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戦国武将・本多忠勝について。

よく戦国武将で最強は誰だ?って話題になったら必ずと言っていいほど名が挙がる本多忠勝ですが、なぜ最強なのか気になり様々なサイトで調べてみました。
彼は人生において57回の戦に参戦し傷を負ったことのないという武勇伝の持ち主らしいですが、知恵袋や様々なサイトを見て「傷を負ったことはないが、旗本先手侍大将なので前線に行く機会が少なかった」や「自ら敵将の首を挙げたとゆう実績が少ない」などの回答を見ました。
しかし、武田軍に「家康に過ぎたる者」、秀吉に「東国一の勇士」と称賛されているあたり彼は個人武勇以外で優れていた才があるのではないでしょうか?
たとえば用兵に優れており、戦場での駆け引きが上手だったとか(そのため生涯無傷でいられたとかだったり)
これが私なりの考えです。皆様は私の考えについてどう思われますか?
まだまだ勉強不足ですので、お詳しい方、指摘やご自身のお考えなど述べてもらえば嬉しく思います。
ご回答よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

実際のところどうなのかわかりませんが


確かに逸話として57戦無傷って言われてますね 多分無傷ってのは多少の切り傷は負っているでしょうが
致命的な怪我はないってことなんだと思います。


その関係で猛将としか思われてないみたいなのですが 意外と知略にも長けてたらしいです
あの頃ってそれこそそれだけ戦場にでかけて帰ってくるってだけでもすごいことなんだと思いますよ
それが毎回続くとうわさがうわさを呼び ある意味神格化するんじゃないですかね?
そうなると敵は対峙しただけで精神的に負けてしまうんじゃないかと・・・
あとは彼が持ってた天下三名槍の一つの蜻蛉切りもこのうわさに一役買っているんじゃないかなぁと
思います。 この蜻蛉切り刃長43.8cmで柄の長さは6mほどであったといわれてますからね
神格化された忠勝にしかもこんな大槍を持ってたたれてたら相手もビビりますよね
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本多忠勝は、猛将であり、智将でもありますね。



小牧・長久手の戦いでは、本多忠勝のすばらしい奮戦ぶりに、秀吉もほれぼれして本多忠勝に弓を使うことを禁止したそうです。

関が原の戦いでは、家康と共に西軍諸将の寝返りを促す書状を書いたそうですね。

運もあるでしょうが、殺すには惜しいと敵将に思わせるほどの名将だったのでしょう。だから生涯無傷だったのではないでしょうか。
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田舎の自然の川の中に、川草が茂っていますよね。

あるとき、忠勝の息子の忠政とその仲間の若武者たちが船の櫓で川草を切れるかと競っていたそうです。想像しても分かると思うのですが、水の抵抗がある川の中でたゆっている川草を刃物ではない櫓で切るのはとても難しいものです。
彼らはかわるがわる試すのですが、なかなか切れない。それを見ていた忠勝はいきなりむんずと櫓を掴むと川の中をさーっと一閃、するとまるで鎌で刈ったように川草がきれいに切れたのだそうです。忠勝が五十代のときのエピソードといわれています。

伝によると、忠勝は智勇兼備の武将だったようです。おそらく戦場では常に冷静沈着に指揮をしていたのでしょう。こういう上官は、兵士から絶大な信頼を受けます。精神的なよりどころだったのではないでしょうか。戦場では、指揮官が死なないというのは極めて重要です。なぜなら、恐怖の中でどうしていいか分からなくなるからです。そういった「勇猛馬鹿」ではない名指揮官ぶりが特に信長や秀吉のような「将の将」になるような人物から絶大な支持を受けたのでしょう。
プロ野球の西武ライオンズの黄金時代、正捕手であった伊東選手(当時)の現役成績には全く特筆すべきものはありません。またチャンスに渋い打撃をしたとかそういうこともあまりありませんでした。しかし、当時球界に君臨したライオンズを支えていたのは間違いなく伊東選手でした。伊東選手がケガで出場できないだけでチームは勝てなくなったりしたのです。そういう武将だったのではないでしょうか。
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