太平洋戦争について調べていますが、日本を悪く書いている資料が多いです。私としては日本が戦争を始めたのにも理由はあるでしょうし、正義もあったと思うのですが。そのあたりの所を説明できる方、私を納得させてください。

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A 回答 (15件中11~15件)

太平洋戦争については、日本が調子に乗りすぎ脇の固めが浅かったと言えばそれまでですが、特にアメリカが開戦前の半年間



「どのようにして相手国(日本)に先に手を出させるか?」を考えていたという頭脳的戦略の研究も同時に重要でしょう。

アメリカの国益とは日本人が考えるより、恒常的に米国政治家の意識の中にあり、最近も「地球温暖化防止策のための京都議定書」

をキャンセルしましたが、流石に世界の警察どころか「世界の無頼者」を自認するだけのことはあります。

・・・太平洋戦争についての日本の正義の議論は当初「西欧植民地主義に対する正義の戦い」と言っていましたが、軍部のメッキが

すぐ剥がれて「汚れた牙」のみが戦後強調されています・・・このような事は残念ながら百年後くらいに他国の歴史学者が

評価し直さないかぎり、日本人が言い訳をすればするほど逆効果しか出てこないように思います。
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あるページで、こんなことが書かれているのを呼んだ記憶があります。



明治の頃から日本は欧米列強のアジア進出(植民地化)に遅れをとり,焦っいた.
第一次世界大戦で,日本は日英同盟を結び,ドイツに勝って中国等のおけるドイツ権益を継承することに成功した.引き続き,中国に於ける権益拡大を図って満州事変,日中戦争に突入したが,戦いが長期化するにつれ,軍事資源(石油,ゴム,ボーキサイト)の確保をねらって南進論が台頭した.これに対して,ABCD(アメリカ,イギリス,中国,オランダ)包囲網が敷かれ、さらにアメリカの石油禁輪政策で、資源のない日本は窮地に戦線に立たされたので、日独伊三国同盟を結び、ドイツの開戦で列強がヨーロッパ戦線に主力を集中している隙をついて真珠湾を急襲、
太平洋戦争に突入した。日本の大義名分は、アジアを欧米の支配から解放し、大東亜共栄圏を建設するというものであった。
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亡くなった明治の祖母の世代は「大東亜戦争」と呼んでました。


アジアを西洋から解放し、統一する、という大義名分だったようです。


日本は、ドイツ・イタリアと同じく、ファシズムの国だったので、原爆落として良かったね、というアメリカ人の教科書を何年か前テレビのニュースで見てショックを受けました。
真珠湾攻撃も、今ではアメリカサイドのスケープゴート作戦だったといわれていますが、「スネークアタック」とまたまたアメリカの教科書に書かれてて、アジアでは蛇は神のお使いですが、ご存じ聖書では卑怯な悪者ですので、更にショックを受けました。


戦争は2つの正義ですから仕方ないとはいうものの、チャーリーの映画ではありませんが、大量殺人を犯して英雄と称えられるとんでもない出来事ですね。
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太平洋戦争の勃発原因は、


1)拡大を続けていた、西洋列強、と
2)成長を続けていた新興国日本
の衝突と理解するのが公平だと思います。

当時西欧各国は、世界中で植民地を作り、その勢力を拡大していました。当然アジアにも進出し、念願の中国も屈服させました。香港が英国の傘下に入れられたのが、その象徴です。

一方日本は、明治維新以来、西洋列強のレベルに達すべく、「富国強兵」をビジョンとして、基幹産業の興隆、軍事力の強化を進めていました。

この2つの勢力が接触をし始めたのは第1次大戦前後ですが、日本はその前に、日清戦争、日露戦争で、勝利を収めていました。第1次大戦でも勝利国側につき、軍部は日の出の勢いでした。その勢いで日本は、台湾、朝鮮を手に入れ、ついに中国大陸の1部である、満州を手に入れて、満州国を建国しました。この頃の日本のビジョンは、「八紘一宇」(全世界は本来1つの意)というもので、南でも、インドネシアやミャンマーまで進出していました。

ここまで来ると、西洋列強もだまっていません。それまで静かだったアメリカも動き始めました。各地で小競り合いが始まり、例の真珠湾攻撃で、公な世界大戦が始まったのです。

戦争は殺し合いですから、太平洋戦争記で日本が悪く書かれるのは、その戦時中の各地での所業です。それに軍部もやりたいほうだいでしたから、それの背後にある軍国主義も、非難の対象です。

