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一応、わたしは、十代から、心療内科に何度もかかって、今もお医者さんに薬を貰って、それを飲んでいます。
実際にその薬は、わたしに効いていて、わたしは、お医者さんの言う通り「病気」なのだと思ってきました。
現実に、色々と不具合はあります。
でも、わたしは、「病気」なのだろうかと、急に思えてきたのです。

わたしは、幸せだし、恵まれていると思います。未来に志もあります。それを周りは応援してくれるし、そのことに感謝しています。
ここのメンタルヘルスの掲示板に書き込みをするようになってから、わたしは、それらのことを解っていることを誉めて頂くと同時に、深刻ではないという感じを回答者さんは持たれているように思います。
実際に、今のわたしは、「健康な人」が抱える程度の悩みはありますが、「考えても仕方ないこと」が解っていることが多いです。深刻にならない努力も出来ます。取り乱すことはありますが、人間ですから、そういう時もあるのだとも思います。

ただ、今まで居た場所が、自分に合っていない所ばかりだっただけだとしたら(高校以外は、そんな印象です)、わたしは、ただ変な体勢で長時間狭いところに押し込められて、疲れているだけということになります。

そうなると、わたしは本当に「病気」なのでしょうか?
お医者さんは、わたしにこれからも、投薬をすすめて下さっていて、薬があるのと無いのと、違いはあるかも知れませんが、わたしは、自己実現すれば、不具合は無くなりそうにさえ思います。

そもそも「病気」って何なのでしょうか?
その境界線ってどこからなのか、急にわからなくてきました。
例え、意欲的になれない、この今でも。
わたしは、ただの疲れた人なのですか?

A 回答 (8件)

>わたしは、一人旅が好きなのですが、列車の隣座席の知らない人とでも、直ぐに仲良くお話が出来ます。


>でも、普段は、お友達と遊ぶより、勉強していたいんです。創作活動をしていたいんです。

質問者さんは、本当に創作の才能をお持ちなのかもしれません。
哲学的ですが「仮にその才能を発揮するようなエネルギー体質」であったとするのならば、友達といることよりそちらを選んでしまうことも可笑しくないと思います。
(仮に友達と遊ぶ事が楽しくても、そちらを選ぶ傾向が強いかもしれませんね。私も不思議な事に、友達と遊ぶ事は楽しいのだけれども、創作活動などに時間を割いたり、誰かの役にたつ何かをしたいと思ったりの方が強かったりします。)

人脈も、交流も時にはいろいろな世界を知ったり、いろいろな人を知っていたり、していく中で大切かもしれませんが“必ずしもそれらを築かなければならない”となると、またちょっと違ってきますので、
本当のしたいことを見つけれているのであれば、そちらに意志を持っていくのもいいと思います。

その上では、
おっしゃられている通り、資金調達の日が来るかもしれません。

特別名誉や、給料や、贅沢をしたいとかそういうのでなければ、
活動できる環境をしっかり確保されることで、十分に創作に時間を割ることができるかと思います。

質問者さんの場合、支援者も増えているとのことですので、いい方向に流れている感があります。

>しかし、出来れば、また色々コンクールを受けたいです。また本が出せたら感動です(笑)
出せると思いますよ。
いまとても生き生きされていると思われます、健常者であるとか、非健常者であるとかそういうものを度外視した中での生き生きだと思います。

元気になる場所については、質問者さんの中でポイントを抑えていかれることで、ときには社会でも、いろいろな場所でも応用を利かすことができるようになってくるかと思います。
また、お薬のや、お医者様の促し、必要だと思われたときには、無理をなさらずに助けていただいたらいいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとう存じます。
今は、まだうつ状態なので身が重いですが、活動範囲を広げる為にネット環境を整える計画を、ベッドの上で進めています。(ネット社会の無人島である我が家には、10年選手の98爺さんがいらっしゃいまして、彼は、隠居をすることになったのです)
それで、病気の相談と、ITについての相談をこちらでさせて頂いていますが、念願の複合機とノートパソコンを使って、出来ることを考えていると、とっても楽しいです。

