがいを稼業にしている、あのたいこもちですら、宗旨のことだけは譲らず、客には負けていないという句です。

ところで、日本には西洋人の言う無宗教者あるいは無神論者、すなわち、英語で言うatheistの方は滅多にいないのではないでしょうか。西洋人にとって無宗教者とは、神や仏がいないことを確信を持って信じている、したがってある意味で宗教的とも言える宗教否定の信者のことを言います。日本人が通常「私は無宗教です」というのは、そこまで確信した信念を持った主張ではなく、「今まで本気で宗教に興味を持ったことも無く、信心を本気で考えたことが無い。だから、自分は宗教を信じているのかいないのかそれも良く分からない」ということの表現のようです。西洋ではそのような人のことを無宗教者とは言いませんので、もし、ご自分で確信を持って宗教を否定しているのでない限り、少なくとも西洋人に対して自分は無宗教だと紹介するのは控えた方が良いです。さもないと、大変な誤解を招いてしまいます。

私の経験では、多くの日本人は決して神や仏の存在を確信的に否定しているわけではなく、ただ、それに関して良く分からないので、宗教に関して特別にどの宗派に属するか自分でも決めかねている状態にあるように見えます。したがって、多くの日本人は無宗教ではなく、無宗派だというのがより正しい表現だと思えます。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。
思いがけない新しい知見をして心がはずむ想いです。
ただ無宗派と表現しますとどこかしらの宗教に属した上で宗派という名の派閥には入っていないという誤解をされてしまうのではと思ってしまいます。

お礼日時:2009/08/09 13:57

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