日本の正義という意味では、なんと言ってもこの戦争で、結果論とは言え、欧州列強の植民地だったインドネシアやインドなどに、独立のきっかけを与えたことでしょう。「八紘一宇」という理念は一見理想に見えますが、ハンチントンが「文明の衝突」をものしたように、日本軍部が各国を一律にしようとしたという行動を見ても、ぼくはあまりにも単純で、間違っていたと思います。やはり各国にはそれぞれの伝統や文化がありますから、それらを尊重すべきだったと思います。

参考URL:http://www.ss.iij4u.or.jp/~nfuji/
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答えじゃないのですみません。


確かに経済上の問題と西洋諸国のアジアに対する政策に対抗するため、だったと思います。
ご納得いかせるだけの情報は持ち合わせていないのですが、
日本がああしなかったら、中国も半島も日本も、
欧米諸国の只の植民地になっていたのだ、という言葉を昔年寄りから聞いたことがあります。
色々と述べてくれたのですが、その頃僕は未だ小さくて、
覚えていません。

しかし、あなたのこの質問には敬意を表します。
風説に惑わされずに真実を知ろうとする態度は大切な物です。

民族紛争と宗教上の理由以外で戦争をするには、
確かにちゃんとした理由があるはずです。
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Q大東亜戦争(太平洋戦争)での日本兵の戦い方について

大東亜戦争(太平洋戦争)での日本兵の戦い方について
戦争映画が好きで、よく第二次世界大戦のものを見ます。
最近wowwowでThe pacific(太平洋戦線)やband of brothers(ヨーロッパ戦線)等、第二次世界大戦のドラマや映画が放送されています。
それで、日本兵の描写について少し気になるのですが・・・
日本兵が大声を上げ、九九式短小銃を構えて私を撃ってくださいといわんばかりに敵めがけて突進していくのですが、アメリカ兵に射撃されてしまいます。
うまく説明できないのですが、戦時中本当に日本兵はこのような戦い方をしていたのでしょうか?
万歳突撃等が有名ですが、あまりにも自殺行為な気がしてなりません。
アメリカ海兵隊のような感じではないですよね
銃撃シーンもありましたが、部隊が全滅後にに上記のような感じです(万歳突撃でしょうか)
お国を守ってくれた英霊についてよく知りたいと思い質問しました。
わかりにくい質問かと思いますが、当時の日本兵の戦い方、戦術、環境などを教えていただければ、と思っています。
そこら辺詳しくお願いします!

Aベストアンサー

現代人の目から見ると狂気の沙汰としか思えないバンザイ突撃ですが、当時の日本軍が置かれた状況から考える必要があります。当時の日本軍は、中国で国民党軍と共産党軍と戦争していたわけですが、これらの相手というのが「突撃すればなんとかなった」相手だったのです。
機動力を重視した共産党軍には重火器はほとんどありませんでしたし、国民党軍も然り。さらに共産党軍は毛戦略により日本軍との正面決戦は避けていたので、日本軍が突撃するとなんだかんだいっても結局相手が共産党軍であれ国民党軍であれ、撤退してくれたのです。だから、知らず知らずのうちに日本軍の中で「突撃すりゃなんとかなる」というノウハウが積み上がってしまったのです。

それが甘い考えだったと思い知ることになったのがノモンハン事変を始めとするソ連軍との国境紛争でした。一般的に、ノモンハンの敗戦は「現場部隊がフヌケだった」ということで総括されてしまったといわれていますが、実は日本軍とてバカじゃないのでちゃんとそれはそれで調査はしました。しかし、その結論というのが絶望的なものだったのです。
どういうことかというと、ソ連軍は日本軍より大砲の性能が優れていて、弾薬量も格段に多かったのです。しかし、これはどうしようもない問題でした。なぜかというと、製鉄技術がソ連に比べて劣る日本では、ソ連軍に対抗しうる性能の大砲はどう頑張っても作れませんでした。さらに、弾薬についても当時の日本ではそんなに湯水の如く使えるほどの大量生産をすることはできなかったのです。なにしろ当時の弾薬の生産といったら関西の町工場でちまちま作っていたのです。ご存知のように、大量生産するためには大規模工場が必要で、それによってコスト圧縮効果が発生するわけです。ソ連やアメリカのような重工業の大規模工場なんてものが当時の日本では作れなかったのです。
だから、それを認めると「もう国として日本はソ連に対抗できない」という絶望的な結論に至ってしまうので、「現場が悪い」と責任を押し付けてしまったのです。