ただ、今困っているのです。以前出版には至らなかったけれども、わたしの作品をご評価下さったコンクールで、唯一出版権を獲得された方のお祝い会が主催元で開かれます。
12月で、もう外出出来ていると思うのですが、旅行には自信が持てません。
それにパソコンを買うとなると、上京費用が足りません。
是非とも、お祝いをして、情報交換させて頂きたいのですが、とっても困っています。
そういうチャンスは大切ですし、出版説明会へ行くと、色々な方がお話を聞かせて下さって、そういう場は好きなのです。

だから、わたしは、基本的に人は好きです。友達は少ないけれど、人との和は、決して嫌いではありません。
ただ、縛られるのが苦手なのです。

たまに会って、お話しする時の鮮度が、わたしは、とても好きです。
その為のたくさんの話題を得るためにも、勉強することは、わたしには、とても大切な時間です。

勉強と遊びの境目が解らないくらいに、わたしは、何かを学ぶことが楽しいです。

お礼日時:2009/10/07 14:19

>勉強と遊びの境目が解らないくらいに、わたしは、何かを学ぶことが楽しいです。



得たい未来が決められているのであれば、
そこに工夫を兼ねて進まれるのが一番かと思います。

その気持ちは大切にしていってください。
本当に自分に合った人たち、またはその環境をみつけていくことで、縛られることなく、自然と夢に向かっていけるようになってくるかと思います。

そこに必要となるのは質問者さんがそれを勝ち取る力ですね。
(勝ち取るといっても、競争で勝つという意味ではなく、実現できる自分を勝ち取っていく)という意味でです。

時には苦手なものを克服しなければならないときがあるかもしれませんが、それも夢を追っているうちに自然と乗り越える事ができるかもしれません。(実際には夢を支援してくれる人たちが増えて、負担を除いていってくれる形になっていくかと)

夢が叶うといいですね^^
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この回答へのお礼

苦手なこと。
先ずは、確定申告ですね。
今年は自分で、漏れなく申告しなければなりません(笑)
そう言うと、わたし、税金に疎いのですよ。調べものが、また増えました。

色々、お話ありがとう存じました。


お互いに良い創作を目指しましょう!

お礼日時:2009/10/07 16:04

まず、以前の回答が役立つ部分もあるかも知れませんので、


宜しかったらご覧下さい。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5320623.html

次に、森田正馬 著 "神経衰弱と強迫観念の根治法" という本をお薦めします。
貴方様がどういう症状と診断されているものか、知りません。
特定の精神病・精神疾患の中には、継続的に投薬が必要なものもあると聞きます。
しかし一方、実は全くの「考え違い・思想の誤り・生きる態度の間違い」
~こういったことだけのせいで起きる神経症もあります。

病気かどうかの境界線とは、特に心の問題の場合は難しいものです。
本人が悩んでいるか、或いは周囲が悩まされているか。そしてその程度等…。

そして一方、純粋に遺伝的・器質的な問題で起こる「心の問題」と
そうでない「心の問題」があるということです。そんな側面もあります。
まさしく病は気からであり、そして実は完全に「気だけの問題」である
神経症も相当数存在するのです。
そちらにも目を向けていただきたいと思ったものです。

例えばプラシーボということがあります。あるいは動物等の想像妊娠であるとか。
母親の経験のある雌犬が子猫を前にして、それを我が子と思い子育てした。
そしたら本当におっぱいが出るようになった。
或いは又、催眠術をかけて「今から熱いものを手に押しつけます」と言って、
実際はボールペンの先か何かを押しつける。すると本当に火傷が起きることもあるそうです。
これらは思い込み・心によって、体が実際に物理的反応を起こす例です。
つまり心は時に、体の物理的な変化さえも引き起こすのです。

更にある程度以上の年齢になった人間には「思想」というものがあります。
これが時にやっかいなのです。
思想・知識・考え方などが事実と離れてしまうと、心の問題が起きてきます。
元々思想・知識・考え方の元は「言葉」であります。
何かに対して「○○」という名前をつけた。これが言葉です。
よって言葉そのものは、実際のそれそのものではないのです。
しかしそこを見失って、言葉・知識・思想・概念のようなものが一人歩きする。
すると禅の「悪智」であるとか般若心経の「顛倒夢想」が起きてくるのだ、と。

貴方様の状態が、この「病は気から」のみのものであるか否か、これは当然分かりません。
よって一つの可能性として、そういうこともあるんだ、というような意味で、
できれば是非上記の本などお読みいただくことをお薦めします。

