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孔子は弟子の子路が仕官先で殺され醢(ししびしお・塩漬け肉)にされて以後、それを悲しみ醢を食べなくなった、とされるが、問題はこ

こで言う醢が人肉なのかそれ以外なのかである。このケースでは人肉とするのが相当だろう(理由は下記の5点)が、これに対する決定的

な反証資料又は強化資料が有れば御教示願いたい。

1)子路の死を悲しんで以後食えなくなったのが豚肉や鶏肉なのだとしたら、それは子供の偏食レベルの話しであり史書に記述される様な

事件とは言えない(孔子はお子ちゃまだった、というビッグニュース?)

2)人肉であるからこそ肉にされた弟子をしのぶ真に迫った深い嘆きが伝わるのであり、これが豚肉や鶏肉であったらマンガであろう

3)『渇すれども盗泉の水を飲まず』と言った孔子が人肉を食らうはずがない、というが、中国では人肉食はごく普通のことであった

4)子路は遺体を長くさらし者にする刑罰として防腐のため塩漬け(醢)切り刻みにされ、凌遅刑(りょうちけい)は肉を少しずつ切り落

とし死に至らす刑で、この刑に処された人肉が漢方薬として売られた

5)江戸時代の儒学者たちは論語の孔子の言葉を儒教道徳の規範として崇拝したが、孔子が漢民族の風習として食人の習慣があったことを

、ひた隠しにしていた

A 回答 (5件)

 回答番号:No.3


 (1)何でも食するあのお国柄で、当時一般にかどうかともかく、人肉食が行われていたかどうか。
 (2)孔子が子路の死と無残なされ方を期に、その後に忌避した醢の肉とは人肉ではないか。而して、孔子の醢の忌避は偏食をしめしているのではないか。
 要するにご質問はそういうことですね。
 論語を読む限りそういうことはない、という理解が正しいと存じます。
 少なくとも、論語の今までの解釈上は仰せの事を述べる脈絡にはなっていないと存じます。
 年月も隔て、論語の趣旨の解釈も当時、そして記述者の意図も直接に接する事はできませんが、仰せの疑義は相当無理もあるという判断です。
 当時の食生活を知る限りでは人肉の食はそう一般ではなかったと存じます。
 鳥、いのこ(論語にもでてきます)という家畜が食されていたという歴史と民俗の分析を今は、受け入れています。
 江戸の処刑、小塚原で代々の首切り役(山田浅衛門、山田 浅右衛門とか)が罪人の臓物などを加工して高額に薬剤として公然たる内職を営んでいた事は知られるとおりです。
 かの地でもあったかのように聴いております。
 しかし一般には常には食材にはしていなかったようです。
 酒池肉林などの質問をしたとき、そういうご回答も頂きました。
 人肉をそのようにしたときは、状況や理由とともにそのことを伝えてきておるようです。
 羌人を狩のようにして、食した話はきいたことはありますが、それも一般かどうか存じません。
 少なくとも論語の中の、そのくだりでは孔子の偏食を語るものでもないし、人肉の塩漬けが食材として一般的であったことを背景に歯してないと存じます。
 今後の研究であっと驚く事も出るかもしれませんが、今は私はそのようにうけとり、ご質問を今は、根拠がないものと思います。
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この回答へのお礼

聖人君子の孔子が人肉など食らうはずがない、
というが、中国では人肉食はごく普通のことであり、食人は一種の文化であり、
鯨を食べる文化、犬を食べる文化などと同じなのである

中国では人肉食はごく普通のことであり、中国での人肉食は実にあっけらかんと記述されるが、
日本では如何にもおどろおどろしく おぞましげに記述される

孔子の教えは死後の世界について思索せず、人体とて魂が無ければただの肉塊(食べ物)であると考えた

以下は想像であるが、
孔子は弟子の子路が醢にされたのを知った時、初めて今まで自分の食べていた醢が
何であったかの『現実』に気付かされ愕然として自分の机上の空論の『理想』の虚しさを思い知らされ、
傷心のうちに自宅の醢をすべて捨てさせた

史書の作者はその事を皮肉をこめて伝えたかったに違いない

お礼日時:2009/12/01 22:27

当時、人肉を日常的に食していたという資料はありますか?


まずは、そこから調べた方が良いのではないですか?
どういった状況の時に人肉を食したという記載があるのか、できればその際の心境等が書かれた文章をいくつか読んでみれば分かると思いますが?
あなたが、昔の中国では人肉を食することもあったと知った資料等がありますよね?まずはそこから、どういった状況で、その際の心境等を調べてみてはいかがでしょう?
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この回答へのお礼

ビーフジャーキーを食べていた孔子が弟子の死を知った時の衝撃よりも、
人肉醢を食べていた孔子が弟子が醢にされたのを知った時の衝撃の方が、
その大きさゆえに史書に記述される程の事件たり得たのではないか
(子牛(孔子)のビーフジャーキー)
黄文雄(コウ ブンユウ)は、中国人は人喰い人種で食人文化は中国の伝統であると主張し、
孔子食人説を唱える反中国主義者であるが、多数の著書を有しておりただの嘘吐きとは言えない

お礼日時:2009/12/01 22:24

 あちらの食文化として、親と四本足の机は云々というのは確かに聞いた事はあります。


 で、要するにそのことがどの程度に一般化していたかどうかの話なんですね。
 春秋の孔子の時代に。
 つまり、言うところの醢(ししびしお・塩漬け肉)というのは、子路の場合はともかく、一般的に人肉ではなかったかというご質問なんですね。
 歴史事実としてはそういうことではなかったようですし、論語の文脈から、人間以外の肉のことであるという解釈が一般的であり、理に適うように思います。
 人肉という場合は、特にそういう場面の説明や、状況、そして人肉であるという事を判らせるようにしていますね。
 少なくとも後世に伝わる話の中では。
 酒池肉林も人肉でもないし、女体の林でもありません。とこのサイトで教わりました。
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この回答へのお礼

人肉という場合は、特にそういう場面の説明や、状況、そして人肉であるという事を判らせるようにしているから、
そうしない場合は人肉ではない、と、言い切れるものかが疑問です。

お礼日時:2009/11/22 17:03

文章通りなら No.1 の回答で十分に思うけど・・・



例として『封神演義』などにもある様に、権力者がやる嫌がらせとして
子供の人肉を食べ物に加工しその親に食べさせる!てのもあります。
なので、弟子の肉を先生に食べさせる嫌がらせを受けるかも? という
疑念から先生が食べられなくなった!という考え方もあるかも。

ちなみに、人肉を薬にするのは江戸でも普通?だったはず。
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この回答へのお礼

子路の肉が孔子に届けられたという説も有りますね。

お礼日時:2009/11/22 17:00

あなたが、文章を読む根本的な力が不足しているお子ちゃまだったというビッグニュースだと思いますよ。



たとえば、あなたの親や子、兄弟がジャーキーされていらいあなたはビーフジャーキーを食べるどころかみるのも嫌になったという仮説はそれほどおかいいですか?
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この回答へのお礼

醢をジャーキーに置き換えてしまっては話が違ってきます。
人肉の醢は当時ごく普通のものでしたが、人肉ジャーキーはそうではありません。
ありふれた人肉の醢が弟子の死後に特別な醢に転換してしまうところがポイントで、
特別な人肉ジャーキーなら弟子の死後にも特別な人肉ジャーキーのままでしょう。
ありふれたビーフジャーキーが弟子の死後に特別なビーフジャーキーに転換してしまうのは、
お子ちゃまだったということです。

お礼日時:2009/11/22 16:57

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