プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

エノラ・ゲイを護衛する戦闘機の有無は?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E5%B3%B6% …
ここの目次の「1.3 テニアン島」、「1.4 四国上空」、「1.5 広島上空」を読んでの疑問です。

この記事から気象観測機が3機、エノラ・ゲイ、科学観測機、写真撮影機の計6機が日本へ向かったことが分かります。しかし、これらを護衛する戦闘機に関する記述が一切ありません。
記事全体の雰囲気から、戦闘機は飛来しなかったように読めます。

根拠はありませんが原爆という軍事上の大実験をしようというのですから、この6機の前後左右・上下を戦闘機の大集団が護衛して来たのだとばかり思っていました。日本の防空システムが崩壊していたにしても、初めからなかったにしても、護衛なしの丸腰状態で来るというのは腑に落ちません。実際は、如何でしたか。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

 なかったはずです。

長崎のときも直衛機はありませんでした。
 排気タービンを装備するB-29は高々度での高速巡航が可能で、当時の日本軍の戦闘機では追いつくことが出来ませんでした。そのため最初の1撃を避けられるとそれ以上の攻撃が出来なかったのです。
 それと爆撃を行う場合、B-29は編隊を組むのが普通でしたから、原爆投下の時のように数機づつ分かれての行動が爆撃なのか偵察飛行なのか判断しにくかったのだと思います。偵察飛行であれば、燃料が底を突きかけていた当時の日本軍がわざわざ迎撃機を飛ばすとは考えにくいですから。戦争末期にはビラをまくためだけにB-29がやってくることもあったようです。
 逆に言えば、多数の直衛機を付けてしまうと、何かしらの特別な作戦行動であると判ってしまって、かえって迎撃機の来襲を招いてしまう恐れもあったかと考えられます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

分かりました。
戦闘機が爆撃機に追いつけないというのも妙な話だと思いますが史実とあっては仕方ありません。
無傷であることと軍都であることが、広島が選ばれた理由でしょうに自由に偵察させるというのも分かりません。しかし、これも史実では仕方ありません。戦闘機は飛来しなかったのが判りました。
有り難うございました。

お礼日時:2010/06/25 23:07

当時のB-29は、高度飛行性能は世界一を誇ってましたから、日本軍の戦闘機を恐れてなかったのです。


テニアン島を離陸したエノラゲイ他のB-29一行は四国上空2千メートルで日本軍のレーダーに検知されて迎撃に出動した日本軍戦闘機は、たった1機でした。
エノラゲイは回避の為、高度を8千数百メートルに上げてます。
日本軍の戦闘機が、そこまでの高度を追尾飛行出来ない事を米軍は承知してました。
その後の長崎原爆投下は、別のB-29ボックスカーが原爆投下の任務にあたりました。
この時もエノラゲイは気象観測に出撃してますが、日本上空の制空権は既に米軍側に渡ってたので護衛の必要は無用だったのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

分かりました。
爆撃機の方が戦闘機より運動性能がよいというのも不思議な話です。それにしても原爆積載機が丸腰で来るとは米軍側の不用意に呆れるべきなのか、日本側の防空に呆れるべきなのか、よく分かりません。ともかく、戦闘機は飛来しなかったのが判りました。

明朝、6時までにNO.1、NO.2と大きく矛盾する回答がないときは締め切ろうと思います。
有り難うございました。

お礼日時:2010/06/25 23:09

本土決戦準備で、積極的な防空戦闘は控えるよう通達がありました。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%9C%9F% …

紫電改部隊は大村で登山訓練中、長崎のピカドンを見て、
B-29を絶対落とすと言う誓いを胸に刻み込みます。

この後すぐに終戦を迎えます。(温存を通り超している。)

千葉に本拠地を持つ飛行隊も、沖縄戦では全力で総攻撃(特攻戦)を展開します。
留守番隊もB-29を1機で攻撃するなど果敢に奮戦します。

赤とんぼも特攻させています。

燃料の問題もありますが、
この頃になると守る物が無くなっていました。
(全部焼け野原になっちゃってた。) つ^_^)つ

奮戦した沖縄戦以降、
部隊の残存機(かき集めた50機だと思った)を栃木県に退避させるよう命令が下ります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

本土決戦策は歴史として知っておいた方がよいと頭では分かりますが、情としては読むのが辛いです。これは最早、作戦とはいえないし無謀の領域にすら到底、入らないです。
此処まで来ると戦争がどうのこうのではなく、日本人て何だろう、人間て何だろう、と思わざるを得ません。

日本軍上層部には勝敗の帰趨も国家の将来も念頭になく、只々意趣を晴らす一点にこそ焦点があったのではないかと思えてきます。私の推測するビン・ラディンの行動と共通です。
それならそれで意義があるので、はっきり宣言しろと思います。実際、それで上辺だけにもせよ欧米のアジア支配が終わったのですから。私はだんだん<<正統派右翼原理思想>>に染まってきました(?)。

有り難うございました。

お礼日時:2010/06/26 09:34

・エノラ・ゲイ離陸に前後して5機のB29が同じく日本に向け飛び立っている。

最初の3機の発進は、エノラ・ゲイに先立つこと1時間前。これは原爆投下地点の気象観測を行う目的で、1機は広島へ、他の2機は小倉、長崎へそれぞれの機首を向けた。次の2機は、エノラ・ゲイの離陸と2分の間隔をおきながら発進、これには科学者らも乗り込み、各種測定機材や撮影装置などが積み込まれた。この2機はエノラ・ゲイの護衛の任も帯びていた。

 午前7時9分、最初に飛び立ったイーザリー少佐の操縦するB29「ストレート・フラッシュ」が広島上空に到達し、気象観測を開始。広島の空は雲ひとつない青空であった。
 その報を受けたエノラ・ゲイは、予定どおり機首を広島に向け飛行。午前8時9分、目標を視界に捉える。
 午前8時14分17秒、高度9600m、エノラ・ゲイの爆撃手フィリビーの見つめる照準器に、目標点が重なった。フィリビーは「つかまえた」の声と同時に爆弾投下の自動装置を作動させた。
 装置は極めて正確に作動し、それからきっかり60秒後の午前8時15分17秒、エノラ・ゲイの下腹から「リトルボーイ」が転がり落ちた。

 恐怖のちびっこは、広島市の中心部をめがけ、まっしぐらに落下していった。
 エノラ・ゲイらは、爆発の衝撃を避けるべく、急降下、急旋回を行い、速度を上げて逃げた。

※米国の公刊戦史より
エノラ・ゲイの護衛任務は、戦闘機でなく、随伴の弾着効果測定のB29、2機に任せると明記されています。
「エノラ・ゲイらは、爆発の衝撃を避けるべく、急降下、急旋回を行い、速度を上げて逃げた。」
エノラ・ゲイが出撃した時点では、原爆はネバダ砂漠で一回だけ実験されただけで、戦闘機を同行させた場合、爆風で破壊されるがもという危惧も、ありました。

爆撃機と、いっても、第二次世界大戦時代のB29は、
爆弾倉のある重戦闘機、戦闘爆撃機といっても、いいぐらいの空戦性能ありますから
(爆装したF4やF15が、飛んでくるようなもん)


 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

日本側から視ると、爆撃機が戦闘機の性能を備えていたというよりは、戦闘機が爆撃機の性能を備えていたという方が相応しいのかも知れないと思いました(?)。

有り難うございました。13時の時点でNO.5以下がなければ締め切る可能性があります。

お礼日時:2010/06/26 09:37

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!