この本が書かれた時代などは、医師までもが加担して病気でもないものを病気に仕立て上げていく、
そんなことが往々にしてあったのです。
今は当時より、そんなことはずっと少なくなっています。
しかしゼロではありません。インチキな健康食品に大金をつぎ込んでいる多くの人など見れば、
相も変わらず… などと思うことがあります。
そんなこともあり、参考として読んでいただきたいな、とも思うのです。

又「居場所」については、加藤 諦三さんの本など役に立つと思います。
本当に自分を知り分けて、自分にふさわしい生き方が身についた時、
人は自然と自分がいるべき場所にいるようになる、と。そんなことを加藤さんはしばしば仰います。
ある年齢までの学校などは、不可抗力的な部分が大きいと思います。仕方ないことが多いと思います。
しかしその後は、どれ程「自分が自分らしく生きているか」にかかってくることかと思うのです。
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この回答へのお礼

ありがとう存じます。外出制限が解けたら、図書館へ行ってみます。

わたしは、次の症状があります。
○ほぼ周期的にうつ状態になる。
○強いストレスを感じる時、うつ状態である時、過呼吸になり卒倒する。
○卒倒する症状が頻繁にあらわれ始めると、人混みが怖くなる。
○強いストレスを予期する時、回避する為に、卒倒したくなり、実際に具合が悪くなって、卒倒する。

それを、何とか名前をつけて「パニック障害」ということになっています。

また、父方の伯父が、若くして自殺している、母方の祖母が過呼吸持ちだった、母は、医学書にあるように、小さい頃人混みで具合が悪くなっていたので、軽度のパニック障害だった疑いがあることを踏まえて、わたしの脳は、遺伝的にセロトニンが不足しやすい可能性があると推察出来ます。
小さい頃なった小児喘息も、原因は、精神的なものだと診断されました。以後、今の「症状」の傾向は、少なからずありました。

更に、卒倒することについては、周囲に迷惑をかけるので、困っています。
うつ状態についてですが、外で働かない限りは、「気が乗らない」で片付きますが、就労となると不便な出来事です。(正直に言えば就労することに気が乗らないので、それが続くとうつ状態になるのだと思えます。)

ただ、外で働くということは「経験」として必要だと思い選びましたが、金銭的理由以外では、わたしは、もう足りていると感じています。

そして、居場所についてですが、紆余曲折しながらも、随分近づいてきた気がしています。
色々と勉強を重ねる中で、これなら長く付き合っていけそうだという分野を見つけました。それを見つけ動き出した途端、支援者が急に増えたのです。
わたしは、小さい頃から単独行動派だったので、元気である限り、行動力はあると思います。それに打ち込んでいる限り、本当に充実しています。

つまり、その居場所にいる限りでは、「卒倒」以外の症状は、あまり影響はないと考えています。
もしかすると、「卒倒」することも無くなるようにも思えます。

けれども、
やはり確実に「卒倒」しなくなりたいです。

お礼日時:2009/10/07 12:26

>ただ、今まで居た場所が、自分に合っていない所ばかりだっただけだとしたら(高校以外は、そんな印象です)、わたしは、ただ変な体勢で長時間狭いところに押し込められて、疲れているだけということになります。


こちらのお考えは案外的を射ているかもしれませんよ。
理由は下記にて。

まずは「元気」のお話について。

元気というのは即ち
「元から存在する質問者さんの気であって、その性質」のことです。

そしてその性質には合った合わないがある。
その対象は人間関係から、自然環境、社会風習、ありとあらゆるもののなかに「質問者さんに合った、合わない」というのもが存在します。

「質問者さんに合った場所」というのは即ち
「質問者さんが元気で入れる場所のこと」です。

とどのつまり
「その場所に居る限り“元気”」で居る事が可能だと思われます。

逆に
「質問者さんに合わない場所」、即ち
「質問者さんが元気でいれない場所のこと」です。

とどのつまり
「その場所に居る限り“不元気”」で居る事になると思われます。

まとめると

病気とは「精神病の病の境界線というのは“自分の性質に合わない場所に長時間いたことによって、自分の元気が無くなってしまっている状態のこと”」を指しているのかと思われます。

実体験をお話すると
私は「鬱病」を患っていましたが、そのことに気づいて
「自分が元気で入れる場所をとことん探していきました。」(実際には心友が導いてくれたのですが)