緒戦の勝利による驕りもあり、日本軍は米軍に対しても自信満々で突撃戦術をかましましたが、諸兵連合効果の戦術を得意とする米軍によって叩きのめされてしまいます。どうも米軍相手に突撃じゃ歯が立たないと分かって、The Pacificで再評価されることになったペリュリュー島戦から持久戦術に切り替えることとなります。The Pacificでも原作として使われているユージン・スレッジ氏の回顧録を読むと、ベテランの海兵隊員がペリュリューで「日本軍がバンザイ突撃をしてこない」と戸惑っている姿が描かれています。

この持久戦術は大変に効果的で、ペリュリューのノウハウを積極的に取り入れた硫黄島戦で米軍が大変な犠牲を強いられたことはご存知のとおりです。
しかし、日本人つーのは大変にストレスに弱い民族でございまして、この「押されてもじーと我慢して粘り強く戦う」つーのはなかなか耐えられないんですね。いいや、日本人は粘り強いだろと思うかもしれませんが、日本人てのは自分たちで思っているほど粘り強くありません。てか、逆境にはとても弱いんですね。なぜかっていうと、サッカーで日本代表が相手チームに押されると見てる方がもう耐えられなくなりますよね。大概「負けてもいいからもっと積極的に攻めないとダメだ」と批判されます。これが南米のチームなんかだと相手に攻めさせて、それでいてカウンターの機会を粘り強く待っています。そういうことができない。
だから、沖縄戦では持久戦術を主張する八原参謀に対し長中将が「こんなグダグダやってないで一発突撃でパーッといけ!」と主張して司令部は内部崩壊します。

また、捕虜についてですが、日本兵は捕虜になってはいけないと教えられていたので、基本的に捕虜も取りませんでした。また、味方の兵士を救出しようとする米兵にも容赦なく銃撃を浴びせました。また死体のフリをして近づいた米兵に襲い掛かることもよくやったようです。それを米兵は分かっていたのである意味当然なのですが「相手が捕虜を取らないんだから、こっちも捕虜を取る必要はない」と負傷している日本兵も情け容赦なく殺しました。ユージン・スレッジ氏の回顧録にはそういった「むき出しの獣性と敵意」が戦場に満ちていたことが書かれています。太平洋戦線で日本兵の捕虜が極端に少ないのは、「生きて虜囚の辱めを受けず」という思想が根本にはあったのですが、そういった事情も影響していたようです。

現代人の目から見ると狂気の沙汰としか思えないバンザイ突撃ですが、当時の日本軍が置かれた状況から考える必要があります。当時の日本軍は、中国で国民党軍と共産党軍と戦争していたわけですが、これらの相手というのが「突撃すればなんとかなった」相手だったのです。
機動力を重視した共産党軍には重火器はほとんどありませんでしたし、国民党軍も然り。さらに共産党軍は毛戦略により日本軍との正面決戦は避けていたので、日本軍が突撃するとなんだかんだいっても結局相手が共産党軍であれ国民党軍であれ、撤退...続きを読む

Q太平洋戦争中、戦争後、日本中飢餓状態だったそうです。

太平洋戦争中、戦争後、日本中飢餓状態だったそうです。
ふと、当時奈良の鹿は大丈夫だったんでしょうか?飢えた人々によって食べられた事はなかったんでしょうか?犬でさえ食べられたらしいのに?

Aベストアンサー

当然食料になっていましたよ。敗戦濃厚となって日本の神々の権威も地に落ちていましたから、春日大社より胃袋ですよ。現在は1200頭近くいますが、敗戦当時は79頭まで減っていたそうです。もっとも春日山とか奈良公園周辺の山へ逃げたものも多数いたと思いますが。鹿を殺すと重罪になったのは江戸時代の話です。
http://www.kasuga-hotel.co.jp/event/shika/shika.htm

参考URL:http://www.kasuga-hotel.co.jp/event/shika/shika.htm

Aベストアンサー

参考になるサイト
http://www1.kamakuranet.ne.jp/murudeka/index.html
http://www1.ocn.ne.jp/~knippon/ijin/ijin4.html

ムルデカという作品は、事実を元に作られた
小説で映画化されました。
http://www.7andy.jp/books/search_result/?fromKeywordSearch=true&kword_in=%A5%E0%A5%EB%A5%C7%A5%AB&ctgy=books&oop=on

http://www.nipponkaigi-tokyo.com/merdeka/home.html

Q太平洋戦争の記録、資料的なビデオについて

主に日本軍等を中心とした太平洋戦争の経過を収めた、DVD等でお勧めのものがありましたらご紹介ください。尚、ご紹介くださる場合はその理由等もつけていただけると助かります。また現在入手しやすいものについてお願い致します。いろいろと難しい注文がございますがよろしくお願い致します。

