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なぜ、日本の知名度が一流の企業は、大学を卒業した人を新入社員として採用するのでしょうか?また、就職活動に有利なのがどうして大学を卒業した人なのでしょうか?自分は大学を卒業して専門学校も卒業しましたが、専門学校の勉強はハードで、大学よりも欠席や成績にかんして評価が厳しかったと思います。でも、大卒の子より就職の機会も待遇も下なんですよね。どうしてなのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

平成も22年になると言うのに未だに「学歴社会」を


崇拝している一部のバカ役員がいる会社が存在するからです。
私は面接の時に面接官が「大学は云々・・・」と言い始めたら
机を蹴り飛ばして出てきます。実際そうやって今までやってきました。
そんな会社は今の所間違いなく大なり小なり潰れています。
こう言う輩は霞ヶ関に隔離してもらいたいくらいです。

この回答への補足

机を蹴り飛ばされたんですね。勇ましいですね。
自分はなぜ学歴というものがそんなに尊重されるのか。
そんなに尊重された結果、どうしてこんなに日本経済が傾いてしまったのか、だったら、尊重した学歴とは何なのか。どうして大学の学歴が専門学校の学歴より重要視されるのかが不思議だったのです。だからrey_ayanamさんのように、学歴社会を軽視してはいないのです。ご回答ありがとうございました

補足日時:2010/01/09 18:48
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学歴社会から実力主義の社会に移行しつつあるので、今の状況がいつまで続くか分かりませんが、従来の人事採用の発想は、大学・高専または短大・専門学校・高校という順序で学歴の高さを順位づけてきたのは、試験の難易度もありますが、履修科目の高低を基準にして、大卒とそれ以外の学卒とを比較し、高学歴者ほど職能や将来性が高いと判断しているからでしょう。

これはプロ野球のドラフト会議で、まず高校野球や都市対抗で全国大会に出場し、好成績を上げた選手が上位を占め、まれに地方大会で姿を消したチームから選ばれるのと似ていることから、同じような発想だと考えられます。

この回答への補足

自分は現代社会が実力主義に変化しつつあるとは全く思えないのですが、学歴社会が揺らぎ始めているのは感じています。
 職能と将来性と学歴が相関している、という根拠はいったいどこにあるのでしょうか。会社でもよほど専門性が求められない限り中卒の子でも出来そうな仕事がほとんどでしょう?それにその専門性が求められる現場ですら、大卒の子がほとんど使い物にならない、中学の数学すらできない人がいる、と新聞報道でありましたし。本当に学歴社会は正しいのでしょうか

補足日時:2010/01/09 18:52
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経験則



人間誰しも自分の経験以外のことを想像はできません。
大卒の人事担当者には高卒がどれだけ有用なのかを判断しにくいのです。

逆に言えば、
高卒でそれなりの地位についている人間が少ないともいえます。

私自身も、高卒で有能な人間はほとんど見たことが無いです。

この回答への補足

では自分も経験則に基づいて言います。大卒で「有能」な人をほとんど見たことがありません。霞が関には大卒の中でもとくに優秀な人が集まっているはずですよね。さぞかし「有能」な方々でしょう。では今の日本はなんでしょうか?「有能」な人が集まって作った日本がこれですか?

補足日時:2010/01/09 18:59
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社会人として必要とされる最低の資質が、一流大学卒業者には備わっている確率が高い為です。



その最低の資質とは、
「ある定められた目標・期限に向かって、正しい方法で効率的に努力し、そのうえで結果を出せる能力」
です。

一流大卒業者は
大学受験日という定められた期限までに、一定程度の学力をつけるべく、各人の方法で努力して、
結果を出した者たちです。

企業で働いていく上では、
たとえば、決算期末とか今月末とか一定の期限までに、一定の数値目標に向かって、努力して結果を出すことが要求されます。


また、もう一つ、「社会人」として必要な資質ではなく、「会社人」として必要な資質として、
会社の経営方針に沿って最善を尽くすことができる、という能力です。
経営陣が決めたらその方針に沿って動く。

一流大卒業者は、大学入試に課されると分かれば、別に興味の無い科目であっても、つべこべ言わずに勉強し、
一定水準まで学力を引き上げて、なおかつ結果を出す能力があったわけです。
低学力者にありがちなエクスキューズ、「微分積分なんか勉強したって人生で役に立たないし」などとは決して
言わなかったわけですし、「日本に住んでるから英語なんて勉強しなくていいし」 とも言わなかったわけです。

「入試に課される科目」と定まってしまえば、とにかくそこに向けて努力することが出来た人々なのです。

企業としても、上層部からの指示、経営方針に対して、いちいち、「そんな営業方針じゃ売れねえし」とか
「自社の商品ラインナップじゃ他社に勝てねえし」と、やる前から考える連中は要りません。

決して思考を停止しろ、という意味ではなく、「決まったことはきっちり全力を尽くしてこなす」人が便利なだけです。
その努力をした上での改善提案や問題提起をできる人材が欲しいだけです。