そうする不思議な事に
「自分は抗鬱剤を飲まなくても、活動できるようになりました。」

人の中には元から
「ルールや風習に属す事がとても苦手な人」がいます。

もとよりルールというのは
「最初に、生活をする上で「ある程度の生活ラインを確保するにはこういう流れて、こういう決まりで、未来を運用した方がいい」」といった風に作られたものだと思われますので、逆に言ってしまえば

「それは総ての人に合った、総ての人に沿った、総ての人が適合されるルール」ではありませんので、例えば「高校にいかなければならない」というルールに沿うことができない人は“元気でなくなってしまう”という訳です。

推測ですが、医学的に処方されている薬というのは、そういうルールに適合できるように慣れ易くできる薬、だと思われます。
もっと言えば「そういうルールに適合できない人でも、ある程度の許容範囲を広げて、自分の性質以外の世界でも存在できるようにする薬」と言い換えても可笑しくないかもしれません。
(薬のどの成分が、どう影響してそうなるのかは存じませんが)

これも推測ですが
「質問者さんは思われているとおりただ疲れている人」に当たるのかなと思います。
そして“そういう人を定義付けする言葉がないから“精神病””として名付けられてしまうだけのことかと。

ようするに、この論点から言えば
事実上精神病というのは存在しなくってただ
「不思議と最初に作られたであろうルール(歴史)の中で、元気であれない人が精神病」と付けられた、とも考えられます。

言葉をひっくり返すと
「最初の定義や歴史が万人に適合される良い環境」でないのだとすれば、“それに適合できない人は元気がなくなることはしごく当然”である訳です。

もっと言えば
「元気の無い本当の原因さえ分かってしまえば」精神病と言われているその“何か”というのは抜け出せる可能性が非常に高いですね。

医学の発展やら、なんちゃらの発展というのは
そういうふとした「なんだろう」とか「ここどうなっているんだろう」とかそういった考えの先から発展されていくものだと考えます。

ですので
今日質問者さんが思われている疑問や結論が
「どんな専門医よりも的を射た考えをしていても可笑しくはない」ことだってありえますから。

しかしながら
医学も素晴らしく捨てたものではありませんので、そちらに頼るのもいいと思います。
また、質問者さんなりの結論で「薬が無くても抜け出す事ができる何かを掴めた」のだとしたら、それを試してみる価値は大いにあると思います。
(理由は医学で分らないことも多いためです。もとより、病気については、メンタルが関係しているものが多いことは言うまでもなさそうなので)

試すにしたとしても、
ご無理はなされずに、医学も頼るときは頼っていいと思いますので。
担当の先生も質問者さんのことを知ってくださっていると思うので、一度いまお考えになられていることを相談してから、先の進め方を促してもらうというのもいいかと思いますよ。

元気がもっと戻ってくるといいですね^^
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この回答へのお礼

ありがとう存じます。
わたしは、一人旅が好きなのですが、列車の隣座席の知らない人とでも、直ぐに仲良くお話が出来ます。
でも、普段は、お友達と遊ぶより、勉強していたいんです。創作活動をしていたいんです。

解ってくれる友達は、わたしが勉強出来て、物を書いていれば、安心してくれます。

でも、社会には、単独行動が許せない人が沢山いました。そして社会は、団体行動が好きな人に向いているように出来ていました。
そういう訳で、大雑把に言うと高校生の時以外は、何とも居心地が悪かったです。
小学生~中学生の女の子は、グループ至上主義的だったし、社会に出たら、勉強時間は減るし、一人になりたい時まで、人がくっついて来ちゃうし、疲れてよけいに勉強出来ない気分になって、更に疲れてしまいました。

わたしが元気でいられるのは、ちゃんと勉強して、それを生かしてもの作りが出来て、また勉強出来る時です。

ですから、職に就くと具合が悪くなって、失業すると元気になるのです。
一般多数の人とは、逆なのです。

だから、先生と両親に言いました。
何度も再発しているので、観察期間を設けて、再発しないのを確認出来ないと就労は難しいので、その間、絵の勉強をちゃんとしますって、言いました。
絵の基礎勉強が終われば、わたしの勉強量は軽くなります。
もの作りがしやすくなります。

