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大学教員の品格もしくは大学等研究者(研究室)の在り方的な話ですが

親戚が某医療系公立大学の大学院に通っていたのでが、大学院の卒業論文を研究室のボスである教授に提出しても、一文も見ていないらしく、全くやる気なしのようです。その教授に言わせれば、忙しいからとか自己都合な理由を言い放つだけのようでした。親戚の人は真剣に研究生活をしてました。同じ研究室内の他の同期の学生やその先輩に当たる方達も同様に論文提出しても殆ど全く見てもらってないようです。
何で見てもらえてないのでしょうか?見るに値しないという評価を下されただけなのでしょうか。
指導放棄(教員としての仕事をしていない)にはならないのでしょうか?どの大学でもこのような風なのでしょうか。
大学等学校の先生やら研究者は「非常識」などと度々耳にしますが、このように教員としての義務を果たそうとしないで堂々としている点などがその所以の一つなのでしょうか?
また、修了論文を見てもらえないという事は卒業(修了)出来てないという事ですよね…?(気の毒そうだったので本人には聞いてないので…)
ちなみに親戚は当初、さらに進学して研究の道に進むつもりだったみたいですが、研究室生活をするようになって卒業する学年になる頃には呆れて就職する事を考えてました。
その親戚の人には子供の頃からとてもよくしてくれた人なのでとても心配です。よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

医学系の大学院の教員です。


まず、大学の教員として質問者さんが「すべての」教員が非常識であるという感じの書き込みに思えますので、それに一言。

どうも大学教員は世間知らずとか非常識という説が出てきますが、
ひと昔前は知りませんが、そんな教官はほとんどいません。

一般の会社にも、変人はいませんか?大学教員もその確立と同じです。

さて、教授が論文を見ないということについてですが、
この手の話ははっきり言って、「学生(親戚の方)の言い分」だけでは実際の状況がどうなっているのかわかりません。

なぜなら、こういう苦情は学生側の不満は世の中に出てきますが、
教員側はそんな不満を公に言わないから(仕事だから)です。

なので、大まかに2通り考えられると思います。

1、教員がダメ
2、学生がダメ

1の場合でしたら、パワーハラスメントの類いになります。大学にはそういうことを訴える部署があると思いますので、相談してみてください。

2の場合、よくあります。私の経験として、教官が指導してくれないと苦情を言いふらす学生の多くは、自分で何もしない指示待ちだったり、
実験や勉強を日頃ほとんどしてなかったり、悪い意味で勝手にやっている人だったり、することがあります。
学生側だけの言い分を鵜呑みにして話を想像すると、自分のことを棚に上げた話に成ってしまっていることがあります。

この場合は伝え聞いた質問者さんの話をさらに伝え聞いた我々では、状況が全くわかりわかりません。

言えることは、正当な理由で教授が指導してくれないのであれば、
訴えてみてはどうでしょうか。もしくは、大学院は1つだけではありません。
そんなことで研究の道を断念するとかではなくて、場所を変えるという手もあります。

参考までに。
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アメリカの大学院ではPH.D.の学位論文は指導教授を除く3人の教授が審査しました。

ある指導教授は学生が提案したテーマが意に反しなければ、自由に研究をさせてくれ、論文の製本料まで支出してくれましたが、研究内容についても論文作成にもまったく助言も指導もありませんでした。それでも誰からも不平不満は聞こえず、その教授の下から毎年のように博士が誕生し、ポスドクやよその大学の教師として巣立ってゆきました。
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No.2です。


他の方の回答を拝見して、それぞれの方がそれぞれの研究分野での常識について答えておられるようなので補足します。私のは、医学生物学系の博士課程の話です。博士論文は(日本人なら)日本語です。学術誌への投稿論文は英語です。国際誌に掲載できるレベルの英語を書ける(日本人の)大学院生は、めったに存在しませんので、指導教官が原稿に目を通さずに大学院生が投稿論文を仕上げられるなんてことは到底考えられません。
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研究過程での相談には乗りますが、論文作成は自分でしなければ。


