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平安時代の税制について! どんなものが税として納められていたか?どんな人たちが納めていたか?どのくらいの量?具体的に教えてください。

A 回答 (1件)

こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

「租庸調」(そようちょう)って聞いたことはありませんか?

租:
田一段(約100坪)につき2束2把で、収穫量の3~10%を原則として9月中旬から11月30日までに国へ納入する。しかし、旱魃や冷害などで収穫が不安定であったため、種籾を百姓に貸し付けて、種籾量の約倍額の利子をつけて返納させるようになった。だが、これでも旱魃や冷害などの時は、戸ごとに5分以上の減収であった場合は「免除」された。そこまで被害がない場合には「半輪」(はんりん)と呼ばれる比例免除の処置がとられた。

庸:
正丁(せいてい・21~60歳の男性)、次丁(じてい・61歳以上の男性)へ賦課された。
元来は京に上って労役が課せられることとしたが(歳役)、次第に、布、綿、米、塩などを納めることで労役に替えた。人頭税の一種であった。
庸は、京を守る衛士や采女の食糧や公共事業の雇役民への賃金や食糧に用いられる財源となった。

調:
正丁、次丁、中男(ちゅうだん・ちゅうなん・17~20歳の男性)へ賦課されたもので、繊維製品を基本とし(正調)、地方の特産品34品目(例えば、紙や漆の工芸品など)、または、貨幣による納入(調雑物)も認められた。
調は、京の朝廷の主要財源として、官人の給与(位禄や季禄)などに充てられた。
また、京と畿内では軽減され、飛騨地方は免除されていた。

正調は、繊維製品を基本として納入されたが、大きく分けて「絹」で納入される「調絹」(ちょうきぬ)と「布」で収める「調布」(ちょうふ)に分けることができる。
当時、絹は天皇などの高貴な身分の人々が用いる最高級品であり、布は麻や苧(からむし)、葛(くず)などの絹以外の繊維製品であった。

時代により寸法が違うが、大宝律令、養老律令の頃の規定では、
調絹・・・長さ5丈1尺、幅2尺2寸で1疋(ひき)とし、正丁6名分の調とする。
調布・・・長さ5丈2尺、幅2尺4寸で1疋とし、正丁2名分の調とする。
と、規定されています。
しかし、養老年間に改訂がおこなわれ、
調絹・・・長さ6丈、幅1尺9寸で1疋(1反)とし、正丁6名分の調とする。
調布・・・長さ4丈2尺、幅2尺4寸で1端(1反)とし、正丁1名分の調とする。
に変更されました。

また、租は、各地の郡衛に収めればよかったが、庸と調は、京に運搬する決まりとなっており、人夫を「運脚」と呼び、費用は全て自弁であったので多大な負担であった。

飛騨は調・庸を免除され替わりに匠丁(しょうてい、たくみのよほろ)を里ごと10人1年交替で徴発した。いわゆる飛騨工(ひだのたくみ)である。匠丁は木工寮や修理職に所属して工事を行った。
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