また、「学歴なんて関係ない、個人の資質だ」とは言っても、現在でも厳然として、「入社試験では学校名も関係ある」
という事実があるわけですから、それを冷静に捉えて、それに対して動いてきた人間たちともいえます。
このように、そのこと自体が良いか悪いかは関係なく、実際に起きている環境を分析して対応できるということも言えるでしょう。

結果を出した上で、「学歴なんか関係ない」と言わないと、単なる遠吠えになってしまいます。
別に個人の考え方なんかどうでもよくて、世間がどう取るか、ということですからね。
なぜなら、社会は実績しか評価しません。「頑張ったけど惜しかったね」はありません。

確かに個々人で見ていけば、大卒よりも有能な高卒・専門卒もいるんでしょう。
しかし、いちいち一人ひとりを見るほど余裕もありませんし、確率的に低い母体を探すのは企業としては
無駄ですので、全体の括りとして、「大卒以上」とされてしまうのはある程度仕方がありません。
まあ最近では全入になったということで、単なる「大卒」というだけではひどいクオリティの連中も含まれますから、
人事採用担当者としては、今まで以上にリスクを下げる為に、大学名の看板は重要になる一面もあるでしょう。

なお、入社後は学歴は関係ないところがほとんどです。職場で出した実績が全てです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
文頭で「社会人として必要とされる最低の資質が、一流大学卒業者には備わっている確率が高」く、「ある定められた目標・期限に向かって、正しい方法で効率的に努力し、そのうえで結果を出せる能力」とおっしゃってます。では、その能力が高卒生おより専門学校生にないという根拠はありますか?大卒といっても、本人の能力だけではありません。経済的な理由や本人の意思で大学進学を避けたケースだってあるでしょう。それに昨今は就活に失敗した大卒生が専門学校へ通うというケースがあるようですが、これはどう説明しますか?そんなに大卒生に輝かしい能力があるのに、どうして専門学校へ行く必要があるのでしょうか

補足日時:2010/01/09 19:16
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あなたが人事担当者だとして、限られた情報から人を選択するとき、やはり学歴もよりどころにするでしょう。

面接や試験というワンチャンスの評価だけで決定するのは、あまりにも危険です。
 一流大学をでているということは、それだけで20数年の学習過程の中で、その人の能力と、与えられた課題をこなしてきたという努力の成果だという、きわめて客観的なデータなのです。
 言い換えると、学歴って限られた情報で評価する場合、きわめて有効で平等な判断手段なのですよ。
 それでも万能でないから、就職後の評価は出てきます。学歴偏重というのは、就職ではなく、その後の出世とか地位に学歴が左右することを言うのであって、就職そのものは学歴で評価するほうが平等ですよね。

この回答への補足

いいえ。自分の務めている会社では、採用基準に学歴を加味しないという方向になりそうです。大卒を採用しても高卒生とあまり能力差が感じられず、入社後に常識テストをしても点数にほとんど違いが見受けられないためです。「一流」大学出身でも社会的な常識がほとんど見受けられず、入社してから再教育する手間を考えると高卒でもいいのではないか、トいう流れです。まだこういった企業は少数派かもしれませんが、学歴が「有効な人選方法である」という考え方は自分は今までそう思ってましたが、最近では揺らぎ始めています

補足日時:2010/01/09 19:17
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昔コンピュータが賢くなかった時代の名残なのでは?


記憶に長け計算が速い人ほど稼げた頃の老兵には
他に相手の有能さを測れるものさしが無いのカモ

今は大学院卒よりパソコンのほうがずっと頭イイから
オレなら迷わず窓辺ちゃんを入社させて集案に配置
もしここの住人さん達とかを報奨金で釣れるものなら

会社にもたらした利益の半額あたりで雇いたいです
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>、入社後に常識テストをしても点数にほとんど違いが見受けられないためです。


 私も統計を見たことがありますが、そのような結果はありません。

 たとえ一流大学でも、下のほうと高卒の上を比べるのはおかしい。どうしてもなら、双方のトップ通しを比べればよい。

・一理由大学出にも、役立たずがいる
・専門学校や高卒でも優れた奴がいる

 よって、「学歴で判断するのは間違い」と結論付けるのは、あまりにも短絡的なのではないですか?

 あくまであなたの会社という限定されたものではないこと、
 無作為抽出ですか?

 そこが知りたい。

 あなたの最初の質問は、
「日本の知名度が一流の企業は、大学を卒業した人を新入社員として採用するのでしょうか?また、就職活動に有利なのがどうして大学を卒業した人なのでしょうか?」
という一流企業に限定したものでした。
 ですから私も、各学校のトップクラスが受験すると考えて、
「限られた情報から人を選択するとき、やはり学歴もよりどころにするでしょう。面接や試験というワンチャンスの評価だけで決定するのは、あまりにも危険です。」と、一理由企業における一般論でお答えしました。

 途中で条件を変えるのはいかがかと思います。

 それとも、ご自分の主張を述べるための「つり」だったのですか?
 