たぶん、また資金調達しないといけない日が来ます。その時には、きっと薬の力を感じると思います。

しかし、出来れば、また色々コンクールを受けたいです。また本が出せたら感動です(笑)
それで、理解ある人と結婚して、家事をしながら、一生勉強して、たくさん本を書きたいです。

お礼日時:2009/10/07 07:27

薬はきちんと飲んでください。


3月にうつが発生し2週間くらいで良くなったので
もう大丈夫と思い薬を勝手に止めてしまいました。
ところが、再発し現在に至っています。

うつってまだ、周りの理解が足りないと思います。
先日もスーパーで会社の同僚と遭遇しましたが
早く会社きなよ。元気そうじゃん
と言われました。

ただ疲れた人ではありません。
医師いわく足の骨が折れたと思い
ゆっくり休養してくださいと言われました。

乱文でもうしわけないです。
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この回答へのお礼

ありがとう存じます。ちゃんと薬は飲みますねっ。

心が折れるという表現がありますが、やっぱり心は骨と同じですね。
牛乳と思って、ちゃんと薬飲みたいです。

お礼日時:2009/10/06 23:22

薬を止めたら、いろいろと不都合が出てくると思いますよ。


薬を飲み続けていると、あなたのような疑問も確かに出てくる時があります。
でも、だからと言って、しばらく飲まないでいると症状が出て来るんです。
精神の病気は、専門の医師に任せるのが一番ですよ。
境界線は薬が効く、効かないと言うところでも判断出来ると思いますが、これも又、医師でないと難しいと思います。
信頼出来る医師に診てもらうのがいいでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとう存じます。
過去に自己判断で止めて再発しているので、反省して、今度はちゃんと飲みます。

わたしは、先生が大好きです。とても良い先生です。近所の優しいおじさんみたいな存在です。

お礼日時:2009/10/06 21:22

質問者様は現在「回復期」の真っ直中の状態だと思われます。



「回復期」になると「躁鬱状態」や健常者並の考え方が出来る様になってきます。しばらく同じ薬を服薬し続けてその状態が維持出来るようになれば、段々と減薬されていきます。

http://mikke-web.com/utu/kaifukuki/tiryou.html
参考になさって下さい。
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この回答へのお礼

ありがとう存じます。
わたしは、ずっと同じ病気だと言われて来ました。
小さい頃から思い返すと傾向はありました。それで、あることをきっかけにとっても顕著に症状が出てきて、その後段階的に長年かけて良くなっているのを感じます。

その良くなる前兆で、必ず一端にとっても具合が悪くなります。
今回、それが原因で失業したのですが、内心ちょっと嬉しいです。何だか、「これが良くなったら治る気がする」とおもったのです。
だから、ちゃんと治す為にも、今は、無理しないで、好きなことをしよう!治らないと、また「失業⇔病気」の繰り返しになる!と思ったのです。
不況の前に、健康でないと使って貰えませんから、会社側は、努力して短時間のアルバイトの席を下さったのですが、病気の特性を考慮して危険だと思ったのと、無理をしたくなくてお断りしました。

うつ状態なのに、わたしは、とても楽天的です。やっと自分に素直に正直になれる気がするのです。小さい頃から思い描いていた自分に会えそうな気さえしてきます。

昔のことを思うと、変な感じがします。
でも、これで良いんですよね。
ここを越えるのに、わたしは、一人じゃないですから、きっと大丈夫な筈です。

お礼日時:2009/10/06 21:12

治療を受ける必要がある状態が病気、治療を受けて正常になっている状態は病気ではないと言えるのではないでしょうか。



つまりご質問者様が薬を飲んでいる状態は正常、薬を飲まなくなって不具合が起きれば病気。

私もずいぶん長い間飲んでいる薬があります。
薬を飲んでいると検査の数値は正常になりますが、薬を飲まないと異常値になります。
自覚症状がないから自分では気づきませんが、検査すると分かります。

まあ薬は食品とは違いますが、おなかが空いたら何かを食べるかのごとく、私は毎日薬を食べています。
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この回答へのお礼

なるほど。
確かに、薬を拒否していた時と、今は、違います。
発作の回復力が違います。

心を骨格に例えると、薬は、グルコサミンとヒヤルロン酸、コラーゲンのサプリメントみたいな感じですか?

お礼日時:2009/10/06 20:49

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