Aベストアンサー

http://www.amazon.co.jp/NHK%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB-%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89-BOX-DVD-%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E8%82%87/dp/B001AE6HRU

・NHKドキュメント太平洋戦争

開戦から終戦まで、太平洋戦争での日本の選択と、その誤りを綿密に検証。
1992年の作品ですが、今でも見応えあり、古典的名作。
ただ、BSCSで再放送もされてますし、取材記が角川文庫の古本で安く買えますので
そちらで見る方法もあり。

http://www.amazon.co.jp/Nippon-Materials-%E3%80%8C%E5%AE%9F%E9%8C%B2%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E5%8F%B2%EF%BC%88DVD%E5%85%A85%E5%B7%BB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%83%A0%EF%BC%A2%EF%BC%AF%EF%BC%B8%EF%BC%89%E3%80%8D%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%A7%E7%B6%B4%E3%82%8B%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E5%A3%AE%E5%A4%A7%E3%81%AA%E3%82%8B%E8%A8%98%E9%8C%B2%EF%BC%81/dp/B007CPU2F4/ref=pd_cp_d_1

・実録第二次世界大戦史(全五巻)

比較的安価で、一日で、ざっと欧州戦線も含め第二次世界大戦概観できます、
(なにしろ、全十巻とか三十五枚とか、よくあるジャンルなので)
主に米軍撮影編集の素材に、解説つけてるので、日本人としては
え?というところも、ありますが、当時の外国から日本が、どう思われたか
よく わかりますよ( ^^) _旦~~


zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz

http://www.amazon.co.jp/NHK%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB-%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89-BOX-DVD-%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E8%82%87/dp/B001AE6HRU

・NHKドキュメント太平洋戦争

開戦から終戦まで、太平洋戦争での日本の選択と、その誤りを綿密に検証。
1992年の作品ですが、今でも見応えあり、古典的名作。
ただ、BSCSで再放送もされてますし、取材記が角川文庫の古本で安く買えますので
そちらで見る方法もあり...続きを読む

Q太平洋戦争中の日本軍の武器は日本製?

日本の兵器は、部品、生産する機械などすべて日本製でまかなえましたか? 戦争中は鎖国状態なので部品の輸入なども不可能でしたね? 先日、ゼロ戦のパーツについて解説された書物を読んだのですが、「な~んだ、純日本製と違うのか」と思いました。

Aベストアンサー

工作機械は、米英独のものを使っています。たとえば、なーんだ、と思われた零戦の工作機械には、アメリカ製のものがありました。消耗品(ドリルの刃など)が当然輸入できませんから、大切に使うように現場には指示がでています。

また、海軍の工作艦「明石」は、戦前に英米独の工作機械を輸入して搭載していました。この艦一隻だけで、日本海軍が日本の外で実施した艦船修理の5割をこなしていました。

陸軍は中国大陸で国民党の軍隊が装備していたチェコスロバキア製の機関銃を大量に鹵獲し、正式装備にしています。性能がよかったからです。また、マレー作戦で鹵獲した英米の自動車やトラックは、多いに活用されました。

シンガポールの油脂タンクに貯蔵されていた英国のガソリンですが、日本のものよりオクタン値が高くて優秀だったので、重要な偵察任務につく航空機などに使用しています。

陸軍・海軍が使っていた和文タイプライターの活字部品は、1943年にストックがつきるまで、戦前にストックされていたスウェーデン鋼材で作られていました。

あと、零戦の取り扱い説明書で指定されているエンジンオイルは、テキサコ・エアプレーンです。テキサコは当時の石油メジャーだったので、特に奇異なことでもありません。

意外とさがすとありますよ。鈴木内閣になって終戦工作が始まった時期、海軍省の大臣秘書官たちは、万が一のことにそなえて、使いやすいコルトの拳銃を手近に用意していたといいます。

工作機械は、米英独のものを使っています。たとえば、なーんだ、と思われた零戦の工作機械には、アメリカ製のものがありました。消耗品(ドリルの刃など)が当然輸入できませんから、大切に使うように現場には指示がでています。

また、海軍の工作艦「明石」は、戦前に英米独の工作機械を輸入して搭載していました。この艦一隻だけで、日本海軍が日本の外で実施した艦船修理の5割をこなしていました。

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