この回答への補足

再度ご回答ありがとうございました。

あなたの補足要求にはお答えしません。

補足日時:2010/01/10 23:15
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一つの視点として。


大卒は、その大学に入学している訳です。
企業は就職後に社員教育をします。
その時、企業が社員に求める目標を達成できる能力を持つ人材を確保しなければなりません。
その仕事、役目が好きか嫌いかは関係なく、指示された事を期限までに成し遂げ、さらにそれに付加価値をつけられる力です。
それに必要な力を大卒、もっといえば一流大卒が持っているのです。
専門知識や技術を必要とする職種でない限り、大学で何を勉強したかよりも、その大学に入るために必要な努力をして入学できた、という、いわば潜在能力を求めているように思います。

この回答への補足

ご回答、ありがとうございました。

ご回答の中にあるような素晴らしい潜在能力があるようには、現在の企業の姿をみればとてもあるようには思えませんが、企業側はそれがあると信じておられるのでしょう。

補足日時:2010/01/10 23:07
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自分自身の経験に基づいてお話しするので、主観的であることは避けられませんが、実感していることは確かですから、余り批判的にならずにお読み頂きたいと存じます。


私は大学法学部の出身なので、法学部出身者と話す時は、法学士として最低限のレベルの基礎知識はあるものとして法律用語を用いますが、他の学部出身者と話す時は、法律用語(例えば、善意とは知らない、悪意とは知っているということで、一般的な倫理的ニュアンスは無いということ)について一々説明しません。逆に私は簿記には疎いので、商学部出身者から簿記に関しては、「資産が借方で,借入金が貸方」というのが理解できず、簿記の常識を教えて頂きました。商業学校の卒業生なら常識だとも言われ、普通高校卒業の私は、簿記に関しては全く無知でした。ある学校を卒業したということは、そこで学ぶべき教養を身につけているとみなすことができるということで、社会的に評価されるのだsと、私は思います。学歴は優劣というより、その人の適性に合ったものを選ぶべきだと思いますが、今までの社会は(特にマスコミは)偏差値競争を煽って来たのが実情だと思います。しかし、給与体系も年功序列から成果主義へと移行(その反動もありますが)しつつあり、世の中は変わって来ている面があります。
それから大学と専門学校の違いですが、語学に関して言えば、学者になるには大学に行かなければなりませんが、通訳や翻訳の仕事をするのであれば、専門学校の方が実用的であると思います。私自身、外国大に在籍したことがありますが、外国語を読めても、会話は苦手です。
余り学歴に拘らずに、自分がやりたい仕事に必要なことを習得するのに適した学校を卒業することが大切ではないでしょうか。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました。

自分の疑問からはちょっとハズレてしまいましたが、実体験を交えて話してくださったので、とても面白かったです。ありがとうございました

補足日時:2010/01/10 23:11
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前提として押さえておくべきは、


企業はルールの中で努力できることを求めているだけで、
学歴に対して、学力は期待していないのです。

受験学力というのは、概ね努力の量に比例します。
センスのあるなしというのは、その努力の成果が現れるのが、
あるいは効率の良い学習法に変えられるのが、ちょっぴり早いという程度です。
少なくとも、受験で測られるがくりょくにおいて、
圧倒的な努力をひっくり返す天才というものには、お目にかかれません。

つまり、大学の学歴は
『この大学の入試をパスできる程度の努力ができました』
という証明でしかありません。

また、高校で全日制の方が通信制より評価されるのは、
『ある一定のルールの中で生活できた』
ということを評価しているからです。

一方、専門学校は技能を期待されます。
しかし、一部の専門学校(調理や理容など)を除けば、技能を保障するものでないのが実態です。
バブル崩壊以後、雨後の筍のように現れた、コンピュータ系・デザイン系・建築系…
こういったところでは、基本的なことすら学べません。
CADを操作できても、ニュートン力学すら分からないんじゃ戦力になりません。
これが大学卒だと、受験のために体系的に学んできていますから、
その待遇の違いもしかたありません。

ですから、専門学校でも職能資格に直結する分野は良いのですが、
大学でも学べることを専門学校で(下流工程部分を)表面的に学んだだけだと、
受験の努力から逃げたという評価になっていしまいます。

ちなみに、大卒で専門学校に行くのは『腰掛け』です。履歴書に空白の時期をつくらないためです。
評価眼の低い企業は、履歴書の空白に対して『就職できなかったのは、それなりの理由があるに違いない』
という評価を行い、自分で評価すること自体を放棄してしまうという選択をしますから。

この回答への補足

丁寧なご回答ありがとうございました。

まずこの大学の入試をパスできる程度の努力ができました』という証明でしかない、というのはとても曖昧な評価でしょうね。だって、東京大学を合格最低点に一点足りずに落第した人は努力はしていないのか?ということになります。逆に偏差値がとても低い大学でも大卒なら努力はしたのか、ということも言えます。

専門学校が技能を保証してない、ということなら、大卒はもっと保証されていない気がします。例えば入学試験の偏差値が一流の大学でも、文学部だと法学部に比べてあまり求人がない、という話もききます。もちろん具体的な技能や資格が得られない専門学校はおっしゃる通りだと思いますが。

補足日時:2010/01/10 22:56
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