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薩摩藩、佐賀藩、仙台藩みたいな感じで江戸時代以前の地頭というか、城とまではいかなくても屋敷をもっていて、藩自体が小さな幕府みたいな感じの藩って、他にあったのでしょうか?移動のない外様に多いような気がするのですが。

A 回答 (3件)

将軍がいて


各大名家があって(旗本・御家人を含めて)
その下に一般武士がいて・・・

なんて、今の地方自治体のように、都道府県は並列で、その下に市町村が並列というような綺麗な組織があったわけでない、江戸時代は。

極端に言えば、3000万人いたといわれる江戸時代の日本人は全員が同じ社会的地位にいたわけでない、3000万通りの有り様で生きていた。

各大名家も、それぞれの歴史を背景に組織はバラバラです。
とりあえず、一国一城令が引かれたので、公式には各大名家は本城のみとなりましたが、それぞれの大名家の歴史によって、バラバラ。

では具体例
1 御三家
成立時に当主は子供だったので、家康から家康の直臣が補佐役でつけられました。
犬山城主の成瀬家は、尾張徳川家の家臣です。
附家老というやつ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%84%E5%AE%B6% …
上の意味で、外様というより徳川家の外戚に多い。

前田家では、もともと能登の畠山家の重臣であった長家が一種の地元対策で、半大名な感じ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B0%8F
移動のない外様というより、前田家が移動してきたので生まれた。

佐賀の鍋島家の場合、龍造寺家を鍋島家が乗っ取ったような経緯があるので、龍造寺家が優遇されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E9%80%A0% …
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 支藩と呼ばれる藩の中の小さな藩を持つ大名は、結構いました。


 (完全に独立してしまう宇和島藩のような物も有りますが…。明治維新後は本家より格上の爵位[侯爵]を受爵します。)
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E8%97%A9

 ちなみに、長門清末藩(萩藩の支藩である長門長府藩の支藩)や伊予吉田藩(陸奥仙台藩の支藩である伊予宇和島藩の支藩)の様に支藩の支藩(孫藩?)と言う事例もあります。

 当主の弟への分配や新田開発などでの領域拡大などがその理由ですが…。
 あと、御三家(尾張藩・紀州藩・水戸藩)にはそれぞれ御連枝と呼ばれる、大名級の所領を持った分家を擁していました。
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>薩摩藩、佐賀藩、仙台藩みたいな感じで江戸時代以前の地頭というか、城とまではいかなくても屋敷をもっていて、藩自体が小さな幕府みたいな感じの藩って、他にあったのでしょうか?移動のない外様に多いような気がするのですが。



有名なところでは仙台藩。本当の意味での城は片倉氏の居城した白石城のみで、後は要害とか館とかよばれてはいますが、実質は城であり、そこを中心に多くは万石以上の知行地を持ち、伊達の殿様から見れば陪臣となる家臣を養っていました。普通は知行地に居住し、仙台には屋敷を持っていますが、常住しません。仙台藩を幕府、各城と知行地は大名領のような関係にあります。戦国大名と支配下の国人領主のような関係でしょうか。

以上、参考まで。
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