何故、指導放棄と思われるのでしょう?
意に沿わないと「非常識}ですか?
世間がいう非常識とは専門馬鹿で、専門以外のことはわからない、たとえそれが常識といわれる範疇であっても、専門以外に関しては明るくないという意味ですよ。

院生の方が果たす義務は、自分の力で論文を完成させ、学位論文として査定を受けることです。
答えになっていないかもしれませんが、学部とは違います。ということを助言したいと思います。
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他の回答者の方とかぶりますが



どうやら修了論文についてのようなので、それについてお話しますと修了論文などは大抵の場合、体裁さえ整っていればそれでOKです。ですから、わざわざ見る必要がないのです。
社長が、社員の事務用の書類を一々チェックするなんてことはありませんよね、それと同じことです。

ただ、普通は修論のプレゼンがあるはずで、こちらの方で修了論文の内容は評価されます。ですから、普通は教授(少なくとも助教)の前でプレゼンの練習を行うと思うのですが… それすらないとなるとちょっと問題ですね
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最近の教授は本当に親切な人が多いですね。


私はまだまだ昔語りをするような年齢ではないつもりなはずなんですが、
私が大学院にいた時には、ボスに投稿論文や学位論文の下書きを見てもらうなんてことをしてもらっていた人は一人もいませんでした。

今も昔も、研究所のボスの仕事は、
・第一が、金(研究費)を取ってくること。
 これが最も重要な要件です。研究に必要な金あるいは設備、本などに不自由させない。もっと下世話な話をすれば学生がこの学会に出たいと自ら言ってきたときにポンと旅費を出せるというか。
・第二が、部下が、ある一段落の成果を出してきた、あるいは何か新しいことやりたいと言ってきたときに、自分で議論をする、あるいは、それについて議論できる人を紹介すること(人脈を紹介すること)
につきます。
つまりは、金とコネです。

・で、第三が、まあ部下(学生)を教育すること、なんでしょうか。

正直、第一、第二の仕事のほうが、第三よりも圧倒的にボスの仕事として重要です。この2つができないボスの下についても意味がいないです。
で、この2つに比べれば第三の教育なんて、どうでもいいというか、はっきり言えば、論文の書き方くらい学生が自分で会得しろ(他人の論文を真似していればできるでしょ)と思います。
正直、論文の書き方なんて人から教わるものではないです。
また、議論をしてほしいなら、きちんと議論できる材料を持ってボスのところにいくべきです。単に「何かアドバイスが欲しい」とか言われても議論できないです。
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博士論文を指導教官である教授が読んでくれないと仮定して話を進めますね。


まともな大学院ならば、卒業の頃には、博士論文を書いているだけでなく、学術雑誌に掲載する論文の方も、少なくとも投稿ぐらいはしていると思われます。というか、たいていは投稿論文をもとに学位論文を書きます。そして、投稿論文は研究業績そのものなので、指導教官はずっと真剣に大学院生が書いた時に目を通しているはずです。ですから、その教授が博士論文の方はあまりちゃんと見なくても驚きではありません(学生が結構自由に書けます)。でも、投稿論文の方もちゃんとやっていないとなると呆れてよいと思います。やる気のないのにもほどがあります。研究そのものに興味を失っているのかもしれません。
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質問文に「大学院」とありますから,修士課程の修士論文か,博士課程の博士論文についてでしょう。

「読む」には2通りの解釈ができて,(1)学位請求論文として事務部に提出する前の下書きを読む,(2)提出された学位請求論文を読む(査読する,審査する)があります。

(2)のほうを読まないということは,制度上できませんし,ふつうは複数名が読んで結果をつきあわせます。そこで論文の内容が学位に値しないと評価されれば,審査結果は「不合格」となります。

(1)の下書きのほうは,義務的ではありませんが,まあ九分九厘は読むでしょう。いろいろ直さないと,とても審査を通らないことが多々あるからです。

なお,「九分九厘」は現在のはなしです。ぼくが院生だったころは読まないのがふつうでした(指導教員が実質的に誰かさえも曖昧でした)。だから,下書きを読んでくれたのは先輩です。
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